最初の礼拝式*1
数分後。
「えーと、私達、お互いに落ち着いた、かな……?」
「は、はい!落ち着きました。あの、神よ、取り乱して申し訳ございませんでした……」
両者ともに、一旦の落ち着きを取り戻したところで、澪は美少女に向き合う。
「あの、ここ、どこだろう。私、自分がどうしてここに居るのか、よく分かってないんだけれど……」
改めて、澪は周囲の様子を見る。
ざざん、ざざん、と絶えず波音が聞こえるここは、どうやら海辺の洞窟の中であるらしい。洞窟の外に見える日差しは強く、空は青く、夏を思わせるのに、洞窟の中はひんやりとしている。現代日本のコンクリートジャングルとのギャップが大きい。このギャップ故に、澪は『ああ、ここは私が居た場所じゃないなあ』とすんなり納得してしまった。
そして、今、澪が居るのは、そんな洞窟の中、浅く海水が湛えられた上に設置されている、白い石の祭壇である。
澪にはまるで身に覚えのない状況なのだが……どうも、この辺りの事情を、目の前の美少女は知っていそうである。『知っていてくれお願いだから』という気持ちで、澪は美少女を見つめた。
「ここはポルタナの祭壇です。そしてあなたは神の国におわしましたところを私の祈りに応えてくださった……のですよね?」
美少女は白銀の髪を揺らし、勿忘草色の瞳を潤ませて、柔らかな微笑みを湛えている。
「祈りに、応え……?えーと」
が、澪には覚えが無い。このような美少女に応答した記憶など。
……と思って、よくよく思い返してみると……記憶に引っかかる、側溝からの呼び声。あれは、もしや、目の前の美少女の声ではなかっただろうか。
「えーと……もしかして、あの、『力をお貸しください』っていうのが、あなたの祈り、だった……?で、私はそれに返事したから、ここに居る……?あ、そういうことなの……?」
まるで理屈は分からないが、どうやら、そういう風にできている、らしい。澪は、ほとんど知らない言語を読み解こうとしているような気分で、自分の中に推測を組み立てていく。ひとまず、これがこの『世界』のルールであるらしい、と。
「あ、あの……もしやあなたは、まるきり理をご存じないまま、私の声にお応えくださったのですか……?」
「え、あ、うん、まあ、その、いやー……」
驚愕と少々の不信、そして強い疑問の視線を向けられて、澪は『これ、下手打ったかなあ』とぼんやり思う。うっかり側溝の人助けをしようとして、変な所へ来てしまった。しかも自分は『神よ!』と崇められるときたものだ。とんでもないことになってしまったこの状況を鑑みると、まあ、『下手を打った』と言えるだろう。
だが。
「助けて、って言われたら、助けるじゃん?助けないにしろ、一応、そっち見るじゃん?そういうもんじゃ、ない……?」
ねえ、と、澪は同意を求めてみる。我ながらバカだよねえ、とは思いつつ。
……それでも澪は、こういう人間なのだ。バカでも神でも、こういう人間なのだ。『変なところへ来ちゃったなあ、変なことになってるなあ、まずいよなあ、どうしようかなあ』と思いながらも同時に、『まあ、側溝に落ちて死にかけてる人はいなかったみたいだからそれはよしとしよう』と思ってしまうような、そういう人間なのである。
「……成程」
ぽかん、としていた美少女は、やがて、ほう、と息を吐いて、瞳を輝かせて、澪を見上げた。
「やはり、あなたこそが我らの神です」
「へ?」
「利も無く、義理も無く、それでも助けに応じてくださる慈愛に満ちた御心……深く感謝致します」
「いや、あの、そういうのじゃなくない?私、もっと軽ーいかんじで来たけど?あの、ねえ、ちょっと」
きらきらきら、と純粋な尊敬と信仰の目を向けられて、澪としては非常に居心地が悪い。ましてや相手は美少女だ。澪も、身なりに多少は気を使う女子高生ではあるが、目の前の美少女は間違いなく天然ものである。天然の、美少女。それも、現実離れした容姿の、美少女だ。そんな美少女に『神よ』と讃えられていては、こう、何かおかしな扉が開いてしまいそうである!
「……ねえ、あの、ちょっといいかな」
「はい、何でしょうか!」
澪は、自分の中のおかしな扉にタックルをかましてバタンと閉じつつ、提案を図る。ひとまず、自身の心の安寧と……『これから』のために。
「その、『神』っていうの、やめない?なんか、落ち着かなくって……いや、多分私、神じゃないし……」
きょとん、として首を傾げるナビスを見て、『ああ、本当にこの子美少女だなあー!』などと思いながら、澪は笑って、手を差し出す。
「私、澪っていうの。帆波、澪。ね、友達は皆私のこと、ミオって呼ぶからさ。あなたもそう呼んでよ」
差し出した手に、美少女は戸惑っているようだった。澪の手に視線を落としながら戸惑う様子が、なんとも初々しく、可愛らしい。
「それで、あなたの名前は?」
だが、澪がそう尋ねると、美少女はようやく、意を決したように澪の目を見上げた。
「私は、ナビス・ラーフィカ・エクレシア。この地、ポルタナの聖女です」
そして、そろり、と美少女の手が伸びてきて、恐る恐る、といった様子で、澪の手に重ねられた。
「その、お名前を口にするなど、恐れ多いことですが、そう、お望みであるならば……」
「や、恐れ多くない、恐れ多くないから」
澪の手を、きゅ、と両手で大切に大切に握って……美少女ナビスは、眩しそうに笑みを零す。
「ようこそおいでくださいました……ミオ、様」
澪は内心で『様付けは免れないのかー』と思いつつ、ひとまず一歩前進したのだ、と前向きに捉えることにして、ナビスの手を握ってふりふりやりつつ、『よろしく!』と笑みを向けるのだった。
さて。
自己紹介は終わった。そして、どうやらここが、澪の知らない法則に遵って回っている、澪の知らない世界であるらしい、ということも、薄々分かっている。
となれば、次に理解すべきことは……これである。
「……バカみたいなことを聞くんだけどね?あのさ……」
澪は、尋ねる。
「私って、神?」
「はい!あなたは神です!」
「そっかー」
そしてナビスの返答を聞いて、天井を仰ぐ。私、どうやら、神らしい。
……澪は『神ってなんだっけ』と思いつつ、ちょっぴり途方に暮れる。生憎、澪はただの女子高生である。多分、神ではない。
「……あのね、ナビス。えーと、多分私って、神、ではない、と思うよ。どちらかというと、ただの迷子だよ」
ひとまず、ただの女子高生が神にされては大変だ。ひとまず、訂正する。
……澪の頭の中には、ちら、と、『このまま神様だって誤解されてた方が得じゃない?』という考えも浮かんだのだが、すぐさま『いや、神様のフリができる度量は私には無い!』と打ち消した。ただの小市民に、神のふりは、あまりにも荷が重い。
「そう……なのですか?しかし、ミオ様は……唐突に、ここへおいでになりました。神の国からおいでになった神でないとしたら、一体……?」
「神の国かは別として、別の世界から来ちゃった気はする」
神のふりをする気は無いので、さっさと打ち明けてしまうことにする。澪は相手を出し抜いたり自分にとって有利にことを運んだり、といったことが、得意ではない。なので澪が選ぶ戦略は、『その場で一番信頼できそうな人にさっさと自己開示してしまう』というものになりがちだ。『正直でいるということはシンプルで良い戦略だ』と澪は思っている。
「ああ……ということは、ミオ様はこの世界の理も、神と聖女の関係も、ご存じない、のですね?」
「うん。そうなの。だからただの迷子、っていう方が近いというか……まあ、割と困ってるの。もしよかったら、色々、教えてくれると嬉しいんだけど」
期待外れだったかなあ、ごめん、と澪は内心で申し訳なくなりつつ、目の前で困惑しているナビスに頼ることにする。
どうやら、澪は異世界に来てしまったようだが。ついでに、何も分からない状態ではあるが。だが幸いにして、澪にはこの、ナビスという美少女が付いていてくれる、らしい。
だから、知らないところでいきなり独りぼっち、は回避できた。事情もある程度、分かりそうだ。好意的でいてくれる人が付いていてくれるのは、ありがたい。
「迷子……望まれずしてこちらへ顕現してしまわれた、という状態でしょうか……うーん、こんなこと、他に例を聞いたことがありませんから、私の分かる範囲で、という事になりますが……分かりました。僭越ながら、この世界の理について、お話しさせて頂きます」
ひとまず澪は、ナビスからこの世界の理とやらを聞くのであった。
不安半分、好奇心半分、くらいの割合で。
この世界は、神の力で回っている。
神の力で民を癒やし、悪しき魔を祓い、作物を豊作へ導く……といったように、この世界の人々は生活しているらしい。
そしてその神の力は、『信仰心』を捧げることによって手に入る。
その『信仰心』を民から集めるのが、ナビス達『聖女』の役目であるのだという。
『聖女』は人々を集めて礼拝式を開いたり、慈善活動を行ったりすることで『信仰心』を集める。そして『信仰心』を捧げることで『神の力』を得て、『神の力』を行使して民を救い、それによってまた『信仰心』を得る……のだそうだ。
つまり、ナビスの役目は、『信仰心を集め、神の力を行使する』ということになる。
……そして一方の、『神』であるが。
どうも、ナビスの言うところによれば、『神』というものそれ自体、はっきりした形がある訳でもなく……ざっくばらんに言ってしまえば、『人々の心の拠り所』であればそれが『神』になるようだ。別に、『神の国』を奉っているわけでもなく、何を奉るかは聖女ごとに異なる、と。ただ漠然と、『神』へ祈りを捧げれば神の力によって確かに救われるので、その『神』が何かについては、割とどうでもいいらしい。
澪についても、偶々ナビスが祈っている祭壇に急にやってきてしまったものだから、『神よ!』と崇められてしまっているだけであるようだ。
……とんでもない宗教である。
いや、もしかすると、これは宗教ですらないのかもしれない……。
ナビス達、聖女というものは、それぞれ祭壇を設け、そこで祈りを捧げることで『信仰心』を『神の力』に変換しているのだという。
大抵は地域ごとに祭壇と聖女があり、それぞれに『神の力』を得るべく祈りを捧げている、のだとか。……つまり、この世界において、『神』というものは1つではない。地域ごとに『神』がそれぞれにあり、地域の聖女達がそれぞれに、民から信仰を集めて、神の力を行使している、と。
……澪は『成程、多神教っぽいかんじかー』と納得した。
「……ということは、私って、その、異世界から来ちゃった、っていうだけで、『神』ではない……のでは?」
「うーん……そう、なのかもしれません。しかし、ミオ様のように、このように突然いらっしゃる方の例を、他に存じ上げませんので、なんとも……やはり、神の力がなにかしら働いたように思えるのですが」
さて、困った。
この世界のルールが分かった上で、澪は更に困ることになってしまった。
やはり澪はただの迷子のように思われるのだが、それはそれで困る。『私って神!?』という身の丈に合わない悩みは消えたが、『私は迷子!』というどうしようもない悩みはそのままである。
「ちなみに、私が元の世界に帰る方法、とかは……知ってたり?」
迷子である以上、澪は帰り道を探しておきたい。流石に、見知らぬ世界にいきなり永住、というのは、ちょっと考えたくない。
「……恐らくは、神の力を行使すれば、可能です」
すると、ナビスはそう、言った。内容は実に喜ばしい。澪は『おお!』と歓喜し……同時に、ナビスの浮かない顔が気になる。
「とは思う、のですが……」
ナビスは、へにょ、と萎れた花のようになってしまいながら、続けたのだった。
「……申し訳ございません、ミオ様。私は未熟な聖女なのです。民から集められる信仰心も然程多くなく、この地を救うことすらままならぬ状況……到底、神の国への門を開く程の信仰心は、捧げられそうにありません」
「……成程ー」
萎れるナビスの前で、澪は納得し……ぱっ、と笑みを浮かべた。
「つまり、私は元の世界に帰るために、ナビスを手伝って、信仰心?を集めればいい、ってことなのかな」
「え?」
ナビスは困惑していたが、澪は目の前に差し込んだ光明を確かに感じ取っていた。
「何をすればいいのか分からないけれど、私にできることがあったら手伝わせてほしいな。どうやら私、そうするっきゃなさそうだし……」
何をするべきか、ひとまずの行動指針ができた。これは喜ばしいことである。
ひとまず、やってみてダメそうならまた考えよう。澪は前向きに、そう考えた。何せ澪は、この通りの前向きな性分なのである。
ナビスは暫し、ぽかん、としていた。……だが、やがて、くすくすと笑い出す。
「……やはり、ミオ様は我らの神にあらせられるのでは、と思ってしまいますね」
澪はナビスを見て、『笑うと余計に美少女だなー』と思っていたが、『神じゃないぞー』とも思う。神ではない。澪は、神ではない。多分。
「……丁度、今宵は信仰を集めるため、礼拝式を執り行います。そこで信仰心が得られることでしょう。それだけでは到底、神の国への門を開くには足りないでしょうが……得られた神の力によって、この地を救っていくことができれば、或いは……」
ナビスは澪の手を取って、じっ、と澪の目を見上げてくる。
「あなたがここへいらしたこと、決して何の因果も無いものとは思えません。神の力がなにかしらか働いたことは確かです。そしてミオ様が神ではないと仰るのであれば、それこそ、神が遣わして下さった御使いであるとしか思えません」
そうなのかもね、と澪は思う。
確かに、何か、不思議なことが起きたから、澪はここに居る。澪が急に世界規模の迷子になったことには何の意味も無いのかもしれないが……折角なら、よりロマンティックな方に想像を膨らませてみてもいいだろう。
つまり、澪はきっと、ここに来るべくして来たのだ、と。
ここに助けを求めるナビスが居て、だから澪は、彼女を助けるために、ここへやってきたのだ、と。
「どうか、今宵の礼拝のため、力をお貸しください、ミオ様!」
「了解!私も助けてもらうこと、沢山ありそうだし……これからよろしくね、ナビス!」
改めて握手して、2人の少女は互いの善意を確かめ合う。澪はナビスを信じるしかない状況であるし、ナビスもまた、澪に頼りたい状況であるらしいので……その握手は、しっかりと固いものになった。
「では、ポルタナの村へご案内致します。ミオ様、どうぞ、こちらへ」
「うん。……うわっローファーだとめっちゃ滑る!あぶなっ!」
2人の少女は海水に濡れた岩場を歩いて、洞窟を出ていく。
ひとまず……近隣の村、らしい場所へ。