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第88話 まだ途中

 紗奈に言われた通りに、寛人は悠を「練習だ」と言って、校外に連れ出す。


 外周を走ってくるという言い訳を先生に伝えて、なんとか許可が降りたので、多少遅くなったとしても大丈夫だろう。


 今は外を歩きながら、気持ちを落ち着かせている。寛人は後ろをついてきている悠をチラッと振り返ると、謝罪した。


「さっきの……ごめんね」

「菊川くんのせいって訳じゃないよ」


 悠は外を歩いていて、だいぶ落ち着いてきていた。今は寛人の方が戸惑っているようだ。珍しく、表情が固い。

 

「でも、俺が無神経な事聞いたせいだ」

「平気だって。北川さんも怒ってなかったじゃん」


 悠が優しくそう言えば、寛人の方も段々と落ち着いてきた。


「うん……。彼女、悠くんをお願いって。小澤、俺と一緒で騒がしいのとか得意じゃないのに、震えてるって……聞いて」


 そこまで言うと、寛人は改めて謝罪をする。悠は小さくため息を着くと。優しい声で寛人に笑いかける。


「もういいって」


 悠の柔らかい態度に、寛人はほっと息を吐く。寛人が少しだけ元気を取り戻したところで、悠は言った。


「ね、菊川くん。ちょっと公園まで走らない?」

「え? 俺、走るのそんなに得意じゃない……」

「お詫びと思って。あと、公園についたらサボろう」


 まさかのサボり提案。寛人は有無を言わさず走らされて、公園に辿り着く。


「はあ…はあ……っ。きっつ!」

「ちょっと疲れたな」


 悠は「疲れた」と言いつつ、余裕そうな表情でブランコに腰掛けると、そのままブランコを漕いだ。


 風でふわふわと、悠の髪が揺れている。


 悠の事をじっと見つめてくるのだから、寛人にも容姿についてはバレバレだろう。


「……」


 寛人は何も言わなかった。悠は足でブランコを止め、呟くように言う。


「俺の顔見ても、何も言わないんだ」

「顔なんて関係なく、小澤は小澤だろ」

「…ふふっ。ありがとう」


 高校に入ってから、悠の知らない世界ばかりだ。


 見た目ばかりを評価して、本当の自分を見つめてくれなかったあの狭い世界が、馬鹿らしく思えてくる。


「俺と紗奈……北川さんのことね。付き合ってるんだ」

「そっか」


 悠の告白を聞いても、寛人はこくんと冷静に頷くだけだった。いつの間にか、いつもの感情の読みにくい寛人に戻っている。


「驚かないんだね」

「さっき小澤を頼まれた時点で、予想はついてた。あと、小澤はさっき山寺に噛み付いたから、彼女のことが好きなのかなって」


 寛人はそう言いながら、悠の座るブランコの目の前の囲いに腰掛ける。


 それを見届けてから、悠は苦笑しながら恥ずかしそうに俯いて、聞いた。


「分かりやすかったかな?」

「俺がそういうの、鋭い。でも、山寺のあの態度で少し鈍った。あの人、既に北川さんは自分のものだと思ってるよ……」


 寛人が悔しそうに言う。本来の寛人は、本当に場の雰囲気や感情の流れに敏感なのだろう。


 だから、今まで悠が会話をしていて心地よい言葉の使い方だったり、タイミングだったり、空気感で話しかけてくれていたのだ。


「そんな気はした。女はみんな、自分に惚れるとでも思ってるみたいだな」


 悠も苦虫を噛み潰したような顔で、そう言った。桐斗の顔を思い出すだけでも、正直嫌な気分になってくる。今もまだ、先程の会話を思い出すと胸の当たりがムカムカしてくるのだ。


「だからごめん。あの時は空気読めてなかった」

「もう、謝罪は聞いたし。何度も謝るなって。俺は菊川くんのおかげで、毎日過ごしやすいんだから」


 悠がふわっと笑うと、寛人の顔が少しだけ泣きそうに歪んだ。


 今日は寛人の色々な顔を見た。と悠は思った。


「ねえ、菊川くん。菊川くんが鋭いなら……。俺って、入学の頃から少しは変わったかな?」

「え?」

「俺ね…紗奈のために、変わりたいんだ」


 前髪で瞳は見えないが、悠がどこか遠くを見つめていることが、寛人にはわかった。


 寛人は正直、返事に迷ってしまう。しかし、悠は真剣だ。それが伝わってくるから、寛人も正直に感じている事を伝えなければならない。そう思った。


「変わったと言えば変わったけど、変わってないと言えば変わってない」


 曖昧な答えに、悠は訝る。どういう意味なのか、その答えだけでは理解が出来なかった。


「表面上…つまり、小澤自身は変わろうとしているんだと思う。けど、根本は全く変わってないって言うか……。無理やり成長しようとして、実際は体がついていけてない状況。……みたいな感じ?」


 何となくだが、寛人の言葉が伝わった。確かに、悠は紗奈のために変わろうとしている途中だ。


 人と関わろうとしているし、他人を信頼したいとも思っている。苦手だって克服したい。


 けれど、今はまだ我慢ができているだけで、実際は怖い。紗奈の前だから格好つけているけれど、不安だし、さっきだって震えていた。紗奈もそれに気がついていた。


「…小澤は、なんのために頑張るの? 北川さんのためってだけ?」

「それもだけど、それだけじゃない。俺がもっとちゃんと、紗奈と付き合いたい……。隣に立ちたいって思うから」


 グッと胸を片手で押さえ、悠は真っ直ぐに寛人を見た。見えない瞳がこちらを見据えている事に、力強い思いを宿していることに、真剣な表情をしている事に、察しのいい寛人も気がつく。


「そっか。凄いね。でも、それなら……表面上だけじゃなくて、もっと根本から変わらなきゃ駄目だ。克服しないと…駄目……かも」


 寛人はそう言うと、キュッと拳を握る。


「俺も、色々気がついちゃうせいで……嫌なこととか色々あるし、不安な事とかも多いんだけど。小澤は、克服したいなら負けないで。応援してる」


 悠の真っ直ぐな気持ちに感化され、寛人も真っ直ぐに自分の思っている気持ちを悠に伝えた。


 それは、きちんと悠にも伝わってきた。悠が優しく微笑むのがわかる。


「ありがとう。菊川くんのおかげで、もっと頑張れそうだ」

「うん。よかった」


 寛人は今度こそほっとして、いつものようにニコニコと笑ってくれた。

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