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敵に塩を贈る*3

 聖水って、なんだろう。

 この疑問は『聖水ってね、聖水だよ!』と丸投げしてしまいたいところでもあるが、それでも、多少は性質を知っておいた方がいいだろう。何せ、聖水はミオのサブウエポンだ。下手すると、ドラゴン牙のナイフよりも聖水と聖銀のラッパを使っているかもしれない澪なのだ。『聖水って、なんだろう』を放っておくわけにはいかないのである。


「聖水、って、塩水……だよね……?」

「え、ええ、まあ、そうです、ね……。聖水は本来、水に塩を溶かして作っていますので……ポルタナのように綺麗な海がある土地でもない限りは、本当にただ塩水、と言ってもよいでしょう」

「うわーい、つまりポルタナはお得な土地だ!」

 まず、早速だが他の土地の聖水とポルタナの聖水が異なるものである可能性が出てきた。

 ……が、それはひとまず置いておくとして、聖水とは『塩が含まれる水』ということになるだろう。

「で、聖水から製塩すると、やたらと綺麗な結晶ができる、と……うーん、どういうことなんだろ。これ、前にも試したこと、ある?」

「さあ……試したことがございませんし、聞いたこともございません。水に塩を溶かして作った聖水を、またわざわざ干して製塩しようなどとは誰も考えないでしょうし……」

「それもそうだ」

 そして恐らく、澪とナビスは『この世界初の聖水で製塩した者』なのだろう。事故でやってしまった者は居るかもしれないが、こうして聖水をたっぷりと贅沢に濃縮して製塩した者は、そうは居まい。


 ということで、聖水から作った塩の性質を調べることにした。まずは、味から。

「ちなみに味は?……あ、しょっぱさの中にまろやかさが……いや、ちょっと待って、駄目だ分かんない。なんか塩つけるもの欲しいな。お芋でいっか」

「それでしたら昨夜の残りがこちらに。……あら、美味しい」

 聖水から作った塩を冷めたふかし芋に付けて食べてみたのだが、何か、奥深い旨味のようなものが引き出されているように感じる。只々、美味しい。

 念のため、普通の塩でも試してみたが、やはり、味が違う。聖水から作った塩の方が、美味しいのだ。

「ああ、美味しい……美味しいけど……うわー、駄目だ、余計に意味わかんないよこれ。何?聖水にすると塩水ってうまみが増すの……?それとも、私達の体は聖女の祈りを旨味として感知してる……?」

「い、祈りを食べた人はそうは居ませんので……あ、でも、礼拝式の後の聖餐は、いつも美味しく感じられますね」

「うわっ、本当に聖女の祈りが美味しい可能性が出てきてしまった!」

 まさかの『祈りは美味しい!』というとんでもない可能性がしょっぱなから出てきてしまい、澪は頭を抱えたくなる。ここは本当にファンタジーな世界なのだ!




「聖水が分かんなくなってきた。駄目だ、逆に考えよう。どんな塩水なら聖水にできるのか、まずはそこから考えよう」

 聖水は腐らない。聖水は魔を滅する。意味が分からない。意味が分からないので、やはりまずはそこから考えることになる。

「……ということで用意しました!水!塩水!海水!塩入り泥水!昨日の残りの塩味スープ!そして今日鉱山で労働してたおにーさん達のシャツ絞って手に入れた汗!」

「あの、ミオ様。最後のは……最後のは一体……!」

 まずは数種類の塩水と比較のための真水を用意した。汗は塩水に含まれる。

 ……ナビスが愕然としているが、澪としても『なんか今日の私の行動力ヤバいな』という自覚は多少ある。多少しか無い。

「汗はね、汗だくのおにーさんのシャツ引っぺがして、それを真水でふやかしてから絞ったよ。でも塩分濃度、ちょっとはあるんじゃないかなー、駄目かなー」

「ミオ様……!ミオ様……!聖水の研究の為とはいっても、その、殿方の……殿方の汗を、絞るのは……!」

「やー、なんかさー、夏休みの自由研究みたいになってきたんでテンション上がっちゃって。ははははは」

「テンションとは一体!?それが上がるとミオ様は妙に思い切りがよくなってしまわれるのですか!?」

 ナビスが『あわわわわわわ』とやっているのも可愛いのだが、このテンションのまま突っ走りたい澪は早速、ナビスに頼んでそれらを聖水にしてもらう。

 ……すると。

「うわっ急に泥が沈殿した!あっ!しかも泥、消えた!?」

 まず、見た目に変化があったのは泥水である。なんと、泥色に濁っていた水が一気に澄み渡ったのである。どうやら、泥が沈殿し、粗方消えてしまったらしい。多少、底の方に泥が残ってはいるが、明らかに量が減っている。恐るべし、聖水パワー。

「スープは……う、うーん?聖水になってる……?あ、これ旨味がほぼ無い。うわ、聖水じゃなくて、ただの塩水になっちゃった……?」

「そう、ですね。うーん……?」

 澪は『ちょっとだけ』と、聖銀のラッパに祈ったスープを掛けてみるが、ラッパは光らない。どうやら、このスープは聖水にはならなかったようだ。

 一方、泥水だったものの上澄みを掛けてみたところ、ラッパは淡く光った。そう力は強くないが、一応、聖水であるらしい。

 ……塩水と海水は、同じ程度の光り具合になった。若干、海水の方が強く光っている、かもしれない。真水は光らない。当然、これは聖水にはならなかったようだ。そして汗水は……一応、光った。泥水と同じくらいには。つまり、汗も聖水になるポテンシャルを秘めているということである。恐るべし、汗。


 以上の実験結果を元に、澪は考えた。

「完全な仮説だけどさ。これ、泥水とかスープだと、『聖水になるため』『水を綺麗にするため』に力を使っちゃって、聖水としての力は薄くなっちゃうんじゃないかな」

 泥水やスープ、そして汗から考えられる結果は、そんなところである。

 ……聖水にすると塩と水以外の不純物が消えるようであるので、これを利用して何か別のこともできてしまいそうではある。例えば、汗を聖水化して消臭するだとか。

「ただそれだと、海水がただの塩水よりちょっと強めに光る理由が分かんないんだよね。海水には不純物、結構多いはずだし……」

 だが勿論、仮説1つでは納得がいかない。……そう。ただの塩水よりも海水の方が効果の高い聖水になった理由が、分からないのである。

「それでしたら、海水には元々、多くの祈りが込められているからではないかと」

 だが、ナビスからしてみると、これはピンとくる結果だったらしい。少しばかり嬉しそうに、ナビスは説明してくれる。

「海には多くの人が祈ります。それに、祭壇がある洞窟の海水を使っておりますので、余計にその力は強いかと。……もしかすると、私がポルタナの海を愛しているから、というだけかもしれませんが」

「あー、やる気が出るから効果が上がる、ってかんじ?まあそれはそれで……」

 ひとまず、仮説は立った。

 まず、塩と水が含まれていないと聖水はできない。逆に、塩と水さえ含まれていれば、聖水になる可能性はある。

 次に、不純物が含まれる塩水を聖水にした時、不純物が一定量、消える。だが不純物を消した分、聖水の力は弱まる。聖水の力で不純物を消しきれない程度に不純物が多かったり複雑だったりすると、聖水でもないただの塩水になってしまう。

 そして、ポルタナの海水は強い。

 ……以上が今回得られた結果である。


「まさか汗も聖水になれるとは」

「私も大変驚きました……汗は案外、不純物が少ないのでしょうか?それとも清く正しく労働する方々の汗には祈りの力が……?」

 そして今、2人はポルタナの海水が最適解だということ以上に、汗が聖水になる事実に驚いている。

「明日、鉱夫のおにーさん達の汗、聖水にしてみる?」

「より強い魔除けの効果が得られそうですね」

「あと消臭効果も得られそうだよね。やっぱあの鉱山、ちょっと男臭くなってきたからさー……」

「……そう考えると、少し力を発揮しにくいような気がしてきました」

 まあ、汗はナビスの気持ちからして、聖水にするのには不向きなのだろう。どうも、ナビスの気持ちがこもりやすいかどうかで聖水の出来栄えが変わっていそうなので……鉱夫の汗は、聖水に向いているとは言い難いようである。




「次に気になるのは、攻撃力だよね……えーと、このあたりで魔物が出るのって、やっぱ海かー」

「そうですね。鉱山の魔物を狙おうとすると、地下2階のレッサードラゴンが沢山いる所へ挑むことになりますし……」

 続いて2人は海へ向かった。丁度漁に出ようとしていたシベッドに頼んで乗せてもらい、そして、海の魔物が出たところで塩の結晶を投げつける。

「えいっ」

「……何だ今の」

「聖水!」

「は?」

 シベッドは只々不可解そうな顔をしていたが、澪とナビスは塩の結晶を投げつけた魔物の動向に注目している。

「……駄目だ、じゅわーってならないね」

 だが、聖水の塩を投げつけた魔物は、聖水を掛けた時のようにはダメージを受けてくれなかった。精々、結晶をぶつけられた時のダメージが入ったか、という程度のものである。つまり、大したことが無い。ただの塩と変わりはないだろう。

「あ、あらっ?でも、魔除けの効果はでているようです。ほら、ミオ様。魔物が逃げていきますよ」

 だが、普通の塩とは恐らく異なるであろう点として……どうやら、魔除けの力は持っている、らしい。塩の結晶が落ちたあたりを中心にして、船へ近寄ろうとしていた魔物達が数匹、さーっ、と逃げていってしまったのである。

「お、おい、今のはなんだよ」

「あー、ごめんねシベちん。折角狩ろうとしてたところを逃がしちゃって」

「しかしシベッド!これは大きな発見です!大きな発見ですよ!」

 シベッドはやはり不可解そうな顔をしていたのだが、澪とナビスは少々興奮気味である。

「ミオ様!これは間違いなく、『ぐっず』向きです!お守りとして機能します!」

「だよねだよねえ!?うわー、こんなにコスパのいい実用的なグッズできるなんて思わなかった!」

 ナビスも澪も、手を取り合って大いに喜ぶ。

 全く予期していなかった結果ではあったが……どうやら、最高のグッズ候補を見つけることができたようである。




 ……そうして、10日程。

「できたー!」

「可愛らしい出来栄えになりましたね!ふふ、綺麗……」

 用意したグッズは、大きく分けて4種類。

 まずは、いつもの瓶詰聖水。こちらは従来通りの素朴な瓶のタイプの他、瓶を新たに焼いたタイプもある。新しい瓶にはナビスのマーク……波の上を走る船の模様が捺されている。多少は特別感が出ただろうか。

 2つ目は、早速生産効率が上がったらしいポルタナの塩の袋詰め。ナビスのマークが入った麻袋に塩を詰めるだけなのだが、この塩は聖水から作った塩である。つまり、料理に使うと旨味を強く感じられるのだ。この美味しさを味わってもらうために、礼拝式の聖餐には揚げて塩を振っただけの芋を出す予定である。

 3つ目は、手ぬぐい。こちらも聖水の新しい瓶同様、ナビスのマークを染めてあるものだ。生成りの麻布に淡い藍色の模様が入っていて、中々爽やかな印象に仕上がった。男女問わず使えるだろう。……現状、ナビスの信者は男性ばかりなのだが。

 ……そして4つ目が、聖水から作った塩の結晶のストラップである。

 こちらはお守りとしての効果を強めるため、藍色に染めた紐で綺麗に装飾しつつ、ストラップおよび根付として使えるようにしてある。非常に透明度の高い塩の結晶は見た目にも美しく、海を思わせる藍色の紐の装飾と相まって、如何にもポルタナらしい仕上がりになった。

 また、『誤魔化し』の為、塩の結晶にはごく薄く彫刻を施してある。彫刻とはいっても、真水でスタンプを押すだけだ。そうすると溶けた塩が細かな結晶となって、そこだけ白くなってくれるのである。

 ……そう。今回、聖水から作る塩については『誤魔化し』を施すことにした。


「聖水から塩を作ったら魔除けの効果がある結晶ができる、っていうのは内緒にしといた方がよさそうだよね」

「そうですね……うーん、いっそのこと一気に広めてしまった方が良いのかもしれませんが……ポルタナの塩が話題に上るまでは秘匿させてもらいましょう」

 今回、聖水を配布する他の聖女が現れたと知れたのは、非常によかった。『新しいアイデアを出したら真似される』ということが分かったのは大きい。

 ……他の聖女達から信者を奪うつもりはないが、信者達にはぜひ、掛け持ちはしてもらいたい。他の聖女を推すと同時に、ナビスのことも推してもらいたいのだ。そしてそのためにはまず、弱小聖女のナビスの知名度を上げなければならない。

 だが、アイデアをすぐ真似されていてはそれが叶わない。全ての人に『ポルタナの塩』の秘密を明かす前に、最低でも頭一つ分、ナビスとポルタナの知名度を飛びぬけさせてからにしたい。

 ……どのみち、他の聖女達は聖水から塩を作る、などそうそうできない。これはポルタナの綺麗な海と聖水づくりが得意な聖女ナビスが揃って初めて生まれるものなのだから。よって、『ポルタナの塩』の製法を教えたところで、それを真似できる聖女など、ごく一部の限られた地方の聖女か、あるいは……大量の塩を買い付ける財力と、多少苦手でも大量の聖水を作れるだけの信仰心を既に集めている聖女だけ、ということになる。

 今回、澪とナビスは『ポルタナの塩』の製法を秘密にすることで、強豪聖女達への牽制とし、同時に、ポルタナとナビスが一気に駆け上がるための足場としたいのだ。


 ということでの、小細工である。

 塩の結晶にナビスのマークを入れておくことでグッズとしての価値を高めると共に、『この印自体に魔除けの効果があるのでは?』と疑わせるための小細工だ。

 他にも、『かつて聖銀が産出していたポルタナの海から作った塩だからこそ魔除けの効果が生まれるのでは?』と疑わせる線も用意してある。

 コピー商品への対策は、大いに講じなければならない。それがナビスを、そしてポルタナを守ることになるのだから。




 それから澪とナビスは、またメルカッタで聖水を配り歩くと同時に、塩を売ることになった。

「こんにちはー」

 かららん、とドアベルを鳴らしながら元気にメルカッタのギルドへ向かえば、ギルドの面々は澪とナビスを見て、慌てて駆け寄ってきた。

「よお、ミオちゃん、ナビス様。大丈夫かい?あれから、聖水を配り歩く聖女様達が増えちまって……」

「ちょっとナビス様が噂になったからって、すぐに真似しやがって……俺は許せねえよ!」

 ギルドの人々は、今やすっかり澪とナビスの味方だ。澪とナビスが彼らの味方をした分、彼らもまた、澪とナビスの味方になってくれる。皆が澪とナビスを心配してくれており、血気盛んな者は怒り狂っている状態だ。

「あはは、心配してくれてありがと!でも、皆が聖水を入手しやすくなったのはいいことじゃん?」

 だが、澪はまるで気にしていないよ、というように明るく笑い飛ばす。

「それにさー、私達だって、別に聖水で人気取りしたいわけじゃ、ないし。まあ、私は多少、期待しちゃってたけど……聖水は聖女なら誰でも作れるものだしね。真似するな、って言うのもおかしな話じゃん?」

 澪がそう言えば、戦士達は『そうかもしれねえがよお……』『俺達は、ナビス様の手柄を横取りされたみてえで面白くねえんだよお……』とぶつぶつしょぼしょぼ、言うのである。早速、信者として板に付いてきているようだ。

「ありがとね。でも……これは他の聖女様達には真似できないからね!見て!」

 優秀な信者達を見回し、注目を集め……澪は、塩の小袋を取り出す。

「ポルタナの魅力を伝える聖女ナビスグッズ第一弾!ポルタナの海から作った、最高に美味しい塩だよ!」


「し、塩?」

「ええ。塩は聖水の元にするなど、清めの材料としても使われてきました。そして何より、人の体には必要不可欠なものですから」

 塩と聞いてきょとんとしていた戦士達も、ナビスの説明を聞いて『そういうことか』と納得したらしい。

「魔物と戦い、汗をかいておられる皆様には、こうしたものも必要かと思いまして」

「つまり、俺達のことを心配して用意してくれたのか!ありがとうナビス様!やっぱり俺達のナビス様は最高だ!」

 戦士達からは『ナビス!ナビス!』と楽し気に歓声が上がる。……本当にすっかり信者として板に付いてきている彼らである。

「はいはーい、皆!今日は聖水もだけど、この塩もあげるから使ってみて!」

 そこへ澪が明るく声を上げ、塩の小袋をたっぷり詰めてきた鞄をどさりと卓の上に乗せる。……馬車に荷物を載せられたのでそこまででもなかったが、塩はとにかく重いので、運ぶのだけは大変である。

「塩を袋詰めする時、ナビスの祈りをしっかり込めてもらってるからね!袋ごと持って歩いてたらちょっとは魔除けになるかもしれないし、そうじゃなくても塩なら皆、使うでしょ?ってことで、試供品!ポルタナの人達の暮らしがあるから流石に2回目以降は有料だけど、今日はこれ、全部持ってっちゃって!」

 澪が塩を配り始めれば、ギルドの面々は早速寄ってきて、大切そうに塩の小袋を持って行く。

「気に入ったら是非、ポルタナの礼拝式に来てよ!この塩はポルタナに来てくれれば売ってあげられるし……もっと強く祈りを込めた、本当にしっかり魔除けの効果がある特別な塩も用意してあるんだ!」

 澪の宣伝文句に、戦士達は興味を引かれたらしかった。まだ塩の味は分からないが、『魔除け』は彼らの職において大切なものである。その効果がある塩、となると、皆が少なからず興味を持つ。

「というわけで、私達また数日ここに滞在してるから、塩の感想とかあったら是非聞かせてね!」

 塩を配り終えたところで、澪とナビスは早速、焦げ付いている依頼を片付けにギルドのカウンターへと向かう。ギルド内で人気を勝ち得た後でも、しっかり皆の為に働いてこその聖女で勇者なのだ。


 ……そうして澪とナビスは数日間、メルカッタの町で面倒な依頼を片付けていった。

 そしてその間にポルタナの塩の評判はどんどん広がっていき……ポルタナの塩の美味しさと効能がメルカッタ中で評判となるまで、そう長く時間はかからなかったのである。

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