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地方巡業*6

「それじゃ、僭越ながら私が音頭を取らせていただきまーす!」

 メルカッタの町へ戻った、その夕方。澪はギルドの食堂で、ジュースの入ったグラスを掲げていた。

「同胞の無事を祝って!そして、勇敢なる戦士諸君に敬意を表して!そしてそして……麗しの聖女ナビスを称えてー!かんぱーい!」

 そして澪が音頭を取れば、食堂に詰め掛けている戦士達が、笑顔でグラスやジョッキを掲げるのだ。

 今宵は、澪とナビスの救助によって人命が助かったことを祝い、救助を手伝ってくれた戦士達を互いに称え合い、そして皆が澪とナビスに感謝を表するための宴会が、メルカッタのギルドで開かれることになったのである。


 やはりここは、娯楽の少ない世界なのだろう。祝い事や何か、きっかけさえあれば、皆で集まり、飲んで食べて騒いで笑い合う。それくらいしか娯楽が無いということなのだろうし、そういう文化だとも言えるだろう。

 そしてきっとそれは、悪いことではない。……少なくとも、ナビスの信仰を集める上では、この上なく、都合がいい。

 澪が眺めている先では、今もナビスが助けた3人に手を握られ、感涙と共に感謝を述べられているところだ。

 ……ナビスが神の力を用いて生命力を補填してやった彼ら3人は、意識を失っていたと思われていた間のことも、うっすら覚えていたらしい。そして『神々しい金色の光を纏った聖女様が、この世のものとは思えないほど美しく微笑んでいて……私の手を握っていてくださったんだよ!その温かいことといったら!』というように、周りの人々に話して聞かせている。

 ナビスに直接救われた者達は、今やすっかり、ナビスの信者だ。ナビスに救われて命がある、という恩以上に、ナビスの神々しさや美しさ、そして心の強さと清らかさに感銘を受けてしまったらしい。目を輝かせてナビスを見上げる彼らを見ていると、澪としてはとても嬉しい。


「本当にありがとうございました。この度は、なんとお礼を言えばよいか……!」

 そして澪の方も、最初に助けを求めてやってきた男性から礼を言われていた。

「いやー、あの人達を助けたの、私っていうよりはナビスだしさ。私はほとんど何もしてないよ」

「いいえ!あなたが最初に、俺に気付いてくれました!聖女様を促してくださったのも、あなたです!それに、俺はあなたの魔除けを見ていましたので!夜明けを切り裂くようなラッパの音……一生忘れません」

 こちらはこちらで、『最初に見たものを親だと思い込む』ような具合に、澪のことを自分の救世主だと思ってしまっているらしい。

 ナビスから聞いた『聖女と勇者』の話から推測する限り、澪への信仰もナビスの力になりそうだと思えるので、まあ、澪が信仰されても、別に構わないのだが……。

「ええー……いや、折角忘れないでいてくれるんだったらさ、もうちょっとイイ奴覚えてってよー」

 だが、折角信仰されるなら、いっそ振り切ったところまで行きたい。何事も、やる時は全力で、だ。

「ってことで!魔除けじゃーないけど、もうちょっと賑やかで楽しい奴、やるから聞いて!」

 澪はトランペットを取り出して、笑ってみせた。




 それから澪は、ギルドの食堂のステージの上でトランペットを演奏することになった。

 多少緊張はするが、楽しみも強い。どきどきもするが、わくわくもしている。澪はそんな気持ちでトランペットを構えて……先ほど、帰り道で戦士達が歌っていた歌を、トランペットで演奏し始める。

 案の定、これはウケた。澪の方を見ていなかった戦士達も、演奏が始まってすぐに澪の方を向いて、そして知っている曲だと気づくや否や、歓声を上げ、手拍子で澪の演奏を盛り上げ、そして共に歌ってくれるのである。

 ……澪の持論だが、演奏のウケは選曲で決まるものだ。知っていてノれる曲、というのは、演奏者が思っているよりずっとずっと、観客にとって大切な要素なのだ。一定以上の腕前があれば、それ以上は演奏の巧拙よりも、選曲の巧拙でウケが決まると言っていい。

 酔っぱらって盛り上がった戦士達は、澪の演奏に導かれるようにしてますます盛り上がっていく。澪の演奏に合わせて歌い、踊る者までもが出てくる。澪が帰り道で数度聞いて覚えただけの歌を巧みに演奏してやれば、戦士達は『もう覚えたのか!』と驚嘆し、『上手いもんだ!』と賞賛し、そして、大いにノッてくれるのだ。

 この光景は、中々悪くない。澪としても、皆を楽しませるのは好きだ。それが『信仰』という実利に繋がりそうなのだから、余計に楽しい。

 一曲終わって食堂が拍手に包まれると、すぐさま『もう一曲何か吹いてくれよ!』『勇者様、楽器もできるんだなあ!』『こんなに上手いラッパは初めて聞いた!』と明るくリクエストや賛美が飛んでくる。澪は笑ってそれに応え、次の曲を演奏し始める。

 とはいえ、澪の曲のレパートリーはそう多くない。この世界の曲など、ほんの数曲分しか聞いたことが無いのだから。……ということで、澪が演奏する曲は自然と、ナビスが歌った曲、ということになる。

 だが、ナビスが歌ったことのある曲はその多くが聖歌、である。大抵は厳かな曲調なので、然程場が盛り上がらない。

「うーん、やっぱりこういう曲を演奏するんだったら、適材適所ってかんじ?ねー、ナビスー」

 なので聖歌をトランペットで演奏し終えた澪は、ナビスを手招きしつつ、お願いしてみるのだ。

「ナビスの歌、聞きたいな!」




 そうしてナビスも歌い始める。

 始めは聖歌。先ほど澪が演奏したものを、本家本元、聖女の歌声で。

 これには、場が一気に静まり返る。だが、酔いが醒めるような、冷ややかな静けさではない。

 皆、心地よく酔い、夢見心地を味わうような、そんな様子でナビスの歌を聞いていた。それほどまでに、ナビスの歌は美しく、完成度が高いのだ。音楽に携わって学生生活を送ってきた澪にもはっきりと分かるほどの『上手さ』は、曲のノリの良さも知名度も何もかも無視して、観客の心を撃ち抜いていく。

 まるで、ギルドの食堂が丸ごと聖堂になったような、そんな心地を味わいながら皆でナビスの歌を聞いて……そして、歌が終わった瞬間、割れるような拍手が響いた。

 澪も思い切り拍手して、ナビスへ信仰を捧げる。……やはりと言うべきか、ナビスは今、金色の光をポヤポヤと纏っている。この場の戦士達は今確かに、ナビスを信仰しているのだ!


「……あの、皆様」

 そんな中、ナビスは皆に向かって、もじもじと……それでいて嬉しそうに、話し始めた。

「あの洞窟の中で、私とミオ様は、ホロウゴーストと戦って参りました。今、そこに戦利品として飾ってある大鎌は、そのホロウゴーストのものです」

 ナビスの話に、澪は『おや?』と思ったが、周りの戦士達は、先ほどの興奮と盛り上がりを思い出したかのように歓声を上げた。

 ……尚、ナビスが示す先にあるホロウゴーストの大鎌は、ギルドで売却予定である。それなりにいい値段が付くらしい、とのことで、澪もナビスも楽しみにしているところだ。

「その……ええと、ホロウゴーストは、強敵でした。私1人では到底、倒せないほどに」

 そしてナビスは喋り続ける。澪はいよいよ、『おや……?これは……?』と内心で焦り始めるが、ナビスはもじもじしながら話を進めるのである。

「そこで、その、どのようにしてミオ様がホロウゴースト相手に戦われていたか……僭越ながら、お話させていただきたい、のですが……聞いていただけますか?」

 遠慮がちなナビスの声とはまるで正反対な戦士達の声が、『いいぞー!』『聞かせてくれー!』と上がるのを聞いて、澪はいよいよ、『ああああああああ』と慌てるのだった。

 だが、最早どうしようもないのである……。




「そうしてミオ様は、ホロウゴーストの内部から大鎌の柄を掴み、大鎌をホロウゴーストから奪い取ってしまわれたのです!そのお姿の凛々しく、美しいことと言ったら!」

 そうしてナビスは澪を褒め称え始めた。よって澪は、居心地が悪い。只々恥ずかしい。穴があったら埋まりたい。布団にもぐって、頭まですっぽり毛布にくるまって、『ああああああああ』と奇声を発していたいくらいには、恥ずかしいのである!

「ミオ様無くして、今回の勝利はあり得ませんでした。ミオ様はやはり、勇者に相応しき勇気と判断力をお持ちのお方なのです!そして何より、ミオ様は人々を率い導くお力をお持ちなのです!」

 澪はどこか遠く、『そういや、鉱山地上部のレッサードラゴン倒した後、私、ポルタナの人相手に似たようなことやったなあ!』と思い出す。今のナビスのこの話はあの時の意趣返しだろうか。否、ナビスはそういう意地悪はしない。これは完全なる善意と憧れによるものなのである!

「……私1人だったら、皆様にお手伝い頂こうとは、きっと思いませんでした。だって、私には皆様を率いて洞窟へ向かう勇気も統率力も、有りませんから。でも、ミオ様は迷うことなく、皆様の助力を求め、皆様と共に、洞窟へ向かわれることを決断なさいました」

 ナビスが目を輝かせ、頬を紅潮させながら語るのを、戦士達は楽し気に聞いている。

 ……先ほどの『ホロウゴーストの中へ突っ込んでいった』の下りは戦士達を大いにどよめかせ、澪の『勇気』ならびに『蛮勇』を印象付けることになってしまった。そんなものだから、今、澪が照れに照れて縮こまっているのを見るのが余計に楽しいらしい。

「ミオ様は、このギルドの戦士達が勇敢であることを信じ、託すことをお選びになったのです。ミオ様は、躊躇なく人の手を取ることができる。誰かの手を取ることでその人を導き、その人が倒れそうになったときは自分が守る、という覚悟をお持ちで……そういうところを、私は尊敬しています」

「ナビスーっ!そろそろやめてー!恥ずかしいから、もうそろそろ褒めるのやめてーっ!」

 そうして澪に限界が来た。そろそろいい加減、恥ずかしい。ナビスがもじもじしながら目を輝かせて、澪について嬉しそうに語っているものだから、何か妙な扉が澪の中で開きそうになってしまった。

 慌ててナビスに飛びついてナビスを黙らせるも、その間、戦士達はにっこりと優しい笑みで澪を見守っていたり、『こういう風に仲良しの女の子同士で聖女と勇者ってのも悪くねえなあ』としみじみ頷いたり、『なんかいい!』と目を輝かせたり、なんとも温かい反応をしてくれるのである。

 澪は内心で『次に何かあったら、同じぐらいナビスのこと褒め殺しにしてやるんだからー!』と密かに誓うのだった。




 ……そうして、ギルドの食堂は再び賑やかに盛り上がっていった。その中で澪とナビスは、『女の子の勇者ってのは珍しいねえ』と声を掛けられたり、『ポルタナって今、どういう状況なんだい?』と尋ねられたりし、それに答えたり一緒に話の中に入ったりして過ごしていた。

 その中で澪が実感したのは……『ナビスが澪の武勇伝を聞かせたことは間違いなく信仰集めに役立ってしまった』ということであった。

 何せ、澪は今、『勇者』として扱われている。同時に『年頃の少女』としても扱われているが、間違いなく一目置かれているな、と肌で感じる程度には、戦士達はミオを尊敬し、尊重した接し方をしてくれた。

 そして同時に、先ほどのナビスの褒め殺しと澪の反応は、澪のキャラクターを大いに印象付けることにもなったらしい。

 ……澪は、『聖女を助けている勇者。人を頼ることを躊躇わない。非常に勇敢。それでいて、年相応の少女らしく、褒められると照れる。』そういうキャラクターとして戦士達に認識されたらしい。

 要素だけ抜き出して客観視してみれば、まあ、確かに、『ギャップ』はある、のかもしれない。裏面と表面が見えた気がして、余計に親しみを覚えたのかもしれない。そして何より、共に緊急事態を乗り越えた相手として、少々特別に思ってもらえているような気がする。

 ……まあ、つまり、非常に有効だったのだ。

 今回の一連の事件は、澪が『勇者』としてデビューするのにうってつけの、最高の舞台となった。

 想定とは違ったが、信者も増えた。ナビスが今、ほくほくと嬉しそうな顔をしながら金色に光り輝いている。つまり、信仰心が着々と溜まっている、ということである。

 ナビスに集まる信仰心の一部は間違いなく澪経由のものなのだろうから、まあ、結果オーライなのである。結果オーライ。そう、結果オーライだ。そうでもなければ、澪が恥ずかしい思いをした甲斐が無いというものである!




「さて……そろそろ私は立ち直ったので、お仕事に戻りますか……」

 戦士達と話し、ナビスとも雑談して楽しんだ後。そろそろお開き、という雰囲気の食堂の中、澪はステージに上がって、手に持ったものを皆に掲げてみせた。

「えーと、皆さんちゅうもーく!今、私の手にあるのは、聖水の瓶でーす!」

 澪が持っているのは、聖水の瓶だ。素朴な焼き物の瓶に詰められた聖水は、まあ、元はただの海水である。だが、ナビスの祈りによって確かに聖水としての力を得たものであり……どうも、聖水、というものを、戦士達は常備している訳ではなさそうなのだ。

「これ、皆にあげる!もし何かあった時の為に持っといて!」

「皆様に行き渡るよう、1人1瓶ずつでお願いします!」

 澪とナビスがそう呼びかけると、食堂の中は早速『えっ!?無料でか!?』『気前が良すぎねえか!?』とざわめき始めた。

 ……そう。ゴーストや魔物達に非常に有効な攻撃となるこの『聖水』は、本来、入手困難なものであるらしいのだ。

 だからこそ、澪とナビスは、ここで聖水を無料配布することにした。


 大抵の場合、聖水は何かの対価として聖女や教会から与えられるものらしい。教会に寄付したり、礼拝式に出たり、程度はまちまちだが、何にしても聖女の活動に何らかの貢献をして初めて得られるものなのだとか。

 だからこそ戦士達はゴーストだらけの洞窟には立ち入らないようにする。聖水という『貴重な』ものを消費しなければいけない場所には入っていかない、ということなのだ。

 ……そう。ぼんやりと分かってきたところによると、どうやら、他の聖女達は、戦士達に需要の高い聖水を希少なものとすることで、聖水を餌にして教会への寄付や信仰心を得る、という戦法を取っているらしいのである。

 だが、澪とナビスはそれを打ち破っていく。

 ポルタナにおいては聖水のコストが非常に安い。何せ、原料は海水である。綺麗な水と塩を購入する必要もなく、そして何より、ナビスは魔除けや治療を得意とする聖女なのだ。聖水づくりは然程苦ではないらしい。多少の時間はかかるが、その程度だ。半日もあれば、大量の聖水が出来上がる。

 つまり……この『聖水』は、ポルタナの資源の1つなのである。

 勿論、その資源を勿体ぶって値を吊り上げることもできるだろう。だが……そんなことをしていては、信仰心が集まらない。

 確かに聖水を『高値』で捌くようにすれば、常に一定の需要に沿って、常に一定の信仰心を得ることができるだろう。しかしそれは、信仰心が常に枯渇することの無いような強豪聖女の取れる戦略なのであって、今正に少しでも多く信者の裾野を増やして信仰心を集めたい澪とナビスに適する戦略ではない。

 そう。折角『高値』の聖水なのだから、その対価を提示してはいけないのだ。

 あくまでも聖水は、無料で配る。対価は求めない。だが、戦士達は皆、聖水が希少なものだと知っている。

 ……つまり戦士達は自ら勝手に、対価を払うようになるのだ。即ち、ナビスに対して借りができた、という感覚。今回の洞窟の一件で皆に感じさせている『恩』をより一層深くし、『信仰』へと変えていく、そんな風に彼らの心は動くのである!


 ……ということで、澪とナビスは戦士達に聖水を配った。戦士達は『身銭を切ってまで俺達の無事を願ってくれるなんて!』と感涙にむせび、或いは『こんなにぽんぽん聖水を渡せるくらい聖水づくりが得意な、優秀な聖女様なんだなあ!』と目を輝かせ……要は、信仰した。

 ナビスがぽやぽやと金色に光り輝く様子を横目に、澪は只々、満面の笑みである。ナビスが信仰されるのは当然万々歳だし……その副次的効果として、ここの戦士達が危ない時、聖水が彼らの身を守ってくれたら、更に嬉しいのだから。




 メルカッタのギルドの食堂からは、その夜、『ナビス!ミオ!ナビス!ミオ!』と楽し気な声がずっと聞こえていたのだった。

 そして、外からその声を聞き、食堂の中の様子を窺い見ていた人影があったのだが……それはまだ、澪もナビスも、知らない。

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