前へ次へ
8/9

縁起(裏)

 五百年前。


 ぅおおおおぅ!


「混乱が日に日にひどくなってくる」


 城内に響く咆哮にファバニールはため息をもらす。


「ファバニ、もう良い。長の勤めご苦労だった」


 主はたまに正気を取り戻す。

 東北の魔王と東南の魔王が欠けて久しい。そして東の魔王は狂い始めていた。


「もう!人間の子供一匹ぐらいさっさと拐ってくればよかったんですよ!」


 先代の西の魔王はそうやって、次代に引き継がせた。


「教育の時間がない。喰われたくなければどこへなりとも行け!」


 そして響く咆哮。


「教育とか後回しでいいわ!すぐに使えそうなの探してきます」


 ファバニールは城を飛び立った。


「こんなときに…...」


 すぐそこに聖女が近づいている。

 最悪のタイミングだ。聖女を飢餓状態のまま食らえば、次の聖女が現れるのは数十年も先になってしまう。


 ああ、間に合わない。


「このままじゃ、っ!?」


 魔王の権能が一気に身体にのしかかる。第一の、ただ一匹の臣下、魔族にはあまりにも不向きだ。

 溢れる瘴気。そこに矢が翔んでくる。


 油断した。人間の矢に当たるなんて。

 魔王様が消えた。聖女の神々(いまいま)しい気配も消えている。


 魔王は魔族の吐き出す瘴気をろ過する役目を担っている。ろ過装置にもやがてゴミはたまる。それをきれいにするのが聖女だ。

 本来吐き出す側の魔族が瘴気を吸い込んでも、ろ過はほとんどできない。呼吸もままならくなる。


 ファバニールは地に墜ちてしまった。人間が近づいてくる。



 こいつ、とても鈍感だ。

 ドラゴンをとかげと間違えるなんて。おまけにドラゴンを手当てするなんて底無しのバカだ。


「あんた名前は?」


 ◆◆



「あのー」


「ひ、ひぃ、おおお鬼」


 腰を抜かすもの、逃げるもの、そして石を投げるもの。


 へっぴり腰で投げられた石は幸いにも聖女には当たらなかった。

 どうも、あの世というところは聖女の威光は役に立たないらしい。むしろ・・・


「さてどうする?このままでは、俺は大丈夫でも、お前は飢え死にするしかないのじゃないか?」


 彼らが怯えていたのは、巨漢の魔王よりも、聖女に対してだった。

 巨漢の大男よりも、見た目はずっと細く小さい女なのに。

 魔王の方は茶色の髪に茶色の目。

 聖女は金色の髪に青い目だ。そして逃げていった彼らの髪と目は黒だった。


「どうだ。しばらく共に」


 聖女は男達が逃げていった方を呆然と見ている。遠くには暖かい光が見える。村だろう。


「この世では私の方が異物なの?」


「そういうこったな」


 魔を倒して人々に感謝される存在から、『化け物』すなわち魔物に変わったのだ。


「逃げた男たちが人手を集めてくる前にさっさとここを離れよう」


「誰が魔王になんか」


 魔王は「そうか」とだけ言って歩く。元々敵同士。先ほどの提案もただの気まぐれだ。


「・・・あんたずいぶんさっきと様子が違うわね」

「狂化しかけだったからな」


「今は?」

「今はさっぱり。瘴気も魔力も少しは残留しているが、ほとんど空の状態だ」


 聖女が剣に手を伸ばす気配は伝わったが、やはり彼女からも神の力はほとんど感じられないし、女の細腕では大の男をどうにかできるわけがない。


「それにしても腹がすいたな」


 先ほどまでの狂おしいほどの怒りと飢餓感は消えたが、普通に腹が鳴る。これが普通の空腹か。

 植わっている作物をいくつか失敬するのもいいかもしれないが、厄介事を増やすつもりはない。

 幸いすぐそこに山がある。果物を採るなり、動物を狩るなりすればいい。


 聖女はしばらく動かなかったが、あの村に己の場所がないことを理解したのか、魔王の視界ギリギリの距離を保ってとぼとぼとついていった。


 ◇


 適当な洞穴を棲家と定め、鹿を狩って腸からかぶりつく。


「うまい。聖女も食うか?」


 聖女は青ざめている。


「血抜きもろくにせず生でそんな食べ方はお腹を壊してしまうわ!」


「血なら今抜けているだろう」


 地面にどぼどぼ流れている。


 聖女は鹿肉の端を短剣で切り分けて白い粉や葉の粉末を振りかける。そして木の枝を集め、少ない魔力だか聖力だかで火をつけ、肉をあぶった。


 ほどなくして肉の焼ける香ばしい匂いが漂う。

 聖女はぶっちょ面で小さな肉のひとつを寄越した。


「臭み消しの薬草と塩を振りかけただけですが、魔王に借りを作りたくないだけですから」


「まあ、この食べ方もうまいな」


 かぶりついた端から、こげた獣匂と鉄の臭いが広がる。

 こういう食べ方をしたのは何百年ぶりだろうか。

 対して聖女は味に不満があるのか顔をしかめている。

 あちらの世界では魔王の周りの天候は荒れたが、今はきれいな夜空が広がっている。


「お前は洞穴で寝ないのか」

「誰が魔王なんかと寝るものですか!」


 確かに洞穴を発見したのは魔王だが、目が良いのはたまたま魔王の権能の一部が残っているからだろう。

 勇者のお供で長旅をしていたのなら野宿くらいわけもないだろう。



 翌朝。


「ぺくちょい」

「くゎはははっ、ずいぶんかわいらしいくしゃみだな」


 昨日まで敵だった女はこんなに面白く、弱い女だったのか。

 敷物にしていた鹿の毛皮を投げてやる。


「どうせ俺は使わん。勝手に使え」


 ◆


「とりあえず言葉を理解できるのはありがたい。無駄な軋轢を生まないためには村の掟を聞いた方がいいか」


 両手の平をかかげ、笑顔で村人に近づく。笑顔は凶悪だったが、村人は話し合いに応じてくれた。鍬や鋤を構えながらだが。


 無駄に狩りすぎない、採りすぎない。

 と言ってもあちらの世界と生えている植物が違うらしく、最初のうちは山菜採りのばーさんの護衛をして山菜を分けてもらった。種類と採取場所さえ覚えれば、あとは聖女が自分で取りに行けばいいのだ。キノコだけは間違えたらヤバイからばーさんからもらっている。


 一度、熊を小石ひとつで倒してからは、村の狩りにも呼ばれるようになった。


 自然に魔王が狩りと村との交渉、聖女が山菜採りと料理を担当するようになった。

 細々と狩りをして、使わないもの余った物を村に売りに行き、そのついでに『石をどけて欲しい』などの頼みを聞く。

 少しずつ村人との交渉から交流に変わった頃、雨が降った。

前へ次へ目次