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第22話 諦める?

 きっと、悠は泣いていた。長い前髪のせいで見えなかったけれど、泣いていたと思う。


 紗奈はずっとそれを考えていて、家に帰るまでずっと俯いたままだった。


「ねーね!」


 家に帰ると、義人がわざわざ玄関まで出迎えてくれた。とてとてと歩いてきて、紗奈の足に抱きついてくる。


「…義人くん! ただいまー!」


 義人を見た紗奈はしゃがんで、義人に視線を合わせた。小さな義人に心配はかけられない。義人の頭を優しく撫でて、紗奈は微笑む。


「おかえんなさい」

「ふふ。お母さんは?」

「ご飯作ってる!」

「そっか。ねーね、ちょっと手を洗ってくるね」

「うがいもだよ!」

「うん。うがいもしてくる」


 義人をリビングに返して、紗奈は洗面所へ向かう。洗面所で見た自分の顔は、なんとも酷い顔をしていた。


 泣いたあとの赤い目と赤い鼻先、少々腫れてしまった顔。唇だって、上手く笑みが作れずにおかしな形に結ばれている。


「義人くんにバレてないかな?」


 力なくおかしな唇の形に笑うと、紗奈は手と一緒に顔も洗った。


 リビングに入ると、キッチンから母の声が聞こえてきた。


「おかえりなさい! どうだった?」


 娘の初恋だ。由美は気になって、一番にそれを質問した。しかし、紗奈はそれに何も答えられない。


 疑問に思った由美が振り返って、その理由に気がついた。


「何があったの!?」

「……悠くん、泣いてたの」

「え?」

「私、悠くんといるの楽しかったのに……」

「紗奈……」

「ねぇね?」


 紗奈の顔が泣きそうに歪むので、義人の方が先に泣き出してしまった。紗奈の涙が移ったのだ。


「わ! ごめんね。ごめんね。義人くん! ねーねは大丈夫だから、泣かないで!」

「…紗奈」


 由美は義人をあやす紗奈を見つめて、悲しげに目を伏せた。


。。。


 夜、義人を真人に任せて、由美は紗奈の部屋へと赴く。


「紗奈。起きてる?」

「お母さん? 起きてるよ!」

「紗奈。今日のお話、聞かせてもらえる?」


 由美がそう言うと、紗奈の表情はすぐに曇った。


「……うん」


 紗奈のベッドに二人で座り、由美はまず紗奈を甘やかしてあげる。


「紗奈の可愛い顔が曇ってちゃ可哀想だわ」

「もう、お母さん。ちょっと苦しいよ」


 紗奈は笑っているが、由美は紗奈の母親だ。今もまだ元気が戻っていないのはわかっている。


「紗奈の好きな人、悠くんって言うの?」

「うん。小澤悠くん」

「悠くんと何があったのか、聞いてもいい?」


 紗奈の頭を撫でながら、優しい口調でそう聞いた。紗奈は大人しく、悠との今日の出来事を口にする。


「本を戻す時に何かあったのかしら」

「わかんない……」

「そう。どうしたのかしらね」


 紗奈の好きな人のことだから、由美も心配して一緒に悩んでくれる。


「自信が無いって言ってた……。あのね、私とお話すると、悠くんは学校でからかわれたりするの」

「え? 酷い人達ね。紗奈の勝手じゃないの」

「そうだよね! でも、悠くんは目立つのが嫌いみたいだから……。だから、嫌だったのかも」

「紗奈……」


 由美は、しゅんと肩を落とす紗奈をもっと強い力で抱きしめて、それでも優しい手つきで紗奈を撫でる。


「紗奈は一度のことで諦めるような子?」


 悠が嫌がるなら、もう声をかけない方がいいのかもしれない。仲良くなるのをやめた方がいいのかもしれない。


 しかし、今日少しの間を一緒に過ごしただけでも、またいい所を知ることが出来た。優しく気遣ってくれて嬉しくなったし、ますます好きになった。


 紗奈はどうしたって、悠の傍を望んでしまう。


「諦めたくない……」

「なら、もっと沢山話して、もっと沢山傷ついて……。それでも沢山話して、分かりあっていくしかないね」

「そうなの?」

「そうよ。私だって、お父さんには沢山泣かされたんだから」


 紗奈の目が丸く見開かれた。


「お父さん、優しいのに」

「優しいだけじゃなくて、かっこいいのよ。だから、モテモテだったの。私、女の子に嫌がらせされたことだってあるわ」


 由美はそう言って苦笑する。今ではラブラブな両親にも、昔は大変な障害が沢山あったのだ。


「それに、私も真人を傷つけた。喧嘩もしたしね。それでも、好きだから一緒にいたかった。真人も私を好きでいてくれたから、変わったのよ?」

「変わった?」

「そうよ。お父さんって、昔は今よりも女の人に冷たかったし、恋愛にも自信の無い人だったわ」

「あのお父さんが……?」

「そう。あのお父さんが。彼に自信が無いのなら…紗奈が沢山、あなたは凄い人なんだって教えてあげなきゃ! 男を強くするのは女なのよ?」

「……私にもできる? お母さんとお父さんみたいになれるかなあ?」

「なれるわ。あなたは私と真人の、自慢の娘なんだから!」


 ぎゅっと抱き締めてもらった紗奈は嬉しそうにはにかんだ。そして、ゆっくりと考える。


(諦めたくない。悠くんは、とっても素敵な人なんだって事、悠くんにも知ってもらわなきゃ。悠くんが知らなきゃ駄目なんだよ……)


 そう胸に決意した。紗奈は由美にもそう誓い、エールを貰う。


 今日はなかなか寝付けなかったが、頑張ると決めたのでこれからの計画を考えながら瞳を閉じる。

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