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第32話 ご褒美

 悠は家に帰ると、そのままの足で部屋に戻り、二部屋続きになっている更に奥の寝室に向かう。そして、寝室に入った途端、ベッドに倒れ込んだ。


「デート……」


 小さな声で呟いて、紗奈の顔を思い浮かべる。


 紗奈は可愛らしい。ちょこっとだけ会った父親が美形だったので、もしかしたら父親に似ているのかもしれない。そもそも、あれだけのイケメンを射止めた相手ならば、母親もかなり美人なのではないか。そう思う。


 天使みたいに綺麗な顔で笑う紗奈。あどけない子どものように無邪気に笑う紗奈。こちらまで元気になるような、明るい声で名前を呼んでくれる紗奈。積極的だけど、すぐに照れてしまう単純な紗奈。他人のことで涙を流す優しい紗奈も……。


 悠の心は既に紗奈に支配されているに等しい。それくらいには、紗奈のことを考えてしまっている自分に、悠はとっくに気がついていた。


「なんで俺なんだろう」


 あんなに可愛い子が、地味で何を考えているのか分からない。と言われる悠の前で可愛らしく頬を染めているのだ。


 紗奈は悠のことを優しいと言ってくれるが、人が困っていたら助けるのは当然のことだとは思う。それに、優しいと言ってくれたから積極的に人助けをするようになっただけで、昔なら自分から声をかけたりなんてしなかった。


 容姿かな。と一瞬頭をよぎった。しかし、その考えは直ぐに消え去る。自分の顔がかなりいいことは自覚しているが、その姿を他人に見せた記憶はない。悠は前髪をそっと持ち上げて見るが、鏡が無いので意味が無い。と気づき、すぐに手をおろした。


 普段の姿と言えば、伊達だが地味な色の眼鏡をかけて、瞳は長い前髪で隠している。それなのに……。


(まるで俺が好きみたい)


 と言うより、あんな顔をして見つめられた以上、紗奈に好かれているのは明確だった。悠はそう思い至って、真っ赤な顔で羊を抱きしめた。


「うあぁ…っ! 恥っず!」


 悠はその後、父親にご飯だと呼ばれるまで。ずっとベッドの上で一人、悶え続けているのだった。


。。。


 悠がベッドで悶えている頃、紗奈は由美にまたおねだりをしていた。


「あの、お母さん……。また服が欲しいんだけど」

「またデート?」

「えっと、テストが終わったら……」


 デートに誘った。と素直にそう話して、紗奈は恥ずかしそうに手をもじもじと遊ばせる。由美はくすっと笑うと、困ったように片手を頬に当てて、言う。


「そうね。せっかくのデートなら、同じ服は確かにちょっとねえ。」


 お父さんにも相談しよう。と由美と紗奈は約束し、今日もご飯の準備を手伝った。


 父親が帰ってきて、夕食を食べる時に紗奈は、由美に伝えたのと同じことを聞いてみる。


「今ある服じゃだめなのか?」

「私の服、子どもっぽいものばっかりだから……」

「そっか。俺は女の子の事情には疎いからなあ。母さんもそう思うの?」

「私は可愛らしいと思うんだけどね。紗奈は大人っぽく見せたいのよ。きっと」


 そういうことなら。と、真人は条件を出した。


「成績が上位に入ったら、父さんが何着か買ってやろう」

「え? いいの?」

「上位に入ったら。だからな。ご褒美ってやつだ」

「それって、どれくらい上位なのかしら?」


 由美が聞くと、真人は少しの間考え込んで、両の手をパーにして前に出す。


「十位以内」

「わかった。頑張るね」


 こくりと頷いて、紗奈はやる気を出す。夕食後もさっそくリビングで勉強をしていたので、由美が気を利かせてリラックス効果のあるハーブティーをいれてくれた。


「ありがとう!」

「いいえ。私は頑張ってるあなたの味方よ」


 そしてコソッと耳打ちをした。


「もし上位に入れなくても、一着くらいなら買ってあげるから」

「……ううん。頑張って取るよ。ありがとう。お母さん」

「そう……。あなたはいい子ね」


 由美はそう言って微笑んだ。

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