ずるいですわお姉さま!

作者: 猫宮蒼



「お姉さまばっかりずるいですわ!」


 それが、リリエンハイム侯爵家が次女、マリークレアの口癖であった。


 さて、これだけならば市井に出回ってる娯楽小説にも似たような話がいくつか存在しているので、詳しい者ならばピンときただろう。

 別に姉はずるくもなんともないのだが、姉の権利全てが自分のものであると信じて疑わず、何もかもを根こそぎ奪い取っていく――そんな妹の口癖が、お姉さまばっかりずるい! である。

 この妹が血を分けた実の妹だろうと、後妻と共についてきた血の繋がらない妹であろうとも、はたまた異母妹だったとしても。

 生まれながらにお貴族様としていい家で暮らし美味しいものを食べ、綺麗なドレスに装飾品というありとあらゆるものを持ち合わせているという事実が気に入らず妹は姉からすべてを奪わんとばかりにずるいずるいと喚くのである。

 娯楽小説の中では大抵婚約者にまで手を出して、そうして最終的に酷い目に遭って今までずるいと言われ続け奪われ続けてきた姉は幸せになる。

 ある意味で王道物の一つであった。


「そう言われても……だってマリー、貴方にはまだ早いでしょう?」

「そんな事ありませんわ! 私だってやればできますきっと!」


 ずるいと言われた姉――ルクレツィアは困ったように頬に手をあてて小首を傾げてみせるが、妹はふんすと鼻息荒く言ってのけた。

 ちなみにこの時点での二人の年齢、姉が六歳、妹が四歳である。


 侯爵家が令嬢ともなれば、幼い頃から礼儀作法をはじめとした淑女としての教育は早い方がいい。基本的な所作に関しては姉ルクレツィアは五歳の頃には大抵できるようになっていた。そして妹マリークレアもまた、同じような教育を受けていたのだが彼女はまだその教育を受けたばかり。なのでまだ不慣れな部分があるのは言うまでもない事だった。


 だがしかしマリークレアにとってそんな事は関係ないのである。


「お姉さまばっかり! ずるい! ですわ!!」


 ぎゃんっ! という効果音でもつきそうな勢いで再び叫ぶ。


「マリー、そんな風に大声で喚くものではないわ。みっともなくてよ」

「お母さま! だってお姉さまばっかりずるいんですもの!」


 二人の言い合いを眺めていた母、レティシアが声をかけるも、妹は引く様子がなかった。


「私も! ピアノのレッスンがやりたいです!」

「貴方にはまだ早いと思うわ」


 ちら、とマリークレアを見てレティシアは即答する。


 やる気があるのは充分なのだが、いかんせんまだマリークレアは幼い。それ故身体も小さく、ピアノを覚えさせるにしても今はまだ鍵盤をまともに叩けないだろう。単音ならともかく連続して音を出し曲を奏でるとなれば簡単な曲であっても指が攣るのではないかと思える。せめてもう一年か二年あとなら、と両親も思っている。決してマリークレアには無理だと決めつけているわけではないが、流石にまだちょっと早いだけ。もうちょっとしてから練習しましょうね、そんな気持ちと言い分である。だってマリークレアが手を目一杯開いても、本当に小さな手なのだ。複数の鍵盤を同時に叩き複数の音を出しそれで曲を奏でろとなると、本当に今のマリークレアには難しすぎる。やる気があるのはいいけれど、上手く弾けずに不協和音ばかりを奏でてしまえば、楽しいという気持ちもしぼんでしまうだろう。下手でもいいけれど、楽しいと思えなくなっていざそれなりに手が自在に鍵盤の上をすべる事ができるようになった時に、ピアノなんて大嫌いよ! なんて言われるのはちょっと悲しい。

 お遊び程度に好きに音を出すだけなら好きになさいな、と思うのだが、マリークレアはとにかくルクレツィアと同じ事を学びたがった。


 いい事だとは思うのだ。

 姉にずるいずるいとのたまって、姉の物を奪うわけではない。

 どころか姉に追いつこうとして学ぶ意欲にあふれている。ただまだ幼いので姉との年齢差、二年というのは大きくてマリークレアの思うようにはならないのだけれど。


 レティシアは市井に出回ってる娯楽小説の妹のような事にならず、このまま向学心に溢れた子のまま育ってくれれば……なんてちょっと遠い目をしながら思っていた。



 そしてその願いは通じたのか、マリークレアは相変わらず姉に対してずるいずるいと言うけれど、姉が新たな事を学ぼうと家庭教師の数が増えた時には自分も学びたがっていた。まだ文字を覚えていないうちからそんなことを言っていたけれど、文字を覚えてからは更に加速した。


「お姉さまばっかりずるいですわ! 私にも! 領地に関しての歴史とか色々と教えて下さいまし!」

「お姉さまずるいですわ! 私もお姉さまみたいなドレスが欲しい! あ、でも深い青はお姉さまにはピッタリですけど私には合わないのでちょっとだけ薄い色で仕立てて下さいませ」

「お姉さまがお茶会に誘われた!? ずるいですわ私も行きたい! こういう時のためのマナーはしっかり覚えました!」


 姉が何かするたびに、ずるいずるいと喚きたてる妹。

 ちなみにドレスの件に関しては姉の誕生日だからこそ仕立てたに過ぎない。だが姉だけが新しいドレスを仕立ててもらえるというのはマリークレアの中ではずるいらしい。

 自分の誕生日の時に貴方だってドレスを仕立てるのよ? とレティシアが宥めるように告げたけれど、自分の誕生日とかどうでもいいのでお姉さまと一緒に仕立てて下さいまし! と凄い勢いで言うマリークレアにレティシアは根負けした。


 これで自分の誕生日の時に自分だけまたドレスを、とか言えば我儘を言うんじゃありませんと叱ったかもしれない。だがしかし、マリークレアは自分の誕生日の時にわざわざドレスを仕立ててほしいだとか、新しい装飾品がほしいだとか、そういった事は一切言わなかったのである。


 ついでにルクレツィアが誘われた茶会にマリークレアもちゃっかりと参加して、

「お姉さまばかりこんな素敵な方とご友人になるだなんて羨ましいですわ」

 とずるいという言葉を使いこそしないが概ね普段と変わらぬ言動であった。


 ちなみにこの時の友人である令嬢からは、

「なんていうか構ってほしくて仕方がない子犬のような子ね」

 という評価を得た。褒めてるようには聞こえないが、困ったことにこの令嬢、褒めている。

「なんていうか、貴方が仮に毒を飲んだとして死にかけたら、お姉さまばかりずるいですわ、そんな体験滅多にできませんわとか言って自分も毒を飲みそうな子ね」

 とも言っていた。

 ルクレツィアはまさかそんなと思ったが、友人に提供された新しいお菓子とやらを食べてる時に目ざとく見つけて、お姉さまが知らないお菓子食べてる! となったのであながち否定できなかった。いやでも、まさか、そんな……ね? と妹に問い詰めたい気持ちもあったが、そこで勿論と頷かれたら困るのでルクレツィアは聞くに聞けなかったのである。


 こうして姉妹はすくすくと育ち、気付けばお年頃と言ってもいい年齢である。


 本当なら侯爵家の娘だ。もっと早い段階で婚約者が決まってもおかしくはなかったのだが、父が家のためとはいえ娘を嫁にやるのはいやだとごねていたからこそ、婚約者が決まっていなかった。家のためを考えたら悪手であるが、この程度で潰れるような侯爵家なんて所詮はその程度よ、とか言い出したので一体父は何目線なのだろうかとルクレツィアは訝しんだ。

 とりあえず家を継ぐのに婿をもらう必要もあるだろうに、父はどこの馬の骨とも知れぬ男など! と頑なに拒否っていた。


 さてそんな中、ルクレツィアの婚約が決まった。決まってしまった。


 父は反対したのだが、婚約の打診をしてきたのが王家とあってはそう簡単に断る事もできない。

 娘が嫁に行かない結果家が潰れたり傾いたりしたらその時はその時、と言い切る父ではあったが流石に王家に反旗を翻して家がお取り潰しに、というのは問題しかない。


 本来は婚約者がいた王子だが、その婚約者が少し前に病で亡くなってしまったのだ。流石に病は好きで罹ったわけでもないし、こればっかりはどうしようもない。医者も手を尽くしたけれどほんの少し延命できただけで、快方に向かう事なく儚くなってしまった。


 婚約者がいなくなってしまった王子とはいえ、お互いに瑕疵があるわけではなかったし、王子もしばらくは喪に服したいと言っていた。実際にその婚約者とは良好な関係であったのだ。婚約者が病に倒れる事がなければ数年後にはきっとお互いを想いあう公私共に理想の夫婦となっていたに違いない。


 だがしかし、王子の新たな婚約者を選ぼうにも目ぼしい令嬢は既にとっくに婚約している。婚約していない令嬢はといえば――


 そう、侯爵家のルクレツィアとマリークレアである。


 家柄に問題はなく、年齢もそう離れていない。まさに新しい婚約者として相応しい相手。

 婚約者なんてまだ早いよ! とごねていた父ではあるが、こうなるとわかっていたらもっと早くに婚約者を決めておくんだった! と叫んだのは言うまでもない。


 NOを突きつけるにしても、正当な理由がない。けれどもその状態で断るとなれば、王家に対して心証は悪くなる。他国の王女や令嬢を迎え入れるだとか、他に方法はないかと父はギリギリまで悪あがきをしていたが、結局どうにもならずにルクレツィアとアンソニー王子との婚約はなってしまったのであった。


 さて、こうなると次にマリークレアが言う言葉はお察しである。


「お姉さまばかりずるいですわ」


 最早安定のセリフだった。

「マリー、貴方、アンソニー王子と結婚したかったの?」

「いいえ。私の好みのタイプではありません」

「では、別にずるいも何もないのではなくて?」

「いいえお姉さまはずるいですわ。だってあんな、あんな……ッ!!

 あんな御しやすそうな男と結婚して将来は国を牛耳る事ができるんですもの!」

「マリー?」

「影の支配者って素敵な響きですわよね。お姉さまずるいですわ」

「え、えぇ……?」


 ルクレツィアは訳が分からないと言わんばかりの表情を浮かべてしまった。

 淑女としてあるまじき、と思いながらもここは侯爵家。自宅で家族と接している時くらいはまぁいいわよね、と内心で思いながらも、しかし戻そうと思っても中々表情は戻ってくれなかった。

 それというのもわけのわからない事を言う妹のせいである。


「御しやすいだなんてそんな。アンソニー王子は名実ともに素晴らしい方よ。そんな凡愚のような言い方不敬にあたるわ」

「いいえ。私にはわかります。あの男、かつての婚約者がいた時と比べて間違いなく駄目な感じになってます。あの王子と私、お姉さまはどちらを信用なさるの!?」


 とんでもない二択を突きつけられてルクレツィアは困惑しっぱなしである。


「それに! 仮にあの王子がマトモであったとしてもやっぱりお姉さまばかりずるいですわ! 王妃教育とか、普通は体験できないやつじゃないですか!」

「えぇ……? マリー、貴方王妃教育がどんなものかわかって言ってる……? 決して楽しいものじゃないのよ? そりゃあ向学心あふれる貴方には魅力的なものかもしれないけれど」


 王の隣に立つ者として、王を、そして国を支えるため、更に時として王の代理として在るのが王妃だ。

 そのために学ぶべき事というのは間違いなく多いし、幼い頃からアンソニーの婚約者として存在していたかの令嬢ならともかく、今から新たに選ばれた婚約者がアンソニーが王となる日までに果たして本当に王妃として必要な最低限のレベルまでどうにかなるのか、という話だ。

 ルクレツィアは自分がそれなりに優秀であるという自覚はしているが、それはあくまでも侯爵令嬢としてであって王妃として優秀かと聞かれれば答えは否。

 こんな事にならなければ、いずれはどこかから婿を迎え入れて自分が侯爵家の跡取りになるのだと思っていた。だからこそ彼女は今まで努力してきたのである。


 もし自分に何かあったとしても、妹は自分もと姉と同じものを学んでいた。ルクレツィアが王家に嫁ぐのであれば、侯爵家の跡取りはマリークレアであるが、跡取りとしての教育だとかは正直何も問題がない。

 もし妹がそこら辺を学んでいなければ、父はきっと今頃大慌てでマリークレアに詰め込み教育を施していたに違いないのだ。


 まぁ、現状詰め込み教育をされるのはこれから王妃教育をする事になるルクレツィアなのだが。


「あぁ~、でもやっぱりお姉さまばかりずるいですわ~。王妃教育なんて頼んだってしてもらえるものじゃありませんもの。ずるい! 羨ましい! 教わった内容教えて、って言っても無理なのがわかってるからホント悔しい!!」


 お姉さまばかりずるい、そういう妹であるが、やっぱり何か違うな。

 本気で悔しがっているマリークレアを見て、ルクレツィアはそう思った。



 婚約をして王子との顔合わせもして、マリーが王子にちょっとした駄目出しをしていたからルクレツィアは若干不安ではあったのだけれどどうやらそれは杞憂に終わりそうだった。

 妹の言い分では政略とはいえお互い相思相愛だったのだ。その婚約者の死。後釜がいくら優れた令嬢だと言われたとしても、心の中には常に最愛の彼女がいる。しかも彼女は死んでしまったからこそ、思い出は永遠に美しいまま。

 お姉さまの扱いが雑になったりしたら、いつでも教えて下さいね! 私が王子に接近して失脚させますから!


 と、何とも頼もしいと言うべきか、お待ちなさい一歩間違えば侯爵家が危険な事になりますわよと忠告すべきかな事を言われていたのだ。妹に。

 というか果たして妹は一体どのような手段で王子を失脚させるつもりなのか。

 普段からお姉さまずるいずるいと喚いている妹ではあるが、物語に出てくるような何もかもを奪っていくタイプの妹とは違い、彼女は自分と同じ事を学んできた。そしてそれらをきちんと理解している。


 美味しいとこだけ堪能して辛くて苦しくて面倒な事はしたくない、という怠惰の極みのようなお話の中のずるいと喚く妹と異なり、辛かろうが苦しかろうが、姉がやるなら自分もやると言う妹なのだ。そしてできないと喚くでもなく、きっちりとモノにしている。

 礼儀作法やダンス、楽器の演奏や刺繍、その他にもいくつかあるが、まぁルクレツィアにできる事はマリークレアも同じだけできるのだ。

 だがしかし、だからこそ彼女が何をしでかすのかがわからない。

 自分には思いつきもしない事をやらかすのではないか、そんな風に思える事が多々あったのだ。


 大体王子と結婚する事になるという流れで裏から牛耳れそうは無い。その発想はルクレツィアにはなかった。


 王子のかつての婚約者であったフランチェスカの事を今も引きずり貴方の事を本当の意味で愛することはない、とか言い出されるくらいは覚悟していたのだ。妹が何だか不穏な事を言うものだから。

 しかし妹の予想とは異なり、王子はとても真摯な人だった。

 喪に服していた。けれどもまだ忘れられそうにないのです。静かな口調でそう告げられて、ルクレツィアはまぁそうでしょうねと頷いた。


 ただの政略でお互いに情も何もなければともかく、政略であったとはいえそれでも二人は想いあっていた事が周囲に知られていたのだ。ルクレツィアは未だ恋をした事がなかったけれど、それでも恋物語を題材とした本を読んだりして何となくそういった感情について理解ができないわけでもない。

 大切な存在であればあるだけ、どれだけ時間が経ったところでそう簡単に忘れられるわけがないのだ。


 とりあえず、事あるごとにルクレツィアと思い出の中のフランチェスカを比べてこちらを貶めるようなことを言わないでもらえればルクレツィアにとっては充分である。思い出の中の美しい女性に勝てるとは勿論思っていないので。


 王子が最初に己の気持ちを吐露した事で、ルクレツィアも思った事を素直に口にした。令嬢としてはどうかと思うものだけれど、こういう時だからこそ本心を語った。下手にお互いの気持ちを勘違いしたままで拗らせたら、最初のうちはどうにか取り繕えてもいずれどうにもならないところで破綻するかもしれなかったからだ。


 令嬢としてはどうかと思われる事でもあったが、それ故にアンソニーはルクレツィアときちんと向き合う事を決めた。心の中の真の王妃がフランチェスカであろうとも、現実の王妃はルクレツィアになるのだ。きちんとした対応をしてくれて、愛とかはさておき働きに応じてきちんと労わってもらえればそれで。そんな風に言った令嬢に、王子は真面目に向き合おうと改めて誓ったのである。


 何せ周囲は早いとこ忘れてしまえ、なんて言うばかりで。

 確かにフランチェスカはもういない。けれど、だからこそ忘れてその存在をまるごと無かったことにはしたくなかったのだ。

 皆が忘れろという事は、他の皆も彼女の事を忘れようとしているのではないか。そうであるなら、そのすべてに忘れられてしまったら。

 フランチェスカが確かにこの世界に生きていたという何もかも、失ってしまって皆の記憶からも消えてしまえば。それはあまりにあまりな事ではないだろうか。

 そう思っていたからこそ、アンソニーは覚えててもいいしその思い出話を聞くのも構わないけれど、こちらとあちらを比較して駄目出しだけは勘弁して下さいねと真顔で念を押してきたルクレツィアの事を信用できると判断したのだ。


 忘れてしまうのが一番手っ取り早いのだろう。けれど、それをアンソニーは受け入れようとは思わなかった。確かにずっとフランチェスカの事を引きずって新たな婚約者を決めようとしなかったのも事実。いずれは王となり世継ぎを作らねばならぬ身で死んだ相手を思い続けるとなれば、まぁ不安が生じるのもわからなくはないのだ。アンソニーとて。


 だから、フランチェスカの事を覚えていていいし思い出話を聞くこともやぶさかではないとのたまったルクレツィアならば、お互いを尊重しあってやっていける。

 そう、アンソニーは確信し、フランチェスカのようにとはいかずともルクレツィアの事を大切にしようと決めたのである。




 ――思ってた展開と大きく異なったな、とマリークレアは首を傾げた。

 いや、いいと思っている。全然いいと思っているのだ。

 物事大体いい方向に進んでるし。


 ただ、どうしてこうなったんだろう、と考えてみてもよくわからなかった。


 マリークレアは転生者である。

 前世で読んだライトノベルそのものな世界に生まれ落ちた事に気付いたのは、三歳くらいの頃だっただろうか。挿絵が推しに推してた神絵師だったから読んだだけで、そこまで思い入れがあるわけでもなかったものの内容はなんとなく覚えていた。


 ずるいと姉にむかって文句を言う妹。

 王子と婚約する姉。

 かつての婚約者が忘れられず、存在を軽んじられる姉。

 姉の婚約者に近づく妹。

 そうして妹は姉から婚約者をも奪い――


 という、姉妹で一人の男を奪い合う泥沼恋愛ものだったと記憶している。


 ラストの展開がどうだったかさっぱり覚えていないので、マリークレアとして生まれてしまった以上とりあえず姉に対してずるいですわお姉さま、とか言っときゃ大体どうにかなるだろうと雑に思っていた。内容ふわっとしか覚えてないんだから、ちゃんと完璧にこなせるはずもない。でもまぁ、大体原作と同じような事やっときゃどうにかなるなる、そんな軽い気持ちであった。一応ラストはハッピーエンドだったはずだし。


 とはいえ。


 お姉さまばっかりずるいですわ! と言うだけならいい。

 けれど、果たして。

 一体何がずるいのだろう。


 そこがマリークレアには理解できなかった。


 いずれは侯爵家の跡を継ぎ侯爵夫人となるだろう姉。

 そんな後継者なのだから、教育にも力が入ろうというもの。

 妹はむしろ他の家に嫁入りさせるだろうから、そういう意味で多少の差がつくのは当然だとマリークレアは理解していた。


 難癖をつけて姉からドレスや宝石といった物を奪おうにも、ドレスは誕生日の時に親や祖父母から贈られたりしている物だ。思い出を汚すのはどうかと思う。

 お菓子に関しては別にちょっと姉の方が少し大きく切り分けられていたとしても、そもそも幼い頃の二歳差は結構大きい。身体の大きさも違うのだから、むしろ姉の方がちょっとくらい量が多くても適正では? と思ってしまう。


 他にもあれこれ考えてみたけれど、マリークレアから見てルクレツィアがずるいとは何一つとして思えなかった。与えられた物だけを見れば羨ましいと思われる物が確かにある。けれどもそれは、ルクレツィアに与えられるのが当然の物ばかり。

 ずるいなんて言えないしむしろ正当。


 ルクレツィアばかりが愛されて自分は放置されている、とかであればそりゃ愛情独り占めはずるいとか言えたかもしれないけれど、両親や祖父母は二人にたっぷり愛情を注いでくれた。これで姉だけがずるいなんて言うのはお門違いである。


 困ったなこれじゃ原作通りに進まない。

 とりあえずずるいって言わないといけないけど、何がずるいの? と聞かれても何もずるくないのできっと困ってしまう。

 そう困り果てながら考えた末に――


 あ、そうだ。姉が学んでる事はまだ自分には早いって言われてるし、そこから攻めてみよう。


 そんな発想に至ったのである。


 正直勉強は前世ではそこまで好きではなかったけれど、この世界の歴史だとかは前世と比べて似通った部分もあれば全然異なる部分もあって歴史は歴史だけれど正直ちょっとお話の中の設定を読み込んでるような気持ちになれた。前世のマリークレアはハマった作品の設定資料集とかはきっちりチェックするタイプであったので。

 ついでにダンスとか自分にできるか不安だったけれど身体を動かすのは嫌いじゃないし、前世で読んでた漫画で競技としてのダンスを取り扱ったやつとかも好きだったので、本格的な社交ダンスを学べるというのは楽しかった。音楽に関してもピアノやヴァイオリン、フルートといったものに触れる事は前世ではなかった。頑張ればピアノくらいは触れたけれど、お金を払って教えてもらえる程裕福な家ではなかったので、手あたり次第お稽古ができる今の環境はマリークレアにとって中々に面白いものであったのだ。正直やりたい事がありすぎて時間が全然足りないくらいだ。睡眠時間ってどこまで削って大丈夫かしら、と割と本気で考えた事もあった。


 そうだ、面白そうで早く自分もやりたいのに、自分にはまだ早いなんて言われるから。

 だからそこでようやくマリークレアは小説内での彼女が最も多く言っていたセリフを口にする事ができたのである。


 お姉さまばっかりずるい! と。


 勿論楽しいばかりではなく時として辛く厳しい事もあったけれど、辛いのも苦しいのも自分一人じゃない。だって姉も同じように学んでいるのだから。決して自分だけに重責がかけられたとかではない。お姉ちゃんといっしょ。であれば、別に何もずるくない。


 小説の中の妹はそもそもそんなに賢くなってなかった、という事にマリークレアは気付いていない。


 小説の中の妹は楽して美味しいとこだけ味わっていたいタイプの、自分で何かをするのは自分にとって得ができるかどうかな時だけ、というキャラであったが、マリークレアはそこら辺をほとんど覚えていなかった。ただ、お姉さまばかりずるいというセリフだけが記憶に残っている。


 だからこそ、領地の地質調査だとか年間雨量だとかを調べる事は原作の妹は絶対にやらなかったし、ましてや、

「お姉さまこのままじゃ次に日照りとかになったら作物全滅の危機。食料不足がうちの領地内だけならまだしも、他の領地もダメってなると国外からの輸入に頼る事になるけど、そうなったらその商品の値段は爆上がりでお金がどんどん減ってっちゃう。

 水不足に備えてどうにか対策した方がいいと思うのお姉さま。溜め池みたいな感じのもっと大きなやつとか作れたりしない? 普段は水溜めて、雨が降らない時にその水流すの」

 なんてセリフは間違いなく原作には存在していないのである。


 マリークレアはダムを作ろうぜ、と言うつもりでのたまったが、では実際ダムはどうやって作られるのか、とかそういう仕組みはさっぱり覚えていなかったのでそこだけは姉に丸投げした。

 姉は姉で妹がまたなんか無茶言い出したな……と思いながらも実際に年々雨量が減少傾向にあるので、いよいよ雨が降らなくなったら作物に影響が出るのは事実なのよね……と妹の言葉を無視するわけにもいかず真剣に考え、父に相談したりもしたものの、何とダムを建設してしまった。


 その後タイミングよく、と言っていいものか乾季か? というくらい雨が降らずこのままではあわや作物全滅の危機か、なんてなったところでダムからの水で事なきを得た。


 こういったやりとりが他にもいくつかあった。

 発想の妹。実現の姉。姉妹の共同作業である。


 原作ではドレスも宝石も何もかもを奪いつくしていった妹なのだが、現実ではそんな事は一切なく。それどころか普通に仲の良い姉妹である。

 お茶会だってそうだ。

 最初の頃は妹が誘われていない茶会にもお姉さまばっかりずるい! と駄々をこねて行きたがっていたために、仕方なく誘ってくれた主催者に手紙を出して妹もつれていっていいかを確認したりもした。一度失敗したらマリーにはまだ早いのよ、とでもいって次から連れてこない事にしようと思っていたのだ。けれどもマナーはしっかりできていたためにその目論見は失敗に終わる。


 それどころか次から誘われる時は妹もつれてきて構わないと招待状に書かれるようになっていた。しかも他の家にもその話が広まったのか、他の家の招待状にも書かれているのだ。


 何せマリーはマナーはマトモであっても姉の腕を引いて小声で――と言っても周囲に聞こえていた――

「お姉さま、ここお茶会の場なのよね? 決して妖精さんのパーティー会場じゃないのよね? ちゃんと人の世界なのよね??」

 などとのたまったのだ。

 お茶会参加者の令嬢たちはこの中で一番年下の小さな令嬢が自分たちを妖精だと勘違いしている事にほっこりした。綺麗に着飾っているのは当然だけれど、男性からの誉め言葉とはまた違い幼い子供の裏のない言葉に、不覚にもキュンときたのである。


 ちなみに別の茶会で政敵と呼べなくもない家の令嬢も参加していたのだが、なんだかんだあってマリークレアに絆された。こっちは相手を凹ませてやろうと思ったのにそれを全く気にした様子もなく、それどころかキラキラした目で見られて、更には裏の無い称賛の言葉に陥落したとも言う。

 ちなみにそのご令嬢曰く、家で育てている子犬とそっくりな目を向けられたらそれ以上悪意を向けるのもどうかと思ったらしい。


 面と向かって言われてはいないが、マリークレアは社交界のご令嬢たちの中でみんなのわんこみたいな扱いになっていた。



 お姉さまばっかりずるい! という発言こそ原作で多く使われていたものの、使い方が原作と異なりすぎたせいでマリークレアは気付かない。とっくに原作とは異なる道筋を歩み始めていた事を。


 原作では本来、姉からドレスや宝石といったものから日々出されるお菓子だとかも奪い、最終的には婚約者をも奪うのだが。

 奪われる事が当たり前になりつつあったルクレツィアが唯一しがみつこうとしたのは婚約者である王子であった。だがしかし、それすら奪われその後の展開は泥沼の一言に尽きる。

 けれども、妹は姉が上手くいっているなら王子との結婚はおめでたいなと思っているので奪うつもりはない。姉との出会いが上手くいった王子もまた、亡くなったかつての婚約者を想い続けることを許され、その上でルクレツィアとの関係を築こうとしているので妹が入り込む余地などない。

 姉には王子しかいない、と思い込むことになった原作では姉の心の余裕もすっかりなくなっていて、だからこそ自分だけを見てほしいという思いが溢れていた。それを感じ取った王子はかつての婚約者を忘れろと暗に告げてくる姉に嫌気が差して――といった次第であった。


 王子を奪われた後は、婚約者が姉から妹になっただけ、という事でそのまま姉を置いてけぼりにして話が進むのだが、その後はまぁ、ある意味でお察しであった。

 勉強だとかの面倒を嫌う妹は王妃教育が進まず、その後なんやかんやあって結局姉と王子が結婚する事になる。

 今まで暴虐の限りをやらかしていた妹はいよいよ家を追い出され、平民として暮らす事になるのだ。


 と、それだけを見るならば妹にとってはバッドエンドだが案外平民の暮らしの中でもたくましくしぶとく生き残っていた妹も最終的に改心するので、なんだかんだありつつもラストは一応大団円といったところであった。


 ちなみに姉が王妃に、妹が平民になった後の侯爵家の跡取りに関しては親戚筋から養子を迎えてどうにかなる。


 だがしかし、その原作は既に崩壊してしまった。

 姉は王子と最初から上手くいっているし、妹は姉のかわりに侯爵家を継ぐことになる。

 養子として迎え入れられるはずだった少年はまだ幼く、それ故父が後継者として育てるのにそこそこの年月がかかっていたがそれがないので父も悠々と引退して残りの人生をまったり過ごせる。


 原作とは異なるが、これはこれで大団円であろう。



 とはいえ。

 妹はそれでも叫ぶ。


「お姉さまばっかりずるいですわ! 結婚相手が既に決まっているんですもの!」


 まぁ、妹の結婚相手に関しては近々父がしぶしぶと見繕うだろう。侯爵家の婿に相応しい令息を。


 ちなみにこの後、お姉さまが王妃として頑張ってらっしゃるのだから、私も侯爵家の女主人として頑張りますわよ! と盛り立てていくので、国も侯爵家も発展した。



 ずるいずるいと姉からすべてを奪っていくはずだった妹が転生者だったが故に原作が崩壊したけれど。


 これはこれでハッピーエンドである。