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勇者の条件*3

 ということで澪は、ナビスに説明を始める。

「いやー、私の世界ではさあ、時々あったのよ。アイドルの熱愛報道」

「あいどる……?」

「うん。まあ、聖女、みたいなの」

 聖女はアイドルなので、アイドルは聖女である。そういうことにした。そういうことにして、澪は話を続ける。

「で、まあ……アイドルが誰か1人と恋人同士とかになっちゃうと、ファンが、とんでもない打撃を受ける」

「えっ」

「ほら、実際にそのアイドルとお付き合いできるとか夢見てるわけじゃなくてもさ、そのアイドルが『皆のもの』から『誰か1人のもの』になっちゃうのって、やっぱり、こう、ファンからしてみると悲しいものがあるっぽくて」

 実際のところは『ガチ恋勢』なるものが居ることは澪も知っている。が、今は伏せておくことにする。さもなくば、ナビスが怯えるような気がしたので……。

「で、多分、あるでしょ?聖女様と勇者様がくっついちゃう例って」

「は、はい。ありますね……」

「その土地って、結構、荒廃するでしょ」

「まあ、大抵は他の聖女が業務を引き継ぐのですが……う、うーん、確かに、荒廃とまではいかずとも、勢いは失います、ね……」

 ナビスは、うんうん、と深く頷く。やはりこの世界でもアイドルの恋愛はご法度であるらしい。

「それでさ、多分なんだけど……この世界において、聖女様が特定の男にうつつを抜かしてる状態って、相当、批判されるんじゃない?」

「そうですね。『聖女は神に仕える身であるのに恋愛など何事だ』という批判があると聞きます」

 澪は『だよねー』と相槌を打ちつつ、納得する。だって、聖女だ。聖なる女なのだ。となると、言ってしまえば『清純派アイドル』。清らかなイメージをある程度保っている必要がある清純派アイドルは、余計に恋愛に厳しくなくてはならないのだ。

 そしてやはり、清純派であろうがなかろうが、アイドルとは、偶像。人々の憧れと、夢の矛先。そこに居る以上、『男ができる』ことについて信者達の目が厳しくなることは間違いないのだ。

「そう。多分、勇者を雇うことの最大のデメリットは、それだと思うんだ。ズバリ、『勇者が聖女を盗っちゃうかも』っていう不安を、信者達に与えてしまう!」

 であるからして、『勇者』という、見目麗しく乙女の憧れとなるような『男性』が聖女の隣に居ることは、間違いなく、信者の一定層に不安と不信を与えてしまうのである。

 これが、『男勇者』最大の弱点なのだ。


「……で、そこで、だよ、ナビス!勇者最大のデメリットは……『女』を勇者にすることで、ある程度消せる!聖女の隣に居るのが女なら、信者はそんなに心配しなくていい!そして、私とナビスがくっついてても喜ぶ男は多くても嫌がる男は少ない!」

「あら、そうなのですか?」

 ナビスが少々嬉しそうな顔をするので、澪は『そういうとこだぞナビス!』と心の中で強く強く思った。そういうとこなのである。そういうとこが可愛い。そして若干、心配。

「そして女性人気については、女だからこそ、女の子の理想の男性像を演じることができるってわけで……まあ、メリットはそれなりにある、と思う!」

 ナビスが目を輝かせて頷いてくれるので、澪はそれを少々申し訳なく思いつつ……この完璧な作戦の、唯一の欠点に言及する。

「まあ、問題は……その、私が女性人気をね?獲れるか、って話なんだけど……マジで自信無いよ、これは!」

 そう。澪は普通の女子高生。

 今から男装の麗人になるのは、中々厳しいものがあるのである!




「いや、私の世界にも居たよ?女性が男性を演じるっていう……逆もあるけど、まあ、そういうの、あったよ?」

「まあ、素敵!」

「でもそれってめっちゃ鍛錬積んでやってるものだからさ……一朝一夕にできるもんじゃないよね」

 澪には、いきなり乙女達の心を掴める自信は無い。流石に、無い。

「いや、それでも『聖女と一緒に戦えて、聖女を盗らない勇者』が手に入る訳だから、私が勇者をやるのってメリットが無いわけじゃないんだけどさ……」

 最悪、女性信者を得られなくてもいい。男性信者をより多く獲得しやすく、男性信者の離反を起こしにくいというだけでも『女勇者』の価値はある。あるのだが……。

「問題ありません!」

 だが、ナビスは澪の手をしっかり握ってそう言い切り……そして、言い切っておいてから、そっと頬を赤らめ、目を伏せた。

「……だって、私から見ても、ミオ様は素敵な方なので……」

 もじ、と恥じらう。恥じらいながら、ちら、と伺い見るようにこちらへ向けられるナビスの目の、なんと熱っぽく可愛らしいことか。

「撃ち抜かれたぁ……うわ、ナビス、ナビス、今の、今のすっごい……すっごいよナビスぅ……ナビスかわいいよぉ……」

「う、撃ち……?それは一体、どういう……?」

 もじもじしながらも戸惑うナビスを見て、澪は、思った。

 まあなんとかなるかぁ、と……。




「ところで、私が勇者になっちゃうとシベちん、拗ねない?」

「拗ね……?シベッドが、ですか……?確かに、彼は、その、私に負い目があるようですが……」

「うーん……そうかー、そういうかんじかー」

 きょとん、として首を傾げるナビスを見つつ、澪は『しゃーない、シベちんには後で私からフォロー入れとくかあ』と考えておくのだった。




 そうして始まった礼拝式。

「ナビス様はー!?」

「かわいーい!」

「ナビス様はー!?」

「つよーい!」

「ナビス様はー!?」

「さいこーう!」

 ……礼拝式では、鉱夫達が早速、ポルタナの洗礼を受けていた。要は、ナビスコールに巻き込まれていた。

 村人達が『ナビス!ナビス!』と声を上げるのに合わせて、鉱夫達も『こりゃなんだ』という顔をしつつ、『ナビス、ナビス』と声を合わせ始める。

 だが、そんな戸惑いもすぐに消えていく。何せ、このナビスコールなり何なりを扇動していくのは、鉱夫達とも仲の良い澪なのだから。

「みんなー!今日は、鉱夫さん達が沢山ポルタナに来てくれたお祝いってことで、盛り上がっていこーねー!」

 いえーい、と澪が拳を空へ突き上げれば、テスタ老が『いえーい!』と続き、それにつられて村人達が盛り上がり始める。そうなればすぐに鉱夫達も続いて、ポルタナの夜は盛り上がっていくのである。

「ってことで、鉱夫のみなさーん!ポルタナに来てくれて、本当にありがとーう!」

「私達ポルタナの民は、鉱山で働く皆様を心より歓迎します!どうか、これからも我らと共に居てくださいませ!」

 澪とナビスが挨拶すれば、鉱夫達は嬉しそうに頷いてくれる。やはり、美少女に笑顔で歓迎されて嬉しくない者など居ないのだ。


 それから聖餐……という名のパーティーが始まり、皆が飲み、食べて盛り上がっていく。そしてそこここでは『ナビス様はかわいいなあ!』『ナビス様は最高だなあ!』と笑い合う村人達と、恥じらうナビスの姿が見られた。

「いやー、ミオちゃん、こりゃなんだい?ポルタナではこういうのが普通なのかい?」

 そんな村人達の様子を見て、鉱夫の1人がミオに尋ねてくる。不審よりも好奇心の強そうな彼の顔を見上げてにやりと笑い返しつつ、澪は胸を張って答える。

「ん?ポルタナ式の『ナビスに信仰心を捧げる儀式』だよ!こないだからこれが普通になったからよろしくね!」

 半ば呆れ、半ば楽しそうに笑う鉱夫は、『そうかー』とけらけら笑ってくれる。だから澪もまたにんまり笑うのだ。やはり笑顔を交わし合うと、すぐに心が通い合う。こういうやり取りは、悪くない。

「それに、こういうの、結構楽しいっしょ?」

「ま、そうだな!小さな村の礼拝式っていうと、もっと堅苦しいのを想像してたぜ」

「へへへ。いっぱい楽しんでいってよ。皆で楽しんで、それがナビスの力になって、ポルタナがもっと良くなっていくからさ!」

 澪がそう言って鉱夫の背中をぺしぺし、と叩くと、鉱夫はにやりと笑って、『ナビス!ナビス!』の輪に入っていった。


 ……集まった鉱夫達は、元々がギルドの食堂でのノリと勢いに促されてやって来た者達だ。ノリの良さと適応力の高さは折り紙付き、ということなのだろう。

 そう。彼らは、『神に』ではなく、『ナビスに』信仰心を捧げることについて、特に異を唱えなかった。ナビスの話を聞いていても思ったことだが、やはり、この世界において宗教というものは非常に曖昧で、ぼんやりとしているのだろう。多神教特有の緩さのような気もするし、それ以上の緩さのような気もするが。

「さて、今日のナビスは……おおー、光ってる」

 そして、村人達と鉱夫達のコールを受けたナビスはというと、前回以上に光り輝いていた。

 酔った鉱夫達は遠慮なく、『ナビス様は可愛いなあ!』『こんな美少女は中々どうして見ないもんだ!』と褒め称える。そしてナビスは褒め称えられては『あわわわわわ……』とおろおろし、その様子がまた可愛らしいものだから、最早これは永久機関である。

「ナビス様ー!歌ってくれよー!」

「ナビス様の歌は世界一ぃー!」

 村人達や鉱夫達の声に応え、ナビスが歌い出す。聖歌の中でも比較的テンポの速い、要は『ノリのいい』曲だ。主に祭の際などに歌うものらしいのだが、今の状況にはぴったりと言えるだろう。

 皆がナビスの歌に聞き入る中、澪は『もっとノリのいい曲も用意していかないとかなあ』と思う。レパートリーの多さは大切だろうし、何せ、これから先もナビスの歌唱力は彼女が人気を勝ち得るための武器になるだろうから。




 ……さて。

 そうしてナビスの歌が終わった後で。

「あの……本日は、皆様にお知らせがございます」

 ナビスは改まって、そう切り出した。少しばかり緊張した面持ちの中には、隠しきれない喜びと期待。それを見る村人達も鉱夫達も、『なんだなんだ』とナビスへ注目していく。

「ミオ様、こちらへ」

「はーい」

 澪は少々気恥ずかしく思いながらも、ナビスの横へと並んだ。

 澪はナビスよりも身長が高い。こうしてナビスの横に並べば、確かに聖女様を守る勇者のように見える、かもしれない。

 いや、見えなければならないのだ。澪はナビスを守り、共に戦う勇者になる。

「この度、ミオ様を聖女ナビスの勇者に任命致しました」

 ナビスの発表に、皆がどよめく。そのどよめきは『おお、ミオさんが!いいねえ!』というようなものであったり、『女の子の勇者ってのは初めて聞くなあ』というものであったり、様々だ。……だが、戸惑いはあっても、悪意は無い。それに勇気づけられて、澪は一歩、前に出る。

「えーと……突然来た私が勇者だなんて、ちょっと恐れ多いかな、って思うけれど……でも、私、勇者になる!勇者になりたい!」

 あくまでも、堂々と。自信を持って。さながら、吹奏楽コンクールの舞台の上に立った時のように。『さあ御覧じろ!』という、挑戦的な気持ちで。

「勇者としてナビスを守るし、ナビスを誰よりも高みへ連れていく。ポルタナを盛り上げていきたいし、皆を喜ばせたい。それで、ナビスに笑顔で居てほしい!」

 澪の気持ちは、皆に届くだろうか。……否、届かせるのだ。

 届かせる。無理矢理にでも、届ける。そして皆を引っ張っていく。何故なら澪は、勇者だから。

「やってみせるよ。まだまだ沢山、考えはあるんだ。ナビスもポルタナも、こんなところじゃ、まだまだ終わらせないから!」

 澪は自信と希望に満ちて、皆を見渡す。

 娯楽の少ないこの世界で起こった『ポルタナの勇者誕生』という珍しいイベントを喜ぶ者が多い。そしてナビスが嬉しそうにしていることを喜んでくれる者も居て……そして嬉しいことに、『ミオちゃーん!がんばれー!』『ナビス様をよろしくー!』と声を上げてくれる者も、居るのだ。

「だからこれからも、よろしくね!」

 澪は満面の笑みで挨拶すると、一旦教会の中へ戻り……そして、『相棒』を連れて戻ってくる。


「ってことで、『勇者』から皆様へ、改めての挨拶代わりに一曲!演奏させて頂きます!」

 澪の手にあるのは、トランペット。

 澪がこの世界に来る時に持ってきた……澪が中学生の頃からずっと吹いてきたトランペットだ。




「へー、複雑な形だねえ」

「そ。ここを押すと管がこっちに繋がるようになって、そうすると長さが変わるから音の高さが変わるでしょ?」

「おお……なんて素晴らしいんだ!作ってみてえなあ!」

 澪のトランペットは、村人や鉱夫達の興味を大いに引いた。何せ、澪が今までに吹いてきたものは、あくまでも単管のラッパ。B♭とF、そしてDの音が出る程度のものなので、演奏といっても至極単純な音の並びを発することしかできないのだ。

 だが、澪が中学生の頃から吹いてきたこのトランペットは、違う。

 ピストンを押すことによって管の長さを変え、出る音の高さを変えることができるのだ。これならば、全ての音を出すことができる。

「じゃ、いくよー」

 澪はぷるぷると唇を震わせてから、そっと、自分のトランペットを構える。

 ……久しぶりだ。久しぶりの感覚に、肌がざわめくような感覚を味わう。けれど、嫌ではない。澪はずっと、こうしたかった。

 海と山に挟まれた、この美しい景色の中で思う存分トランペットを吹けたら楽しいだろうなあ、と、ずっと思っていたのだ。


 澪が奏でたのは、『歌劇イーゴリ公』の『韃靼人の踊り』だ。

 本来ならオーボエやクラリネットの曲だが、トランペットでも吹ける。そして澪は、トランペットで奏でる『韃靼人の踊り』が好きだった。

 旋律はしっとりとして物悲しいながらも、トランペットのはっきりとした音色によって、どこか勇ましさを持った音楽となる。

 澪の演奏が、ポルタナの夜風に混ざって流れていく。それを感じながら、澪は只々、演奏を楽しんでいた。

 誰かに聞かせていることなど忘れて、ただ、自分の為に吹いた。長らく吹いていなかったトランペットだったが、次第に勘を取り戻してくる。次第に演奏はより滑らかに、高らかに鳴り響くようになっていった。

 ……そうして澪の演奏は、そっと終わった。




 澪が音の余韻の残る空気の中、トランペットからそっと口を離すと、途端、割れるような拍手が響いた。

「すごい!素晴らしいです、ミオ様!」

 そして真っ先に、ナビスが声を上げてやってきた。興奮気味のナビスのため、まずはトランペットをケースにしまってから、澪はナビスにむぎゅうと抱き着いた。

「へへへ、私も楽しかったー!」

 ナビスは未だに、きゅうきゅう抱き合うようなやり取りには不慣れであるらしい。澪がこうして抱き着くと恥ずかしがるので、それがなんとも可愛らしいのだ。

「実に勇ましく、麗しい……ミオ様は本当に、伝説の勇者様のようです」

 澪の腕の中、ナビスはうっとりとこちらを見上げてくる。とろけるような勿忘草色の瞳があまりに美しくて、澪はうっかり、自分の内の変な扉を開いてしまいそうになる。

「いやー、すごいねえ、ミオちゃん!」

 が、澪が自分の中の扉にタックルをかましている間に、鉱夫や村人達がやってきて、口々に澪を褒め称え始めたので意識はそちらへ向く。

「見事な演奏だったよ!」

「ミオさん、これで食っていけるんじゃないかい?」

「そうそう。ここじゃーアレだけどよ、王都とか、王都でなくてもちょっと大きめの町に行けば、これだけで十分にやっていけるよ!」

「いやー、私なんかダメダメだよ。もっとうまい人、幾らでも居るっしょ」

 謙遜しつつ、『今の、あんまりよくない返しだったかなあ、素直にお礼言った方がよかったかも』などと反省しつつ、澪は少々おどけて胸を張る。

「ま、これからもラッパで魔除けしていくし。こういう特技の勇者様ってのもいいでしょ?ね?」

 澪の言葉に、皆が大いに喜ぶ。まあ、一芸を持った勇者というものも悪くないはずだ。トランペットではナビスの歌と合わせるのは難がありそうだが、2人とも音楽ができるというのは大きい。これを売りにして2人でアイドルユニットとしてやっていくことも、まあ、できるだろう。

 澪が計画を立てている間に、村人達の間から『ミオ!ミオ!』と声が上がり始める。その声の中にはナビスの声も混じっていた。ナビスは村人達の中に埋もれてしまわないように、とばかり、拳を天へ突き上げて、『ミオ様!ミオ様!』とはしゃいでいた。

 澪は思わず笑ってしまいながらナビスに近づいて、むぎゅ、とナビスを抱きしめる。そしてそのまま、『ナビス!ナビス!』と声を上げれば、皆の合唱も『ナビス!ミオ!ナビス!ミオ!』と賑やかに混じっていくのだった。




 ……そうして一頻り盛り上がった後。

 澪は、教会の庭の裏手の方に、ちら、と長身を見つけて、そちらへ向かう。するとその人影は逃げ出すように動いた。

「あ、シベちーん!待ってー!」

 だが、澪が声をかければ流石に止まる。

 ……シベッドは何とも気まずげに、駆け寄る澪を見つめていた。


 澪はシベッドと話がしたかったのだ。恐らく彼は、澪に自分の立場を奪われたように感じているだろうから。だから、きちんと話したかった。

 勇者である以上、澪は、ポルタナの皆を誰1人だって見捨てたくないのである。

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