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第87話 完全対立

 体育祭の練習時間。昨日まで憂鬱そうにしていた紗奈が途端にやる気を出しているので、千恵美達は驚いた。


「どしたの? 紗奈ちゃん」

「妙にやる気だねえ」

「ふふ。体育祭を頑張ったら、ご褒美が貰えるの!」


 練習は正直、今も憂鬱だ。しかし、悠からのご褒美を考えれば、頑張れる。悠のおかげで、紗奈は張り切っていた。


「えー! いいなあ。服とか? 紗奈ちゃん、おオシャレだし」

「アクセかもよ?」


 親からではなく悠からなのだが、周りに沢山の人がいるここでは、それは内緒の話だった。


 ただ照れた顔で、「頑張るぞ」とやる気を入れるためのガッツポーズをしている。


(ふふ。可愛いなあ……)


 張り切る紗奈の姿を一部始終見ていた悠は、照れた顔で準備運動を始める。すると、ふと目の前に影が落ちた。


「北川さんのこと見てたの?」

「菊川くん」

「可愛いもんね。見ちゃうのも分かるなー」


 普段は全くそういう話をしない寛人も、紗奈の事を可愛いと思うらしい。寛人は紗奈の方に視線を送り、表情も変えずにさらっとそう言葉にした。


 彼があまり照れたりするタイプではないことは分かっていたが、他の男子生徒達がデレデレと表情を崩しているのを見ると、やはり(淡白だな)と思ってしまう。


「可愛いって言うか、頑張ってるなあ。と思って」


 キスだけでこんなに効果があるだなんて、悠としても気恥しい。それに、こちらまで頑張らなければならない。と思わされる。悠も静かに張り切っていた。


「えー……あの人見てそんな感想? 枯れてるよ」

「だって、彼女が可愛いのは周知の事実だろ」

「え。淡白なんだけど。小澤、好きな人以外にはそんな感じだったりする?」


 さっき寛人に思った言葉が、そのまま悠に返ってきてしまった。


「いや、別に……」


 そもそも、好きな人と言うのが紗奈だし、その本人と付き合っている。


 事実しか話していないのに、何故枯れているなんて言われなければならないのだろうか。と、悠は苦笑して、寛人に言葉を返す。


「君だって、表情ひとつ変わらないじゃない」

「あれ? そう?」

「君らにとっては高嶺の花だもんね」


 唐突に聞こえてきたその声に、悠は表には出さないが(うげっ)と思った。


「えーっと…山寺くん? 君、二人三脚じゃなかったっけ?」

「そうだよ。今は休憩中さ。まあ、俺なら練習なんかしなくても、彼女達をエスコート出来るけど!」


 桐斗は鼻高にそう言った。


 寛人も桐斗に苦手意識を持っているのか、軽く眉を寄せて、彼の事を見つめている。


「凄いんだね」


 悠はテキトーに話を合わせるつもりだったのだが、今回のターゲットは悠ではなく、寛人の方だったようだ。


「まあね? それより、君さあ。北川さんに可愛いだなんて……気でもあるの?」

「え? 別に無いけど。可愛いじゃん」


 寛人は素直な感想を伝える。


 (やっぱり君の方が淡白なんじゃないか)


 寛人のほとんど変わらない表情を見て、悠はそう思った。


「ふうん? まあ、君みたいなのが彼女を好きになったところでねぇ? 身の程を弁えているようで何よりだよ」

「……え? 何? 山寺と北川さんって、付き合ってるの?」


 何気なく口にした言葉だが、その言葉は周囲を凍りつかせた。

 

 男子達は、「まさか」「ついに」「みんなの北川さんが?」となっているし、女子達は、「また北川さん?」「本当に付き合ってるならショック」「あんなに冷たくされているのに……」と、口々に話している。


 様々な思いが交差する中、桐斗が「ふっ」と嘲笑するように、こう言った。


「まあ、いずれそうなるんじゃないかなあ?」


 それには、流石に悠も勘弁ならなかったらしい。


「何、その無意味な嘘」


 悠の口からは、思ったよりもずっと不機嫌な声が出る。


「何が嘘なんだい?」

「北川さんは君と付き合う気、無いと思うんだけど」

「どうして? この俺がアタックしてあげてるのに? こんなに名誉なことは無いよ?」


 何故、そうも自信満々に言えるのだろうか。それに、何故上から目線でものを言うのか。悠には理解ができない。


 悠は怒りと不信感を無理やり押さえつけるように、得意の演技で顔をつくった。


「何故って、そういう態度じゃない?」


 ニコッと悠は笑顔をつくる。いつも通り瞳は見えていないのだが、口元が弧を描いているのは、遠目からでもわかる。


 周囲からはブーイングの嵐が飛んでいる。しかし、悠も譲る気は無い。


 周囲からの注目は怖いし、否定的な言葉だって、昔を思い出して辛い。今も、正直背筋が凍ってしまいそうだし、冷や汗も滲んできているのが自分でもわかる。


 それでも、紗奈のこと(自分の彼女)を好き勝手言われるだなんて、もっと耐えられなかった。


「悠くん」


 紗奈が不安げに駆け寄ってくる。


「怒ってくれてありがとう。私は大丈夫だから、落ち着いて。ね?」

「……うん。分かった」


 紗奈が必死に宥めるから、悠も完全に怒りを押さえて、大人しくなる。


「あの、ごめんなさい。元はと言えば俺のせいだ」


 寛人はしゅんと眉を下げて、紗奈に頭を下げた。


「気にしないで。大丈夫」


 紗奈は寛人の腕にそっと触れて、顔を上げるよう促した。その直前に、「悠くんが震えてるから、お願いします」と前置いてからだった。


「ねえ、山寺くんも無駄話なんてしてないで、二人三脚の練習に戻ったら?」


 悠が紗奈のために怒ってくれた。そのせいで、悠は傷ついた。


 紗奈は、その原因である桐斗に、今後優しく出来る気がしない。いつものように「桐斗」と名前を呼ぶことすらはばかられてしまい、紗奈は眉を吊り上げてそう言い放つ。


 やはり周囲は桐斗の味方のようだったが、悠を傷つけるような周囲からは、何を言われようと構わなかった。


 紗奈は不機嫌な表情のまま、練習へと戻って行く。

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