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第79話 忘れ物

 ゴールデンウィーク前、最後の登校の日。


 その放課後。紗奈は料理部で焼いたマフィンを公園で悠に渡し、いつものベンチに並んで腰かけて、その場で食べてもらっている。


「甘さ控えめで美味しい」

「本当? 良かった」


 ドキドキと不安げに悠の様子を窺っていた紗奈は、悠が褒めてくれたので、ほっと胸を撫で下ろす。


「どんどん料理上手になっちゃうね」

「ふふ。悠くんの胃袋掴めたかなあ?」

「バッチリ。胃袋だけじゃなくて、ハートもね?」

「……うん」


 悠の甘すぎる、恥ずかしいセリフにも、少しずつ慣れてきた。未だに真っ赤になる事は多いのだが、それ以上に嬉しくて仕方がない。


 本当に物語の中にいるような気分になる時もあるくらいだ。王子様が言うようなくさいセリフが、紗奈の心を貫いてくる。


 紗奈はニマニマとしてしまいそうなのを、必死に隠していた。


「そうだ。悠くん。ゴールデンウィークに友達と遊ぶんだけど……。悠くんの紹介をしてもいい?」


 紗奈はふと思い出して、悠に問いかける。


 千恵美達に聞いてみたところ、「是非会ってみたい」と言ってくれたのだった。


 今はまだ、悠の名前も全く出していない。紹介するまでは、まだ内緒にしていようと思っていた。合宿の時に逢瀬を交わしたので、同じ学校の生徒であることはバレているのだろうが、どこのクラスの誰。とは知らないはずだ。


「いいけど。せっかく女子だけで遊ぶなら、俺がいるの邪魔じゃない?」

「それがね、お友達には双子の男の子がいて。その子も来る予定なの。おっとりした優しい子だから、大丈夫だと思うよ!」

「あ、もしかして藤瀬さん?」


 双子と聞いて、悠にもピンと来た。紗奈達の学年で双子は、藤瀬姉弟だけなのだ。


「うん! 知ってる?」


 体育は一、二組で合同だし、双子と言うだけでちょっとした噂になる。悠も、春馬と顔を合わせたことくらいはあったので、知っていた。


 悠は「うん」と頷いた後、改めて返事をする。


「わかった、いいよ。細かいことが決まったら、また教えてくれると助かる」

「うん! また連絡するね」


 公園から紗奈のマンションは近いのだが、ゆっくり話しをしていたせいで、もう日が落ちる寸前なので、悠はマンション前まできちんと送ってくれた。


 紗奈は悠と別れたあと、エレベーターに乗って早速、千恵美達に連絡を取ろうとしたのだが……。


「…あれ?」


 そこで、スマホが無いことに気がついた。

 

。。。


 紗奈は自宅に戻らずに、エレベーターを降りると急いで学校に戻る。

 

 学校に着く頃には、辺りはすっかり暗くなっていた。紗奈達の最寄りから学校までは一時間もかかるので、既に七時をまわろうとしているところだった。


「早く見つけて帰らなきゃ……」


 紗奈が教室に入ると、ぶわっと風が紗奈の顔に直撃する。スカートが捲れないように片手でおさえ、もう片手で風が吹き込む場所に手をかけた。


「ベランダに誰かいるの?」


 各教室にはベランダがある。室外機が置いてあるだけの狭いスペースだが、そこが開いているのは珍しいので、紗奈は声をかけながら覗いて見た。


「え……?」


 そこには和也がいた。いつもはきっちりと閉めている制服を着崩して、髪もオールバックにしていて、室外機にもたれ掛かりながら、煙草をふかしている。


 そんな、いつもと様子の違うクラスメイトが、そこにいた。


 紗奈は、最初は誰だかわからなくてビクッとしてしまったが、頭に乗せている眼鏡の縁と体格を見て、和也である事に気がついた。


(ふ…不良だあ……!)


 普段のイメージと全く違う和也の様子に、紗奈はベランダへの扉を開いたそのままの姿勢で、固まってしまった。


 驚いて唖然としていると、和也にグイッと腕を引かれる。


「ひゃっ!」

「しゃがめよ。バレる」

「え? あ……え? ご、ごめんなさい」


 紗奈は戸惑って、和也の言う通りにその場にしゃがみ込んだ。


「この学校さあ。七時頃まで換気扇が回るから、ここで吸ってもバレないんだよね」


 和也が紗奈にかからないよう、上に向けてフッと吐いた煙は、ベランダの上の方で回っている換気扇に飛ばされて消えていく。


 それでも間近にいる紗奈には臭うのだが、確かにベランダのドアを開ける前までは気がつかなかった。


「まあ、もうすぐ換気扇も止まるし、人もいないだろって思って閉め忘れたんだけど。ここを閉じればもっと気づかれない」

「確かに、人がいても気づかないかも」


 ドアは不透明なので、閉まっていれば気がつかない。外からも、座っていればバレないだろう。目のいい人なら、上気していく煙に気がつく可能性はあるが、あまり見上げて歩いたりはしないはずだ。


「んで、北川さんは何しに来たの?」


 喫煙の邪魔をされたからなのか、和也は少しだけ不機嫌そうに紗奈を見ると、そう聞いた。


 あまりの出来事に驚いていた紗奈は、言われてやっとここに来た目的を思い出す。


「え? あ、そうだ。スマホを忘れちゃって……」

「スマホ? 電番は?」


 訝しげに紗奈を見た後、和也はスマホをポケットから取り出して紗奈に番号を聞く。


 紗奈が素直に番号を教えると、呆れた顔をされてしまった。


「煙草吸ってるような不良に、素直に教えちゃうかね? 普通」

「ふ、不良なのに、わざわざそんな事言ってくれるの……?」


 不安げに和也を見上げている紗奈に対し、和也は呆気に取られる。


 そして、くすくすと笑い出したかと思えば、紗奈の顎をクイッとあげた。

※この物語はフィクションです。法律・法令に反する行為を容認・推奨するものではありません。未成年の喫煙は絶対にやめてくださいね!

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