メメント・モリ*2
建物が無かった、というと、素直に考えるならば建物を取り壊した、ということになるだろう。
だが、流石にあの規模の建物だ。壊すにせよ、それだけで半年は掛かりそうであったし、何より、取り壊したなら余計にその痕跡一つすら見つからないのはおかしい。
「えーと、場所を間違えた、って可能性は?」
続いて考えられるのは、場所を間違えたということだろう。前回、あの場所を訪れた時、あそこは暗い夜の森の中だった。森の中のどこに建物があったかなど、正確に覚えている方が難しいのではないだろうか。
「無いと思うわよぉ?だって、あの勇者エブルだもの」
「へ?」
と思ったら、パディエーラからあっさりと否定されてしまった。
「勇者エブルは、一度行った場所の正確な地図を頭の中に作るのがとても得意なのよ。レギナの大聖堂の中に隠し部屋を見つけたのも彼の功績でね?ふふ、マルちゃんが何だか自慢げにするものだから、可愛かったわあ……」
そうなのかー、と頷きつつ、澪は『あのエブル君にそんな特技があったとは』と、少々驚く。……澪は方向音痴な方ではないが、頭の中に地図を作るのが得意な方でもない。
「それに、森の中は虱潰しに探索した。だが、それらしい痕跡を見つけることはできなかった」
「ううん……不思議ですね。どうしてそんなことが起きたんでしょうか」
パディエーラと勇者ランセア、そして勇者エブルが共に探索して、それでも見つけられなかったというのなら、いよいよ本当に『そんな建物は無い』と言うしかないのかもしれない。
「まさか、あれは全て、幻覚だったのでしょうか……?」
「幻覚?いやー、まさかあ」
ナビスがいよいよ悩んでいるが、流石に幻覚ということは無いだろう。
……と、澪は思ったのだが。
「人に幻覚を見せることも、神の力を以てすれば可能です。……半年足らずであれだけの建物を建設し、そしてそれが忽然と消えた、と考えるよりは、『元々全て幻覚だった』とした方が、まだ筋が通るかと」
案外、その線もあり得そうなのが、異世界の怖いところである。
「相手はそれだけの信仰心を惜しみなく使える、っていうことかしら?なら、余計に厄介よねえ」
相手が本当に幻覚を見せてきていたのであれば、それは即ち、それだけの信仰心を集めているということに他ならない。
あれはもしかすると、偵察にやってきた聖女に向けた威嚇だったのかもしれない、とさえ思える。……だが、パディエーラが仕入れた情報によれば、やはり、聖女モルテの礼拝式はあの宮殿の如き建物で行われているそうだ。つまり、幻覚の術を常用している、と。そういうことである。
「一部ならともかく、宮殿みたいな建物全てを幻覚で見せるのは結構難しいと思うのよね。特に、2階建てだったんでしょう?なら、その2階部分には幻覚じゃなくて本当に床が無いといけない訳だし……」
「あ、ああ、そうですね。確かに、幻覚は実体ではありませんから……階段や2階部分を作るのは、難しい、ですよね……」
どうやら、幻覚だけで全てを補ったわけでもないようである。確かに言われてみれば、澪達は階段を上がったり、僅かながら2階部分を歩いたりしている。いくら精巧な幻覚であろうとも、流石に実体を持たせることはできないらしい。ならば、少なくともあの階段と2階部分は、幻覚ではない何かが無くてはならなかったはずだ。
「……となると、はりぼてとかの、移動式の宮殿をその場その場で組み立ててる、ってのはどうかな」
ということで、澪はそんな案を提唱してみる。
「1階部分の床は地面で代用して、見た目は幻覚で何とかする。2階部分に繋がる階段と、歩くテラスの部分だけ、組み立てる。そんなかんじで、いけない?」
「まあ、そうすれば少なくとも2階部分があったことには説明が付くわよねえ。夜に礼拝式を行うなら、薄暗いから細かいところまでは見えない訳だし」
そう。聖女モルテの礼拝式が夜に行われている理由は、1つにはアングラな雰囲気づくりのためだと言えるだろう。暗いからこそ、蝋燭の演出も映える。
だがもう1つ、『粗が目立たないから』とも考えられる。特に、幻覚でなんとかしているような城であれば、暗くてよく見えないのはありがたいはずだ。天井を高く取ってあったのも、よく見えないようにするためだろうか。
「それに、やはりあの蝋燭の消え方は不思議でした。全ての蝋燭が一斉に消えるなんて、中々難しいと思うのです。あれは、幻覚の類だったのではないかと」
そしてナビスも気になるらしいのが、あの蝋燭の演出だ。
全ての蝋燭が、タイミングよく、一斉に消える。……誰かが消したわけでもなくアレをやるのは、あまりにも難しい。
同じ長さの蝋燭に同時に火を付けたとしても、僅かな風で蝋燭の火が揺れ傾くことがあれば、その分蝋燭の燃える時間は変わってくる。そして、人がたくさん居る中では、当然、あちこちで風が起こる訳だ。そんな中で蝋燭の火を完全に制御できるはずがない。あまりにも、現実味がないのだ。
「何にしても、幻覚の類はどこかには使ってたと思うよ。問題は、あの会場がどこまで本物だったか、ってことだけど……まさか会場自体に足が生えててくてく歩くようなことがあるとも思えないしなあ」
動く城があれば、間違いなく目立つだろう。少なくとも階段と2階部分は、組み立てて移動できるような仕組みになっていたはずだが……そこから先は、どこからどこまでが幻覚だったか、まるで分からない。
つまり、相手が保有する信仰心がどの程度のものなのか、正確なところはまるで分からない。だが……。
「いずれにせよ、強敵、よねえ……」
パディエーラの言う通り、強敵であることだけは、確かだろう。
聖女モルテについて、色々と分からないことは多い。
魔物を操っているとしか思えない所業の詳細は。トゥリシアの自殺にどのようなかかわりがあるのか。そして、そもそもの目的は。
……逆に、分かっていることと言えば、『世界の終焉を望む』という形で信者を増やしているということ。ガチ恋営業に握手券、とそうとうガチガチな搾取方法を使っていること。そして、信仰心を大量に集められているであろうということも。
ただのオカルティズムなら、それでいい。だが、本当に世界の終焉を呼び起こされては困る。
教義と教義のぶつかり合い、どちらが正しいとも客観的には言えない宗教戦争の様相を呈してくるが、それでも、澪達は聖女モルテの言う『世界の終焉』を回避したい。
「信者は結構、削ったと思うんだよね」
澪は冷静に、分析を始める。
信者は、間違いなく削った。月と太陽の祭典を通して……或いは、その後の職の斡旋やファンクラブ内での交流などを経て、少なくとも、魔物の活性化によって職にあぶれた人達の救済は、ある程度、できた。それこそ、彼らが『世界の終焉』を望まなくなる程度には。
……だが、澪達の救済より先に、聖女モルテにガチ恋しているファンが居たならば、彼らは流石に救えないだろう。
ガチ恋営業の怖いところは、そこである。ファンを掴んで離さない。一度はまり込んだ信者を逃がさない。つまり、一度取り込まれた信者は、よほどのことがない限り、救い出すことができない。
「信仰を続ける者が居続ける限り、いつかは、聖女モルテの理想を叶えるための信仰心が集まることになりますね」
「そうなんだよなー」
それが10年、20年後になるかもしれないが、それでも可能性は残る。たった1人しか信者が居なかったとしても、毎日熱心に信仰する者であれば、それなりに信仰心も溜まっていくだろう。
「……いよいよ、私達がもっと信仰心を集めて対抗できるようにしておくしかないかな」
「或いは、聖女モルテを排してしまうか、よねえ」
「それをやるとなると、諸々、大変なのでは……?まず、レギナの大聖堂から異端宣告を出す必要があるでしょうし、そうすることで却って聖女モルテの知名度を上げることにもなりかねませんし」
諸々を綺麗さっぱりできる対策は、無い。それこそ、聖女モルテを殺してしまうことくらいしか。
……誰でも、祈ればそれが届く可能性がある。それがこの世界のいいところでもあり、悪いところでもある。
「聖女モルテについては、未だに分からないことが多いのよねえ。それが本当に、不可解」
パディエーラがため息交じりに、そう言った。
「あなた達が聖女モルテの礼拝式に出席してから、もう1か月くらい経つけれど。でも、特に変化なし、だもの。素性も目的も何も分からないわ。本人が表に出てくるわけでもないし」
そう。何よりも問題なのは、聖女モルテが特段大きな行動に出ていない、というところだ。
……彼女がトゥリシアに接触したことは、もう分かっている。そして恐らく、その結果トゥリシアが『ありえない方法で』自殺したのであろうということも。
だが、魔物の活性化以降、特に何かが起きている訳ではない。
ただ、次にいつ来るか分からない魔物の活性化に怯えて、人々がピリピリしているという、ただそれだけ。それ以上のことは起きておらず、何も分からないまま。
そんな中で、まだ、考える余地があることが残っているとするならば……
「……トゥリシアさんは、なんであんな自殺の仕方をしたんだろうね」
元聖女であり、現国王の兄の孫であったという、トゥリシア。彼女の自殺についてである。
トゥリシアは、自ら、ナイフで10か所程度の刺し傷を作って死んでいたそうだ。
普通、自分で自分を刺すのも難しいと聞く。ならば、10か所もの刺し傷を自ら作ったトゥリシアの死は、あまりにも不審だ。
「まあ……単なる自殺なら、色々と納得は行くのよねえ。この辺りはマルちゃんの方が詳しいのだろうけれど……」
だが、パディエーラはそう言って、ふ、と悲しげな目をした。
「名誉を失った貴族は、生きながらえるより死んだ方がいい、って。そんな話、マルちゃんから聞いたわ」
「うわーお」
「そして、自らの不名誉があったとしても、自らが招いた事態の尻拭いをしてから死ぬのが真の貴族だ、ともね」
……マルガリートは、貴族だ。それ故に、トゥリシアについては中々シビアな意見を持っているようであったし、それがマルガリートなりの矜持なのだろうとも思う。
貴族は貴族である以上、そんな風に自らを厳しく追い込まなければならないのかもしれないし、それがマルガリートの芯の強さに繋がっているのかもしれない。
その点、トゥリシアは『尻拭い』をする前に死んでしまったわけで、その点はマルガリートに言わせればきっと『逃げ』なのだろうが。
「だから、自殺自体は、おかしくないのよ。それだけの動機が彼女にはあったと思うわぁ」
「成程なー……死ぬこと自体は、トゥリシアさんにとって、当たり前で、自然なことだったのか。まあ、『逃げ』だったとしても、本人の気持ちを考えると妥当だったのかもなあ」
澪としては、真相を諸々と隠したまま死んでしまったトゥリシアに対して、色々と思うところはある。『尻拭いはしていってよ』とも、『せめて相談くらいはしていってよ』とも、『でも、それだけ辛かったってことだろうしなあ』とも、思う。思いは複雑だ。
「……私は貴族ではありませんから、トゥリシアさんの気持ちを理解することはできないのでしょうが……追い詰められた彼女にとって、死とは、正に『逃げ場』であったのではないかと。そう思います」
ナビスは、ふと、その勿忘草色の瞳に強い理性と滲む感情とを宿しながら、言った。
「或いは、『救い』だったのかと」
「『死』が、救い、かあ……」
そういう考え方も、ある。澪はそれを、理解できないでもない。澪自身も、死がある種の救いであることは疑いようのない事実であると思っている。それを他人に勧める気にはならない、という点で、聖女モルテとの間には線を引きたいところだが。
だが、『死は救いか?』という問いを考えるのであれば、やはり、考えざるを得ない。
「確か、モルテ、っていうのは『死』っていう意味だったよねえ……」
聖女モルテ。
『死』を名に冠した聖女のことを、どうも、そこで思わないわけにはいかないのだ。
「……本当に、聖女モルテには、何か目的があるのでしょうか」
そこで、ふと、ナビスが呟く。
「礼拝式は、本当に『手段』なのでしょうか?……『目的』では、なく?」