第81話 お説教
悠は、紗奈が汗を拭ってくれているその手をギュッと握って、そのまま手をおろした。
「もう平気。ごめん。色々と黙ってて」
「ううん。いいの」
そう言った紗奈は泣きそうだった。ぐっと泣くのを堪えていて、それが逆に、悠の心を深く抉る。
「…俺ね、小さい頃に子役やってたんだ」
「うん」
この話をしたら、きっと紗奈は泣くだろう。優しい人だから、悠の事が好きだから。今度こそ涙を堪えきれずに、泣くだろう。
悠はそれをわかっていて、それでも、もう隠しきれないと思った。
「……って訳。それで、今も自分に自信がなかったり、他人を疑ったりしてる」
紗奈と付き合う前に、菖蒲に話したのと同じ内容を彼女に話した。
親目当てで擦り寄ってくるスタッフ達のこと、子役時代の嫌がらせのこと、その主犯に撮影現場のプールに突き落とされたこと、顔を合わせるのも嫌で、事故として処理されることに異議を唱えなかったこと……。そして、何もかもが嫌になって子役を辞めたこと。
「俺にとっては、紗奈だけが特別なんだ。紗奈が俺に素敵だって言ってくれるから頑張ろうと思えるし、紗奈のことは信じられる」
悠が本心を伝えると、やはり紗奈は涙を流した。紗奈は優しいから、悠のために泣いてくれる。悠の事が好きだから、悠が傷ついたことが悲しくて、泣いてくれている。
「何も知らなくてごめんね……」
紗奈は真正面から、悠にぎゅうっと抱きついた。慰めてくれようとしているのがわかる。悠は優しく彼女の頭を撫でた。さっき風に煽られたせいか、少しだけ髪が乱れていたのを、手で撫でて整えてやった。
「言わなかったのは俺だから」
「辛いのに、私のために勇気を出してくれようとしてるんだね」
人からの評価は怖いだろう。悠のかっこいい姿を見て、和也のように気づいてしまう人も出るかもしれない。それでも、紗奈の隣を堂々と歩きたいから。と努力をしてくれる。きっと不安だろうに、「紗奈の友達に会ってみたい」と、悠から申し出てくれた。
紗奈は、それが何よりも嬉しかった。
「悠くんはやっぱりかっこいい。たとえ顔を隠していても、凄くかっこよくて…優しくて……誰よりも素敵な人だよ」
紗奈は一度悠から離れると、真っ直ぐに悠の瞳を見つめて、力強い声でそう言った。
「俺が優しくて、素敵なままでいられるのは、紗奈がそう言ってくれるからだよ」
悠は優しく紗奈を抱きしめる。
「俺の事で、そんなに泣いてくれてありがとう。悲しい気持ちにさせてごめんね」
「ううん……」
悠はもっともっと辛い思いをしたのに。と紗奈は思う。
「今度は誰にも、悠くんをいじめさせたりしないからね!」
紗奈も、またきつく悠を抱きしめ返した。ギュウーっと、紗奈の方が苦しくなってしまうほどに強く、固く抱きしめる。
「ふふっ……強いな。紗奈は」
「悠くんは私が守るからっ!」
「ありがとう。そう言ってくれるだけで、充分だよ」
紗奈が顔をあげるから、その額に自分の額をくっつけて、悠は笑った。
長い前髪越しでもわかる。悠が泣きそうに笑っていることに、紗奈は気づいている。
「悠くん……」
プルルルル
また二人の世界に入るところだった。
悠のスマホが鳴った事で現実に引き戻され、かけてきた相手を確認すると、真人からだった。「やっぱりか」とため息混じりに呟いて、悠は急いで電話に出る。
「もしもし」
「悠くん? 紗奈は見つかった?」
「は、はい。お電話遅くなってすみません……。学校にスマホを忘れたみたいで、取りに戻ってました」
「そう。ありがとうね」
「いえ! その……」
こんなに遅い時間になってしまったのは、悠が自分の過去の話をしていたせいでもある。チラッと気まずそうに紗奈を見ると、紗奈は可哀想なくらいの青い顔で、オロオロとしていた。
「帰ったら叱るからねって伝えておいて?」
「ひぇ……」
紗奈が小さく悲鳴をあげるので、悠は引きつった顔で真人に返事を返す。
「すみません……。紗奈はすぐに見つかったのに、連絡が遅くなったのは俺のせいで……えっと……」
「じゃあ、悠くんも叱ってあげよう」
電話越しなのに、真人が口角をあげたのがわかった。悠もぷるっと肩を震わせ、紗奈をチラッと見てから、上ずる声で返事を返す。
「は…はぃ……」
この後、急いで紗奈をマンションまで送り届けると、既に時刻は夜の九時を回っていた。
その後、エントランスで待っていた真人に根掘り葉掘り、暴露する羽目になった。ただし、約束は約束なので紗奈のクラスメイトの煙草については内緒である。