人と豚と、寄生虫

作者: 高杉 透

 じんてい、なる言葉を聞いたことがあるだろうか。我がパソコンにインストールされている劣化版ワードでは残念ながら「てい」の字を変換することが適わなかったのだが、「じん」はそのまま「人」という字をあてる。じんてい、を分かりやすく言い換えれば「人豚」という文字になる。


 人豚と聞いて真っ先に思い浮かぶのは漢の高祖・劉邦のヨメ、呂皇ではなかろうか。呂皇の残虐非道さは今更、書き記す必要などないかもしれないが、敢えて簡潔に説明させていただくなら、嫉妬に燃え上がったオバサンほど恐ろしいものはないということだ。


 せっかくなので、もう少し詳しくいってみよう。まず、この呂皇というオバサン、ターゲットである憎き女の黒く美しい髪をすべて引っこ抜かせた。毛根が元気な場合、約一億本あるといわれる人間の頭髪のうち、たかだか一本を引っこ抜いただけでもけっこう痛い(らしい)。


 プチッとやって「あいた!」で済むのも一本か二本まで。一億回も繰り返されたらどうなるか。当然、頭皮は腫れ上がって血も滲む。やられた方は息も絶え絶えになるだろう。無論、女性であれば精神的な苦痛も計り知れない。


 それにしても、髪の毛をすべて抜くとなると、やる方も相当な根気がいる作業だ。しかし、それはオバサンのことだ。他人に命令するだけで、自分がやるわけではないから、問題はない。


 次に、髪の毛をすべて引っこ抜いたこの女性を、囚人たちに与え、慰みものにさせたらしい。女性にしてみれば、これほどまでに屈辱的な仕打ちはないだろう。


 更に、両目を抉り出し、毒薬を使って喉と耳を潰した、とある。この「毒薬」が具体的に何であるのかは残念ながら作者は知らない。一説によると、熱した油とも言われている。個人的には熱した油の方が現実味があると思われるが、どうだろう。


 続いて、オバサンは若くて美しかったその女性の両手両脚を切り落とさせた。この時点で失血死するのでは、と思われる方も多いだろうが、拷問のプロの仕事を甘く見てはならない。関節部分で切り落とされれば、切断時の出血量は少なく済み、また徹底的に止血されるため、出血多量で死亡することはできないのである。


 拷問により罪人は両手足を切断されたが、数日は生きていた、という記述は中国残虐拷問史のいたるところに残っている。言い換えれば、それだけ当時の止血技術が高かったということだろう。別の方面にその技術を役立てればいいものを、とは現代日本人の考えである。


 最後に、極めつけとも言えるのが両手足を切断され、声も出せず、目も見えなければ耳も聞こえなくなったこの女性を、便所に投げ落とした、という残虐行為である。この女性は最終的に、便所の中にひしめく数多の細菌やウィルスなどの病原菌が傷口から感染し、それが原因で死亡したのである。


 補足説明として、当時の中国では、人間の排泄物を処理させるために便所の中に豚が飼われていた。豚が逃げ出さないように囲いがあって、その上にトイレがあった、と想像すると分かりやすいかもしれない。不潔で乱雑とした部屋を「まるで豚小屋だ」などと言ったりする所以はこのあたりから来ていると思われる。


 呂皇なるオバサンによって、人間として最低の死に方をした美女、名を戚夫人せきふじん。戚夫人を人豚と言って罵った経緯はこんなところだ。


 ところで、人間の汚物を豚に食わせるという方式のトイレ、通称・豚トイレは、未だにアジアを中心に残っている。無論、遺跡として残っているという意味ではなく、現役で使用されているという意味で、残っている。そして、人間の汚物を食らった豚を、人は食料として重宝しているのだ。


 これは、とある研究者がインドネシアを訪れた際の体験談である。


 高床式住居の一画にぽっかりと空いている穴がある。何だと思って覗いてみると、下に飼われている豚がギャーギャー鳴いているのが見えた。この穴は何だと住人に聞いてみると、トイレだとあっさり答えられて仰天した。トイレの下に豚がいることも驚きだが、このトイレ、囲いどころか、仕切りすらない。まさに、床の一角にただ穴が空いているだけ、なのである。


 便意を催し、意を決して穴に跨ってみたはいいが、こちらをじっと見つめてくる十数人の視線に耐え切れず、不完全燃焼のままズボンを上げることを繰り返すこと数日あまり。やがて本格的に便秘になり、こっそり野外で用を足そうと目論んだはいいものの、数頭の豚さんたちが物凄い勢いで背後から突進してきて、とてもじゃないが用が足せなかった、とある。無論、豚が求めているのは排泄物である。


 他にも、現地人の体験談として「豚トイレに跨ったら、待ちきれない豚が穴の中から飛び上がってきてケツを齧られそうになった」ということもあるらしい。


 さて、人と豚について語ったところで、ようやく、寄生虫の出番である。


 まず、寄生虫と一口に言っても、かなりの数がいるので一概には語れない。現代日本で目にする機会が多い寄生虫と言えば、釣り人にはお馴染みのエイリアン、タイノエもしくはウオノエ。あるいは、子供時代にヤンチャをしていた人はハリガネムシというカマキリの腹の中から出てくる細長い虫を目にしたことがあるかもしれない。


 人に寄生する虫、というカテゴリーに絞れば、刺身を食ってアニサキスにやられたという運が悪い人が思い浮かぶ。作者と同じアラサー世代以上の人であれば、子供時代にギョウチュウ検査なるちょっと恥ずかしい検査をやらされた記憶がある人もいるのではないだろうか。あるいは、北海道には未だエキノコックスの症例が存在している。


 しかしながら、大半の日本人にとって寄生虫とは、やはり発展途上にある不衛生な国に特有の存在というイメージではないだろうか。ところが、最近、有機栽培野菜のブームによって、回虫を始めとする寄生虫が復活する兆しがある。


 人には人に特有の回虫がいる。同じように、犬には犬の、猫には猫の、クジラにはクジラの回虫がいる。犬の回虫は当然、犬の体に適応しているので、人の体には馴染めない。よって、犬の回虫が誤って人の体に入ってしまった時、回虫の幼虫は成長することができず、非常に居心地が悪い思いをする。


 結果、誤って人間の体に入り込んでしまった犬回虫の幼虫は、うまく落ち着ける場所を求めて人間の体内を動き回ってしまう。大半は肝臓で捕まるのだが、元気がいい幼虫は肝臓をすり抜けてしまうことがある。これは猫の回虫でも言えることだが、ごくまれに……本当にごくまれに、幼虫が目に迷い込み、失明させることもある。また、アメリカではアライグマの回虫が脳に入り込み、幼児が死亡した症例もある。


 一方、人の回虫が人に寄生した場合など、その虫本来の宿主に寄生した時は、よほどの数でなければ宿主に深刻な症状は現れない。問題となるのは、虫が間違った宿主に寄生してしまったときなのである。


 ところが、人の回虫は豚の体内で成長できるのである。


 回虫に限らず、大半の寄生虫たちは、宿主となった生物の排泄物の中に自分たちの卵を混ぜ、外の世界へ送り出す。結果的に、インフラが整備されていない国であればあるほど、トイレという場所には寄生虫の卵が存在していることになる。


 人の回虫がなぜ豚に適応できたのか、その理由はまだはっきりとは分かっていない。だが、上記したように古来より続いている人と豚の密接な生活史が、一因になっていることは違いないだろう。


 ところで、豚と言えば、狭くて暗くてジメジメした場所で、自分の体が原因の悪臭を纏い、日がな一日セックスのことを考え、あるいはセックスに励み、与えられるエサをただただ貪り食いつつ、夜を迎えて眠りに落ちる。一方は高杉透という固有名詞を与えられ、もう一方は一括りに豚と呼ばれる。もしかしたら回虫にとっては、人と豚の違いなどあってないようなものなのかもしれない。


 そう思うと、非常に空しい今日このごろ。

現実世界に生きる作者は医療関係者ではありませんが、ニートってわけでもないです。あしからず。そこは……ネタです、ネタ。


ただ、現実世界では初対面の相手に顔を見た瞬間「ニートでしょ?」的な扱い、あるいは言動を取られることはあります……。