第45話 辞めた理由
紗奈との電話の後、悠は菖蒲を誘ってショッピングモールにやってきた。
待ち合わせに来た菖蒲は、髪を上げたイケメンの姿で佇んでいる悠を見て、少し居心地悪そうに声をかける。周りが彼を見て「かっこいい」とか「彼女待ちかな?」とか、ヒソヒソと噂をしていたので、余計に居心地が悪かった。
「えーっと、何の用で呼んだの」
「北川さんの幼なじみだから…彼女の好きな物とか知ってると思って」
「そりゃ知ってるけど」
「誘ったよ。クリスマスではないけど」
終業式は二十二日なので、クリスマスよりも数日早い。
「お、おう……。つーか、さっき浮かれたメッセージが届いたわ」
「あはは。なんでも話すね」
「気ぃ悪くすんなよ? あいつ、悪気があるわけじゃねえし」
「別に。君ならいいんじゃない?」
ふっと笑った顔があまりにもかっこよくて、これはモテるな。と微妙に納得してしまい、物悲しい気分になった。
「あとさ。時間があったら映画を見たいんだけど……」
悠は緊張気味にそう言った。
「今から?」
「うん。遅くなったら怒られる?」
「別に平気だけどさ。うち、割かし放任主義だし」
菖蒲が女なら話は違ったのだろうが、白鳥家では男はやんちゃしてなんぼだと言う教育方針なので、特に遅くなって何か言われることは無い。
「…この映画」
「ああ、知ってる。学園ミステリーだよな」
「そうだね……」
。。。
悠が見たがったのに、上映中の悠はずっと険しい表情をしていた。と言うより、顔色が悪かった。心做しか呼吸も乱れていたような気がする。
菖蒲はそれが気になって、あまり映画には集中出来なかった。
映画館を出てすぐに、休憩だと言ってモールの非常階段付近に設置されているベンチに腰掛ける。
「あの映画。本当に見たかったの?」
「……見る気無かったよ。映画はあの時から苦手だし……。何より、神代慎介が主役だったからね」
俳優の名前だ。ある程度整った顔に優男と言った感じの雰囲気で、たまにバラエティー番組に出演しているのを見ると、いつもニコニコとしている印象だった。
「あの映画にも出てるよ。『子ども戦争日記』」
悠が主役を務めた最後の映画のタイトルだ。その撮影の時に何かが起こって、悠は子役を辞めた。話の流れで嫌でも予想が着く。
菖蒲はゴクリと息を飲んで、悠に話しの続きを促した。
「あれさー……。当然舞台は学校なんだけど」
「ああ、そうだな」
「学校のプールに突き落とされたんだ。あいつ…神代慎介に……」
「は……?」
そんな話は聞いたことが無かった。もしも本当に突き落とされていたのなら、ニュースにならない訳が無い。
父親に聞いても教えて貰えなかったので、ラキに関する記事は自分でいくつか探した。その結果出てきた仄暗い話題と言えば、事故のことだけだった。
「冗談……じゃ、ねえよな?」
「……うん。ふざけの延長だと捉えられて、示談で事故って事になってるけどね」
菖蒲が見つけた記事の内容を改めて思い出す。確かに、撮影現場のプールへの転落事故だと書かれていた。
「聞いていいのかわかんねえけど……。なんで告発しなかったの。あの俳優が今も普通に活動してるの、ムカつくじゃん。俺なら嫌だし」
「あの時の俺にはそんな気力残ってなかった……。もう何もかもが嫌で、裁判とかそう言うの、顔を合わせるのも嫌だったから……逃げたんだ」
悠は自分自身を蔑むように嘲笑して、直後に泣きそうな顔になって、続ける。
「と言うか、さっきの反応……。君、もしかして事故のこと知ってた?」
「あー…まあ。この間ちょっと、調べた」
「うんそっか……。あの映画さ、水着シーンないじゃん? 突き落とされた時は服のままだったんだよね。プールを使う予定もなかったし、張ってある水はプールの水じゃなくて、殆どが雨なんかでできた泥水。服が水を吸っちゃって、色んな物が混ざり合ってるもんだから当然、水も重たくて。……それで溺死しかけたんだ」
泣きそうだった悠の顔色は、どんどん青白くなっていく。少しずつ呼吸も落ち着かなくなっていく。
「それまでは俺も泳ぎが得意でさ。てか、あいつもそれを知ってるからやったんだろうけど……。本当に、多分。普通にいつもの嫌がらせとして。ふざけの延長ってのも、半分はその通りだったんだと思う……。俺、危うく死ぬところで、それまでも色々と嫌がらせを受けてきたし、散々罵られたから……。何もかも嫌になって、子役を辞めた」
「そりゃ……辞めたくもなるだろ……」
思っていた以上の事件に、菖蒲はただ共感することしか出来ない。泣きそうな顔をしている悠に、これ以上なんて言えばいいのかわからなくて、俯いた。
「逃げたいし、怖いけど……。君が言うから、もっと彼女と話してみるよ」
そう言うと、悠の表情が辛そうなものから少しだけ穏やかなものに変化する。それだけ、紗奈のことを想っているのだろう。
「お、おう……。また急に…なんで? あん時、俺の言葉が刺さったって雰囲気、無かったけど」
今まであまり接点のなかった菖蒲の言うことを、悠は聞いてくれる。どころか、悠の壮大な過去についても聞かされてしまったのだが。
それが何故なのか、菖蒲は純粋に疑問に思った。
「良くも悪くも真っ直ぐな人だからかな。君は俺の事苦手みたいだったけど、去年同じクラスだった時から、俺は君への印象は良かったんだよ」
悠は、「君は知らなかっただろうけど」なんて加えて言って、くすくす笑う。
まだ少しだけ呼吸が早い気がするが、だいぶマシになったようだ。ベンチのすぐ近くにあった自販機で菖蒲が水を買って、悠に渡そうと差し出す。それとほぼ同時に、ポツリと悠が呟いた。
「あと単純に……好きな人だから信じたいってだけ…………」
だいぶマシになったと思ったが、悠の体はやはり震えていた。
(好きだからって、昔そんな目にあってたんじゃ疑うに決まってるんだよな……)
菖蒲はそう思って、なるべく優しく笑いかけてやった。
「紗奈はマジで信じて良い奴だぞ!」
「うん……」
「頑張れよ。紗奈のためになるなら、応援してやるから」
「本当、君って正直だよね」
と最後は呆れられてしまったが、ぎこちないながらも笑顔を見せてくれた。買った水を受け取ってもらう頃には、震えもしっかり止まっていた。