勇者の条件*4
「……勇者になったんだってな」
じとり、と向けられる視線は、気まずさと嫉妬に満ちている。だが、澪はその視線に真っ向から向かっていかなければならない。
「うん。ほら、私、女の子だからさあ」
あくまでも、明るく。澪だって気まずくないわけではないが、それでも明るく。能天気の振りは苦手じゃない。『私は勇者なんだぞ!勇気ある者なんだぞ!』と自らに言い聞かせながら、澪はシベッドの前に立つ。
「女子同士ならさ、ナビスの隣に立ってても、やっかまれることないじゃん?『聖女が勇者と付き合っちゃうかもー』って信者を心配させることも無いしね。そこんとこ、『勇者』は女子にしかできない役割なんじゃないかって思って、引き受けた」
後ろ暗さなど無い。そして、シベッドと敵対する気も無い。この選択は両者にとって悪いものじゃないと、澪は主張したい。
「お前は、自分が女だったから勇者になった、っていうのか?」
「うん。この村にはナビスと同じくらいの歳の女子、居ないみたいだし。丁度いいっしょ?……まあ、畏れ多いとも思うけど、それ以上に頑張りたいって、思ってる」
シベッドの気持ちは上手く読み取れないが、澪は言葉を尽くす。
「ポルタナはいいところだし、ナビスは可愛いし。役に立ちたいって、思ってるよ」
『言葉を尽くせば必ず分かり合える』などとは思わないが、言葉を尽くさずに諦めるような不誠実な真似は、したくないのだ。
「……まあ、そうだな。ナビス様には女の友達が居るわけでもねえ。そもそもこのポルタナには、ナビス様くらいの歳頃の奴は俺しかいなかった」
やがて、シベッドは息を吐いて、ぼそぼそ、と言う。
「ナビス様、楽しそうだしな」
何やら嬉しいことを聞いてしまって、思わず澪は嬉しくなる。ナビスが澪と居る時に楽しいと思ってくれているなら、嬉しい。
「お前が来てから、随分、いろんなことが変わった」
……だが、シベッドが寂しそうなので、それは、気になる。
シベッドはそんなことは言わないが、『お前が来てから随分いろんなことが変わった』の前には『俺にはできなかったのに』と前置きがあるような気がしたし、『ナビス様楽しそうだしな』の前には『前はそうじゃなかったのに』があるような気がした。
「……まあ、私はこの通り、愛想だけは十分だし、盛り上げ役としては一角のもんだって自信、あるし。そりゃー、寂れた村っくらい、盛り上げてみせるよ!」
だから澪は、そう言って笑うのだ。無神経な奴だと思われてもいい。『ミオ』はそういう奴なのだと、一周回って諦めてもらえればそれでいい。
「だから私の役割は、『勇者』なんだな、って思ってさ。多分、いろんな役割がこの村には必要だし、そもそもいろんな人がいろんな役割を担って、この世界は回ってるんだと思うけど……多分、その中で、私は『勇者』なんだ」
集団の中で、役割を得ることがある。そして、それが本人の望んだ役割であるとは限らない。
澪は吹奏楽部で、そんなことをよく思っていた。
トランペットと言えば、吹奏楽の中では花形の楽器である。真っ直ぐ進む華やかな音色も、それ故に割り当てられることの多いメロディラインも、トランペットが花形である所以だろう。
そして時には、ソロを担当することもある。会場に一筋、響き渡るトランペットの音色。それは他のどの楽器にも無い魅力を持っていて……澪はそれに魅了されて、吹奏楽部へ入部した。
……だが、当然ながら、ソロを担当できるのは1名だけだ。通常、トランペットで1stを担当する奏者がソロを担当する。
そして澪は、2ndトランぺッターだった。
1stトランぺッターには、華やかな音色や表現の豊かさ、高音域を外さずに当てる能力が求められる。そして2ndや3rdには、安定感やハモる能力、1stに追随できる協調性、などが必要になる。……が、現実としては、『一番上手い者が1stになる』ことが多い。
澪の同級生には、1stを担当する子がいる。彼女が学校で一番、トランペットが上手いのだ。そして、澪はそれに劣る。だから澪は、1stでソロを吹くようなことは、無い。
……だが澪は、己の役割をそれなりに、受け入れていた。
『リーダーじゃなくて盛り上げ役』。『皆の中心に座っているよりは、皆の間を動き回りたい』。そして何より、『銀のトランペットの、硬く鋭い音が好き』。
澪の性質は、やはり2ndトランぺッター向きだったのだ。ソロに憧れることはあったし、少々恨めしく思うこともあった。『どうして私が1stじゃなかったのかな』と思うことも。……だがそれでも澪は、自分の役割を受け入れていた。
そういうものなのだ。吹奏楽とはそういうものなのだと、澪は思っている。
吹奏楽は、誰か1人が作っている訳ではない。与えられた役割がそれぞれにあって、それに納得できることも、納得できないこともあって……だが、それぞれが居て初めて、1つの音楽ができる。
澪はそれを知っている。楽しいことも、ぶつかり合いも、心がすり減るようなことも沢山あり……そして結局、澪は退部することになったが。それでも、『己に与えられた役割を全うすること』を大切にしようという気持ちは、未だに澪の中にある。
「だから、まあ、任せてよ。私ががっつり戦って、ついでに信仰もがっつり獲ってくる!……きっと向いてると思うし、逆に、これしかできないような気もするけど」
満面の笑みで、澪はシベッドの肩を叩く。
澪の役割はこれで、そしてきっと、シベッドは彼が望んだ役割を得られなかった。或いは、自分がどんな役割を望んでいたのかもよく分かっていない。
だから澪はシベッドに対して、彼の役割を提示することしかできない。彼の役割を提示することが、できる。
「シベちんも、ナビスのファン第一号として、一緒に頑張ってこうね!」
「……は?」
シベッドの脳裏は恐らく、『意味が分からない』でいっぱいになったであろう。
ぽかん、としていたシベッドが、ようやく、口を開く。
「ふぁ……なんだって?」
口を開いたものの、今一つ、言葉は的外れなところを彷徨っている。『不器用な人だなあ』と思いながら、澪は精一杯、説明を続ける。
「ファンクラブ会員第一号。えーと、信者、っていうか……まあ、一番最初から、一番近くで、ナビスを応援してる人のこと。それで、これからもナビスを応援してくれて、味方で居てくれる人。……違う?」
澪の言葉は、彼に届くだろうか。憐憫ではなく、慰めでもなく……ただ共に1つの音楽を作り上げたいと願う心は、彼に伝わるだろうか。
「シベちん、結構ナビスのこと、好きじゃん?いっぱい心配してるしさ、ナビスの為に体張って大怪我する程度にはナビスのこと、応援してくれてるわけじゃん?」
澪がシベッドの顔を覗き込むと、シベッドは視線を地面に彷徨わせつつ、吐き捨てるように言う。
「成果が得られなかった行動に何の意味がある」
「成果が無くても気持ちはあるでしょ。で、その気持ちは信仰心で、ナビスを強くしてくれる。なら、意味はあるんだよ」
2ndトランペットにも、意味はある。ソロを吹けないからといって、価値が無いなどと、澪は思わない。
「シベちんの役割は、ナビスを応援することだよ。それのおかげで、ナビスは聖女やってるんだと思うよ」
『お前の居場所はここだ』と言ってしまうのは、残酷なことでもある。同級生が1stになって、澪が2ndのパートを与えられた時、澪が感じたことは決して忘れない。
そして他人の心を推し測るのは、傲慢なことでもある。言葉が空回りしているような気分にもなるが、それでも、澪は言葉を尽くしたい。
言葉を届かせるほどの関係性は構築できていないが、嫌われてもシベッドの負担にならない関係だとも言える。こうした厚かましく傲慢で残酷な宣言は、今、きっと、澪だけに全うできる役割なのだ。
……だが、同時に、きちんと関係のある人からなら、より言葉は届きやすい。それも澪は、知っている。
「シベッド」
凛としていながら柔らかな声に振り向けば、そこにはナビスがやってきていた。
「……ナビス様」
「ここに居たのですね。少し、探してしまいました」
「あー、ごめんごめん。シベちん見つけて追っかけて、そのままここで話し込んじゃってた」
シベちんもごめんね、と澪がへらへら謝ると、シベッドは『いや、別に』と曖昧な返事をしつつ、気まずげにナビスの前に立ち尽くしている。
「ナビスもシベちんに話したいこと、あるって言ってたもんね?」
そこで、澪が、にやりと笑ってナビスをつつけば、ナビスは嬉しそうに頷き……懐から取り出したものを、シベッドの手にそっと握らせた。
「これを。その、あまり上手くはできていないのですが……この水晶には祈りを込めてあります。多少は、あなたの守りとなるでしょうから」
……それは、鉱山から採れた水晶の美しい結晶に飾り紐を掛けた、素朴ながら美しいストラップだ。この世界では『根付』とでも言った方がいいのかもしれないが。
「これは……」
「ナビスの信者の証。第一号だよ。一番綺麗な結晶に、ナビスが紐かけて作ったの」
ぽかん、としつつもどこか希望を宿した目で水晶を見つめるシベッドに、澪が横から説明してやる。するとシベッドは水晶を見て、ナビスを見て、水晶を見て……と視線を動かしながら、じわじわと何かを受け止め始めて、同時に、戸惑い始める。
「シベッド。あなたが居なければ、ポルタナはとっくに滅んでいたでしょう。ずっと戦ってきてくれたことに、感謝を込めて、これを」
そして、ナビスの言葉を聞いたシベッドは、弾かれたように顔を上げた。
「違う。俺が居なければ……アンケリーナ様は死なずに済んだ。そうしたら、ポルタナは……」
「お母様が死んだのはあなたのせいではありませんよ、シベッド。魔物の群れ相手に、仕方のないことでした」
ナビスの手が、シベッドの手を両手で包むように握る。そしてナビスがシベッドへと向ける優しい眼差しは、幼子を前にする母のようでもあったが……やはり、信者を導こうとする聖女のそれである。
「あなたが、ポルタナと私を生かしてくれた。あなたは私の一番の信者で居てくれました。だから私は聖女として、やってこられた。その事実は何があっても、覆りません」
ナビスは、シベッドを見上げた。打算も何もなく、それ故に、真っ直ぐに届く笑顔で。
「ずっとずっと、私を応援してきてくれてありがとう、シベッド。これからも、どうか、応援してください」
唇を引き結んで立ち尽くすシベッドの前で、ナビスはもじもじと、そして嬉しそうに、澪の方を向く。
「……ふふ、やっと言えました」
「よかったねえ、ナビス」
「はい。ミオ様の仰る通り、言葉にして伝える、というのは大切なことですね」
澪はナビスと笑い合って……それからシベッドの様子を見る。
……澪の言葉が届いたかどうかは分からないが、ナビスの言葉は、間違いなく届いているだろう。
認められること。感謝されること。それは、自分の役割を受け入れるために、きっと必要なことなのだ。
澪は、1stの同級生に『ミオ、本当に綺麗にハモってくれるよねえ』と何気なく言われた時、自分の居場所はここなのだと納得できた気がする。
……それは諦めにも似て、ちょっぴり残酷で、だが、きっと、必要なことだった。
「あ、そうだ、シベちん。海の魔物を倒しに行くの、見学、いつさせてくれる?都合のいい日、ある?あ、でも、シベちんの体調最優先でね?」
「……なら、明日、行くか?」
「ほんと!?なら明日行く!鉱山行ってからそのままシベちんとこ行くから!あ、どこ集合にする?」
「それでしたら、桟橋に集合しましょう。ふふ、私も海に出るのは久しぶりです」
何事も無かったかのように話しながら、3人で、会場の方へと戻る。
シベッドの手が大切そうに水晶のストラップを握っているのを見て、澪は、ちょっぴり安堵した。