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第55話 熱く蕩ける

 暫く歩いてから、悠は目の前を鼻歌交じりに歩いている紗奈に声をかける。


「そこの道に入ると、お茶が飲める場所があるよ」

「そうなの?」

「休憩所にもなってるから、少し二人でゆっくりしない?」

「うん」


 そこは穴場で、人が全くいない。本当に二人きりだった。


「ここで点てて貰えるの。お茶を貰ったらあそこでゆっくりしようよ」


 そう言って、悠は綺麗に整えられた庭にちょこんと置いてあるベンチを指さした。


「うん。綺麗なお庭だね」

「そうだね。春や夏はもっと綺麗なんだよ」

「そっかあ。悠くん、また来ようね!」

「うん」


 お茶を貰ったら、二人でベンチに腰掛けてそれを飲む。冬なのに何だか暖かくて、うとうとしてしまいそうになった。


「のどかだね……」

「ふふ。そうかもね」

「何だか眠くなっちゃう」

「…ちょっと寝る? ここ、本当に人来ないから」


 お茶も無料提供なのだが、通りの賑わいが強すぎてなのか、なんなのか、静かなこの場所には本当に誰も来ない。穴場だった。


「悠くんとお話したいのに……」

「いつでも話せるでしょ。紗奈、おいでよ」


 膝をポンポンと叩いてみると、紗奈はポッと赤くなる。


 誘惑と戦って葛藤している最中も、悠がニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべ、甘い言葉を囁いて誘ってきた。


「もう。ずるい」


 ポスッと紗奈は悠の膝に身を預けた。結局、誘惑に負けてしまったのだ。


 膝枕をされて、更に悠が優しく頭を撫でてくるので、紗奈はドキドキしつつもなんだか安心してしまい、目を閉じる。


 それから数分で、紗奈はスヤスヤと気持ちよさそうに寝息を立て始めた。


「……坊ちゃん」

「ふふ。ごめんね。急に来て」


 人が来ないのも当たり前で、ここは人の家の敷地。基本的には誰にでも提供するが、ここに来る人は本当に極わずかだった。


 特に、ここに来ているのは将司だ。俳優時代からの憩いの場になっていた。だから小さな頃からよく将司に連れてこられた悠も、鎌倉に遊びに来る度にここに来ているのだった。


「いえいえ。坊ちゃんももう恋人をつくる歳ですか」

「そうだね……」

「お風邪を召しませんよう、どうぞこちらをお使いください」

「ありがとう」


 ブランケットを受け取ったら、声をけてきた老人は奥へと引っ込んでいく。


。。。


 ……どれくらいこうしていただろう。


「紗奈……」

「んぅ」


 名前を呼んでみたら、紗奈がピクリと反応する。軽く眉が寄ったので、眉間をチョンっとつついてみた。


「あぅ。悠くん……?」

「ごめんね。起きちゃった?」


 紗奈はまだ寝ぼけ眼だが、悠が優しい表情で自分を見つめていることはわかる。綺麗な瞳に吸い込まれるように、紗奈はボーッと悠を見つめた。


「…私、どれくらい寝てた?」

「多分、一時間くらい?」

「えっ! ごめんね、悠くん!」

「可愛い寝顔が見れたから満足だけど?」

「……意地悪。あれ?」


 恥ずかしそうに起き上がった紗奈がブランケットに気がついて、驚いた顔で悠を見た。


「ここの人が貸してくれた」

「あ、そうなの?」

「うん。帰りに返すから、そのまま使ってなよ」


 タイツを履いているが、紗奈はスカートだ。そのままジッと座っているのは、足が寒いだろう。


「は、はい……」

「紗奈。ちょっとあっち向いて」

「え? うん……」


 悠に言われて軽く背中側を向けると、ふわっと髪に悠の指が優しく触れた。


「?」

「少し乱れたから」

「……うん。ありがとう」


 ドクンドクンと、一々心臓がうるさい。悠に触れられた部分が熱くなり、冬なのに沸騰しそうだった。


「ある程度直った」

「ありがとう」


 紗奈は照れくさくて、頬を両手で押さえながら俯いた。


「ねえ、紗奈」

「え?」

「紗奈って本当に可愛い……」


 約束通り、悠は演技を辞めた。


 赤い顔をして、恥ずかしそうに口元を隠している。紗奈から見えないその口元は、どこか蕩けるように緩んでいた。


 紗奈にもわかるのは、冬だというのに、悠も沸騰しそうなくらいに熱そうだ。ということ。そして、こんな顔が見られるのは、自分だけ。ということだ。


「……悠くん、本当はそんなに可愛いお顔してるの?」

「可愛いって……」


 責められると弱いみたいで、悠は更に赤くなる。視線は泳ぎ、少し潤んでいるようにも見える。


「ふふ。嬉しい。そんな風に、私で蕩けてくれるんだねえ」


 スっと紗奈が頬に触れてくるから、悠はコツンと自分の額と紗奈の額をくっつける。


「……紗奈も意地悪だ。…ばか」


 そう小さく呟いて、真っ直ぐに紗奈の瞳を見つめた。


 紗奈の目に映るのも悠の潤んだ瞳だったし、紗奈の方もどんどん羞恥に瞳が潤んでいく。


「そろそろ帰ろっか」

「ん……はい……」


 悠はそう言って、ブランケットを紗奈から受け取り、さっきお茶を貰ったところに返しに行く。


 紗奈は触れたおでこが熱くて、悠が帰って来るまでの間はそこに触れてポーっと赤い顔をしているのだった。

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