第19話 感涙に見惚れる
物語の終盤まで読み進めた紗奈は、猛烈に感動していた。
「す…すごく素敵……。本で泣きそうになっちゃうよ」
瞳が潤んで鼻先が少しだけ赤い。紗奈は借りた本を読み進める度にころころと表情が変わっていたので、悠はつい気になって傍から見ていた。
自分が読んでいる本にはあまり集中出来なかったように思う。
紗奈は鞄からハンカチを取り出すと、口元を押さえた。これからラストシーンなのだ。念の為に用意されたそれを見て、悠は「大袈裟だ」と呟く。
「そんな事ないよ! とっても感動するもん。悠くんだって、この本が好きでしょ? 一度くらいは泣いたでしょ?」
「よ、読んだのが小さい頃だったから……」
惹き込まれるような話ではあったが、泣いた記憶はない。と、悠は記憶を引っ張り出してきて、思い出す。
「もったいないなぁ……。羊さんも優しくて素敵な子だし、女の子も健気で努力家で…幸せになって欲しいなあ」
紗奈の表情がどこか儚げで、悠はうっかり涙が移りそうになってしまった。それは困るので、ふいっと視線を外して誤魔化す。
前髪が長くてよかった。紗奈に見惚れた赤い顔を、隠すことが出来ただろうか。と気になって、またチラリと軽く紗奈に視線を向けて、ほっと息をついた。
紗奈が本に夢中で、悠の様子には全く気がついていないからだった。
「ひ、羊さん……」
最後のページを読み切ったらしく、紗奈は今度こそ涙腺が崩壊してしまっていた。ポロポロと零れる涙をハンカチで押えて、席を立つ。
「ちょっと、目を押えたまま立ったら危ない……!」
椅子の脚に足を取られ、グラッと体が傾いた。転んでしまう。と目を瞑った紗奈は、不意に暖かく力強い腕に支えられて目を見張る。
「ほら。言わんこっちゃない」
急いでくれたのか、悠が座っていた椅子は倒れている。音はほとんど立たなかったのは、カーペットが厚かったからだろう。
「ご、ごめんなさい……」
「なんで急に立ったんだよ」
呆れたようにそう言われてしまうが、紗奈にもきちんと理由がある。紗奈は言い訳をする子どものように、「だって」と前置いてからこう言った。
「涙で本が濡れたらいけないから」
「え?」
「悠くんの大切な本だもの……」
紗奈はハンカチで口元を押さえ、涙目でそう言った。
今度は悠の方が胸を高鳴らせる番だった。ドキドキと胸が高鳴って、顔が熱い。
本当に前髪が長くて良かった……。と、本気でそう思う。
(どんなアイドルにだって、こんなにかわいいだなんて、思ったこと無かったのにっ……!)
視線を逸らしたくなり、しかし、支えた状態のままなのでそんなわけにもいかず、悠は困ってしまった。
紗奈は「すんすん」と鼻を啜っているので、動きがスローだし、悠が起こしてあげなければ力も入らなさそうだ。
「悠くん。ごめんなさい。驚いて力が抜けちゃったの」
紗奈としても、この状態のままなのは悠に申し訳なかった。それに、至近距離で泣き顔を見られるのだって、今の体勢でいるのだって、恥ずかしい。
腕…というか、ほぼ胸に体がおさまっているので、紗奈は余計に恥ずかしかった。
しかし、今支えがなくなったらそのままカーペットの上に足から崩れていってしまいそうだったので、紗奈も悠の腕にしっかりとしがみついている。
「別に、君軽いから平気だけど」
悠はそう言うと、紗奈を支えたまま近くのソファに座らせてあげた。お姫様抱っこ、なんて本当に王子様がするようなものではなく、肩を抱いてゆっくり歩かせただけなのだが、紗奈にとってはそれすらも心をときめかせるスパイスになる。
「本。そんなに良かったの?」
「それはもう! 最後はちょっと悲しかったけど……。アイナちゃんの頑張りがすごく素敵で、ひ…羊さん。やっぱり悲しい……」
最後は主人公の女の子、『アイナ』と羊のマスコットキャラクターである『シィ』がお別れをする。シィは夢の中の住人なので、アイナが成長して一歩踏み出す時にはもう、出てくることは無くなってしまうのだ。
「一生のお別れだなんて……。しかも、大きくなったら忘れられちゃうなんて悲しいよお」
「北川さん……」
落ち着いてきていた涙がまた溢れてしまい、悠は聞いたことを後悔する。しかし、それと同時に、自分の好きな作品にこんなにも心を動かしてくれたのだな。と、嬉しくもあった。
悠は困ったような、愛しいものを見るかのような、暖かな瞳で紗奈が泣き止むのを見守った。