第21話 信じてあげられなくてごめん
個人スペースに戻ると、紗奈が帰り支度を終えて待っていた。倒れたままにしていた椅子は綺麗に戻されていて、紗奈に貸していた本が悠の座っていた場所に置いてある。
「悠くん。結構時間かかったんだね? 大丈夫?」
「あ、ああ…うん。北川さん……その本、あげるよ。気に入ってくれたみたいだし」
悠は本には触れずに、視線だけでその本を見つめて、言った。
「え? 貰うのは悪いよ。欲しかったら、今はネット通販だってあるんだしさ」
親に買ってもいいか聞いてみる。なんて言って、紗奈は笑う。
「…俺から貰うのは嫌だよな」
きっと彼女はそんな事を考えていない。本当は分かってはいるはずなのに、ついそんな言葉を口にしてしまった。
言葉にしてからは早かった。心の奥からどんどんネガティブな気持ちが押し寄せてくる。彼女のことを疑ってしまう。
「え?」
紗奈は悠の表情が暗いことに気がついて、動揺した。
「どうしてそんなこと言うの……?」
「ほら、俺地味だし。趣味とか女みたいだし、何考えてるか分からなくて、気持ち悪いだろ」
実際に言われた言葉だ。
紗奈がそう思っていなくても、悠自身がそう思ってしまう。そう決めつけてしまう。トイレに立ち寄ったあの時から、悠の頭の中はぐちゃぐちゃだ。本当は冷静になんて、なれていなかったのだ。
紗奈への疑心、信頼。期待、不安。…そして罪悪感……。全てがごちゃ混ぜになって、また息が詰まってしまう。
「そんなこと無いよ。なんで……?」
紗奈は泣いてしまいそうだった。さっきとは違う、感動の涙ではなく悲しみの涙。
悠は顔を上げて紗奈の顔を認めると、キュッと罪悪感に胸を締め付けられた。
「…みんな言ってる、から。」
「私は言わないよ! 私は…悠くんは、ちょっとぶっきらぼうなところもあるけど優しくて、物を大切にする人で、親切にしてくれるし……素敵な人だなって思うもん!」
悠の中の根強い何かは、絡みついてなかなか離れてくれない。紗奈が本気で思って伝えたはずの言葉ですら、信じてあげられなかった。
「気を使わなくてもいいのに」
「なんで急にそんなこと言うの? 私は今日、悠くんと一緒に過ごして楽しかったよ。悠くんの好きな本を読めて嬉しかったよ。気を使って言ってるんじゃない! 悠くんは……。悠くん、今日楽しくなかった? 私が悠くんに迷惑をかけたから、怒ったの?」
紗奈の頭の中も混乱している。さっきまでとは全然違う表情に言葉。何故いきなりそんな事を……? 何かあったのだろうか。紗奈は本当に楽しかったのに、悠は違ったのだろうか。どうして、こんな事になっているのだろうか……。
「そんなこと…無い、けど」
「私は本当に気を使ってなんか無い……。本当にそう思ってるんだよ?」
「……ごめん」
紗奈の表情が痛々しくて、悠は目を逸らしたくなった。悲しませた悠から先に目を逸らすなんて、いけないことだと思ったが、どうしても直視出来なくて、悠は俯く。
喉奥につっかえる何か。それが引っかかって、嗚咽にも似た謝罪の言葉が一言。
「ごめん」
「……」
「傷つけてごめんね」
「悠くん……」
小さく深呼吸をした悠が一気に言う。
「自信が無いんだ。本当に、ごめん。北川さんは悪くないから。俺も、今日楽しいと思ってたよ……」
悠の声は小さくて、なんだか泣きそうで、紗奈はどうすればいいのかわからなかった。
「本当に、楽しかった」
楽しかったのに……。悠はそう思い、唇を噛み締める。紗奈にもそれが分かって、静かに頷くことしか出来なかった。
「うん」
紗奈も悠も、これ以上何も言葉を発することはなかった。