鉱山奪還作戦*3
聖水の投擲も、もう慣れたものである。澪が投げつけた聖水は、ゴブリンロードの頭部に1つ、肩のあたりに1つ、そして足元に1つ、命中した。
頭部への直撃は勿論、ある程度のダメージを期待できるだろう。そして案外、足元への命中も悪くなかった。足を聖水に焼かれたゴブリンロードは、動きを大いに鈍らせてくれたのである。
あの巨体で突進でもされたら、対処に困っただろう。ひとまず、相手が動きにくくなったというのは大きい。
「よーし、このまま遠距離から片付け……」
だが、ワンサイドゲーム、とは、いかないらしい。
「うわっ!」
「ミオ様っ!」
ヒュッ、と風を裂いて澪の胸へと飛んできたのは、矢。
……この魔物はどうやら、弓を使うらしい。
澪は咄嗟に、やられた、と思った。……だが、胸のあたりに多少強い衝撃を受けただけで終わる。
矢は、澪に突き刺さることなくその場に落ちていた。
「ミオ様!ご無事ですか!?」
「あ、大丈夫大丈夫。えーと、多分、ナビスのおかげで助かった」
矢は、澪に纏わりついた金色の光によって、食い止められた。だから、澪は無事だった。これは間違いなく、ナビスの力によるものだろう。
……もう少し澪がゴブリンロードの近くに居たり、ナビスの対応が遅れていたりしたならば……間違いなく、胸を射抜かれていた。
その緊張感に、どっ、と厭な汗が流れる。
「あいつ、だいぶ文明的じゃん……?」
澪の視線の先では、憎悪の視線をこちらに向けてくるゴブリンロードが、2本目の矢を番えているところだった。まぐれや偶々で矢が放たれたわけではなさそうである。
「ええ……ゴブリンは賢い魔物です。体躯こそ小さい個体が多いですがそれを補うように、武器や道具を使う知恵を持っています。そしてゴブリンロードはゴブリンの中でも……」
ナビスもまた、緊張からか汗を流しながら、じっとゴブリンロードを見つめ、言った。
「特に賢く、体躯も大きい。非常に厄介な相手です」
ナビスの言う通り、ゴブリンロードは厄介な相手だった。
何せ、矢が飛んでくる。確実に矢を避ける方法は岩陰に隠れるくらいのものであり、そうしてばかりいても、距離を詰められ、今度は大きな鉈のような刃物で切り付けられるのである。
……遠距離から攻撃できるということの利は大きいのだということを、澪は身を以て学んでいる。前回、コボルドをボコボコにした時は聖水の投擲が役立ったが、あれはやはり、有効な手だったという訳である。
「かといって無闇に近寄りたくもないなあ、アレ……」
そして、今回は何せ、相手が弓を使う。ついでに、弓だけではないとばかり、ゴブリンロードの腰にはツルハシのようなものがぶら下げてあるのだ。かつて、ここで採掘していた誰かの道具だろうが……あれを振り回されたら、間違いなく大怪我。下手すれば即死である。ナイフを構えて突っ込んでいくのも、少々躊躇われた。
せめて、一撃入れるなり、何かゴブリンロードの気を引くなり、できればいいのだが……。
「ミオ様」
そこへ、ナビスがそっと話しかけてくる。
「奴はずっと洞窟の中で暮らしている生き物です。ですから……光を、灯します。それで目晦ましにはなるかと」
ナビスの表情には緊張が色濃かったが、それ以上に、わくわくとしたものが強かった。『これならやれる』と確信した表情である。
「ですので、合図するまで目を閉じていていただけますか?」
「分かった。あいつの目が眩んだところで、一斉に仕掛けよっか」
勿論、澪はナビスだけに任せるようなことはしない。ナビスが光を灯して目晦ましをしてくれるというのなら、それと同時に奇襲を仕掛けるのが澪の役目だろう。
「いいのですか?」
「勿論。なんのために私が居ると思ってるの」
任せなさい!とばかりに澪が胸を張れば、ナビスは、くす、と笑い……それから表情を引き締めた。
「信じます、ミオ様。……ご準備はよろしいですか?参ります!」
「オッケー!ナビスは可愛い!ナビスは強い!ナビスはさいこーう!」
澪はぎゅっと目を閉じつつ、ナビスの光の足しになるよう、ナビスへ信仰心を捧げてみた。
……その途端、瞼を通して尚、眩く輝く光が生まれる。
ぐおおお、とゴブリンロードのものらしき悲鳴が聞こえ、そして、ふっ、と光が弱まった。
「今です!」
「りょーかいっ!」
ナビスの声が聞こえた瞬間、澪は目を見開いて、ナイフ片手に走り出す。澪もナビスも、金色の光に包まれている。これもまた、ゴブリンロードには眩しいことだろう。
ゴブリンロードは眩しさのあまり目元を手で覆ったらしく、その時に弓を取り落としていたらしい。足元に転がった弓を蹴り飛ばしながら澪はゴブリンロードへ迫り……そしてほぼ同時にやってきていたナビスと共に、それぞれの武器を振るう。
ナビスの剣が、ふわり、と宙に半円を描くように振り抜かれれば、その軌跡に沿って、ゴブリンロードの腹が切り裂かれる。
そして澪のナイフは、どすり、といとも容易くゴブリンロードの背中から突き刺さり、おそらく心臓を貫いていた。
ナビスはもう一度剣を振って、ゴブリンロードの喉をすぱりと切り裂く。澪はより深くナイフを押し込み、そして引き抜く。
2人の攻撃は見事、ゴブリンロードの致命傷となった。切り裂き、刺し貫いた傷口からはびしゃびしゃと血が噴き出し、そしてゴブリンロードはのたうち回る。
澪とナビスは慌てて距離を取り、岩陰からゴブリンロードの様子を見ていたが……やがて、ゴブリンロードは息絶えた。恐る恐る見に行ってつついてみても、確かに死んでいる。
「……やったー」
「やりましたねえ……」
2人はゴブリンロードの死骸の近くにへたり込んで、はあー、と息を吐き出す。すっかり力が抜けてしまって、立ち上がるのも億劫だ。ナイフを握りしめた手がこわばっていたので、指を一本ずつナイフから剥がすようにして、なんとか力を抜く。手を握ったり開いたりしてみるが、緊張の残滓が未だ、澪の体を強張らせていた。
「ひとまず、これで鉱山の地下1階までは、使えるようになるでしょう……ああ、よかった!」
「うん!よかった!とは言っても、この後がむしろ大変だろうけど」
また魔物を退治することができたが、これもまだ、過程に過ぎない。
「そう、ですね……ここに鉱夫が入って採掘できるように、諸々を進めていかなければ」
「ね。目標は村興し!だもんね!」
あくまで、目的は村興し。鉱山の解放はその手段に過ぎないのだ。だからこれからやるべきことは、山のようにある。
……だが。
「まずは、ゴブリンロードを討伐した旨を村に伝えましょう。きっと喜んでくれます」
「そうだね。それに何より……お宝、あったよね?」
まずは、戦果を喜びたい。澪とナビスは、いそいそとゴブリンロードの居た奥の方へ向かうのだった。
「お宝、お宝、っと……うわ、すっごい綺麗!」
「すごい……これほどのものとは」
ゴブリンロードが守っていたのは、岩の割れ目である。そこを覗き込めば、なんと、数々の宝石がそこに隠されていた。
きらきらと輝く宝石の原石や、そのままでも十分に美しい結晶……そして、磨かれ、カットを施された宝石までもが、そこに紛れている。
更に。
「えっ、すご……これ、ネックレスじゃん。なんでこんなものまで?」
澪が手に取ったのは、黄金細工のネックレスである。大粒の宝石が幾粒も飾られたそれは、さぞかし高価なものだろうと思われた。
「ずっと昔には、鉱山の中に宝石の加工所まであったそうですから、当時加工されて作られていたものかと……あら、これも素晴らしい代物ですね」
「うわ、それもすごく綺麗!」
しばらく、澪とナビスは岩の割れ目に隠された宝物を取り出しては眺め、目を輝かせていた。
……ナビスは純粋に、宝石や金銀の細工などの美しさを楽しんでいたようだったが、澪は同時にもう1つ、考えていたことがある。
『これ、ナビスに似合いそうだなあ』と。
宝物を鞄に収め終えた2人は、鉱山地下1階の魔除けを行う。ナビスが歌い、澪がラッパを吹くのだ。これで鉱山地下1階も、そうそう魔物に巣食われなくなっただろう。
「地下2階への入り口は特に厳重に封じておきましょう」
ナビスは特に、下り階段のあるあたりに多く聖水を撒き、香を焚きしめていた。……この下にはまだ、魔物が巣食う階層が4つもあるのである。
「そっか……地下2階は金が出るんだったよね?」
「はい。できれば地下2階も解放したいところですが……それは追々、となるでしょうか」
そう遠くない未来、地下2階や3階も解放したいところではある。だが、流石に今日、このまま突き進むのは厳しいように思われた。
ナビスは澪を守るために力を使い、そして、ゴブリンロードにとどめを刺すために力を使い切ってしまったらしい。澪としては、『私が矢、食らってなければいけたかも』とも思ってしまうのだが、すぐその考えは打ち消す。安全第一。今回はこれでよかった。そう思うことにするしかない。
「……じゃ、ちょっと覗くだけ覗いてみる?」
だが、もう少し、成果が欲しい。そんな気は、するのだ。
「どんなもんかだけでも見ておけばさ、役に立つと思うんだけど」
「そうですね。一旦、偵察だけ……」
ナビスも頷いて、2人はそっと、階段を下りていって……。
……そこには、レッサードラゴンが沢山居た。
「うん……見なかったことにしていいかなあ」
「み、見なかったことにしましょう!」
「うん!見なかったことにしよ!とりあえず魔封じだけして……出てこなければひとまずはオッケー……」
「流石に、レッサードラゴンを何体も相手にできるほどの力は今の私にはありません……」
2人はすぐさま引き返し、地下1階の魔除けをもう一度念入りに施した。もう大丈夫だろうとは思っても、さっきの光景を見てしまった後ではどうにも気が休まらない。
……だが、今後更なる発展を求めるのならば、レッサードラゴンをコボルドやゴブリンのように倒せる力が必要ということになる。そのためには、それだけの信仰心を集めなければならないのだろう。
澪は『今の何倍ぐらい必要なんだろ……』とぼんやり思いつつ、ひとまず、今は考えと鉱山地下2階とに蓋をしておくことにしたのだった。
鉱山を出た2人は、のんびりと村へ戻る。帰り道も、例の滑車で戻るので大分楽だった。
「まあ……まずは、お疲れ!これで村興し、始められるね」
「ええ。大きな一歩、です」
錘と釣り合いを取りながらゆっくりと下降していく籠の中、澪とナビスは笑い合う。地下2階のとんでもない様子を見てしまったことは一旦忘れて、まずは明日からの村興しについて考えなければならない。
「人を集めなきゃね。鉱夫を募集してくるのも一苦労だろうし、その後、鉱夫のための住まいと食料の準備が大変だ」
「そうですね……住まいと食料については、神の力を使えばその場しのぎはできます。今回の宝石を売ってお金にすれば、買い集めることもできるでしょう。……しかし、人を集めてくるのはそうもいきません」
「あー……求人ってどこでやればいいんだろ。やっぱ、人が多い所?」
これから先、当面の目標は『人口の増加』である。そのためには今回解放した鉱山の地下1階で鉄や水晶を採ってくれる鉱夫を募集して、彼らに住み着いてもらうのが手っ取り早いのだが……鉱夫を募集するにしても、それがまた難しいのである。
何せ、人だ。物のように簡単に工面できるものでもない。澪は『どうしたらいいんだろ』と考え……。
「町へ行きましょう」
そこでナビスが、そう言ったのだった。