階梯者

作者: 丘野 境界

 ナローが目を覚ますと、視界に広がったのは今にも降り出しそうな灰色の空だった。

 背中からは、土と石の硬さと草の柔らかさが伝わってくる。

 そして血臭が、鼻孔をつく。

 顔をしかめながら起き上がると、周囲には剣や槍といった武具、それに無数の兵の死体が転がっていた。




その死体の腸を、烏がついばんでいる。

 地面が吸い尽くしていない赤黒い血溜まりも、あちこちに広がっていた。


「……」


 どうやら、自分は生き残ったらしい。

 遙か遠くに、縦長の岩が浮かんでいるのが見える。

 いや、正確には違う。




アレこそが、ナローの住むアスラシカ祭神国と戦っていたスパンマキナ帝国、動く空中要塞であり、一つの国そのモノなのだ。

 そしてあの方角には、アスラシカがある。

 すなわち、ナローの国は戦に負けたのだ。



 ナローは階梯者ランカーである。

 階梯者は一般人よりもかなり体力があり、知識の憶えも良い。

 鍛えればその力はさらに増す。

 回復力も高く、おそらくナローが戦場で生き残れたのも、それが理由だろう。

 ただ、戦に負けたのもまた、階梯者が理由である。



詰まる所、遙か遠くに浮かぶ空中要塞にして一国でもあるスパンマキナ帝国は、頂点であるホルムス女帝から、ただの一市民に到るまで一人の例外もなく、階梯者なのであった。

 いくらアスラシカに優れた階梯者がいようとも、圧倒的に数が違ったのだ。



さて、そんな階梯者であるが、ならば皆なればよいではないかという話なのだが、そう上手くはいかない理由がある。

 階梯者になるには、器となる魂にその資格となる力を注ぎ込む必要がある。

 耐えられなければ、死ぬのである。




もちろんスパンマキナの民は、生まれてすぐの赤子にこの試練を課しており、その死亡率も相当と言える。

 彼の国は特殊な事情としても、それなりの胆力がなければリスクを冒して階梯者になろうという者はいないのだ。




階梯者にはもう一つデメリットがあり、その魂が通常の生物よりも輝いている。

 それは即ち、化生や死者にとっても羨むモノであり、今現在、死体に囲まれた戦場という環境にあるナローにとって、愉快な状況ではなかった。




「うへぇ……」


 傍に落ちていた剣を杖に立ち上がったナローは、何とも言えない呻き声を上げた。

 ナローを中心に、ゆるりゆらりと他のモノ達――死人もまた、起き上がってきたのだ。

 ナローの魂を食らうために、その血肉を貪るために。




「ふぅ……一難去って、また一難って所か」


 気絶している間に、ある程度の体力気力の回復は出来上がっているようだ。

 まずは、この危地の脱出である。

 ナローは唇の端を持ち上げるように笑いながら、剣を構えた。




「『火炎ファ』」

 ナローが聖句ブレスを唱えると、手に持った剣の刃が炎に包まれる。

 聖句とは、階梯者になった者が行使出来る、全能たる聖霊に繋がる言霊だ。

 階梯者のランクは、つまるところこの聖句をどれだけ扱えるかで決まると言ってもいい。



ナローが扱えるのは、階梯者となった時に聖霊から与えられた『臨界リミト』と、自分で選んだ『火炎ファ』の二つ。

 前者はナローの力を一時的に極限まで引き上げるが、一度使うと消耗がきついので、奥の手として温存せざるをえない。





「しっ――!!」

 炎の刃を振るい、迫り来る動く亡者達を斬り伏せていく。

 さすがは炎だけあって、死体もよく燃える。

 それに、刃への負担も減らす事が出来る。




炎の球として放つ事も出来るが、これから目的の場所までどれだけ距離があるか分からない現状、放出系の力をして使うのは、得策ではない……という事まで、ナローは頭で考えている訳ではない。

 せいぜいが、今使うとしんどくなりそうだ、程度である。



道標モニュメントは、どっちだ……?」

 ナローは、己に群がる亡者達を斬りながら、戦場を駆けるのだった。

 本日はここまで。うん、この程度なら全然楽ですな。話も全然進みませんが。





 どれだけの時間、どれだけの距離を歩いただろうか。

 動く死体、野犬、猛禽、残党狩りの農民、自分と同じ階梯者ランカー……そういった連中を斬って捨てながら、夜道を進む。




木の枝を束ねたモノに『火炎ファ』の聖句で作った即席の松明は、夜の闇の中では嫌でも目立つが、人間の目は闇を見通せるほど鋭くはない。

 かといって、こんな生と死の間のような戦場跡地で野営など、自殺行為にしかならない。

 ただ、歩く。


そして、やがてナローの視線の先に、ほのかな緑色の光が灯っているのが見えた。


道標モニュメントだ……!」


 最後の気力を振り絞って、光に向かって進む。

 道標は、淡い緑光を放つ縦筋が幾つも刻まれた、円筒形の石柱だ。

 この周辺には、魔物は寄りつかない。



そして、人間同士も殺し合わない事が、不文律となっている。

 アスラシカ祭神国、スパンマキナ帝国、どちらの兵達も思う所はあるだろうが、ナローと同じように疲れ果てた彼らが何十人も、道標を囲むように横たわって眠っていた。



 道標モニュメントには、魔物を寄せ付けない以外にも様々な恩恵が存在する。

 ナローは周りで眠っている者達を起こさないように、忍び足で道標に近づくと、その岩肌に手を当てた。



途端、ナローの脳裏に大きな緑光を起点とした、網状のラインが浮かび上がる。

 中心の緑光が、ナローが手を当てている道標であり、周囲に点在している緑光は別の場所にある道標だ。



そして、道標と道標を繋ぐ線は地中を走る霊線レイラインと呼ばれ、これもまた魔物を寄せ付けにくい力を帯びている。

 よって、大陸の街道の多くはこの霊線に沿って作られている。

 そして、この道標と霊線で作られた広大な網を、大包囲グラウンドネットと人々は呼んでいる。




ナローは周囲の道標を検索し、この近くで最も大きな道標を確認する。

 これが、アスラシカ祭神国の中央神殿に鎮座する、巨大道標だ。

 そして隣接する光点は、空中要塞にして一つの軍事大国である、スパンマキナ帝国の動力源、浮遊道標だろう。



道標の中でも特に珍しいとされる、宙に浮かぶ道標である。



 道標モニュメントの周囲はわずかに石で盛り上がった円状の台座で、物を置けるようになっている。

 ナローはここまでの道程で倒した、野犬の牙や爪、残党狩りが死体から漁ったと思われる指輪だの首飾りだのを、その石台座に置いた。




ナローと道標はまだ繋がっており、頭にはいくつかのコンテンツが浮かんでいる。


「……我、ナロー・ノーベルは、『供物ギフト』を捧げたい」


 ナローがその中の一つを小さく呟くと、「聖霊に供物を捧げますか?」という問いが浮かび上がっていた。




台座にあった供物が音も無く消失する。


「我に、聖霊の『試練オーダー』を与えたまえ」


 ナローのさらなる呟きに応え、頭の中に幾つもの文字が並んでいく。

 「動く死体×5」、「スケルトン×8」「野犬×3」といった、道中こなした依頼に、ナローはチェックを入れていく。




順序は逆になるが、依頼は達成されている事になり、これらの成果や供物は全て『功徳バンク』となる。


「積みし功徳に応じ、秘宝の閲覧を請い願う。我に糧を。紅蜜果を五つ。口にする事を、許し給え」


 現在のナローの功徳は27895あり、この内の50を消費した。




石の台座が淡く輝いたかと思うと、麻の袋が出現した。

 袋の口から覗くのは赤い果実、紅蜜果。

 ナローはそれを一つ手に取ると、大きく一口齧り付いた。

 シャリッと軽い歯応えと共に、口の中に甘い蜜が広がっていく。




ようやく人心地ついたナローは、果実を一気に平らげると、さらに二つほど腹に収め、その場に横になった。

 疲労が一気に押し寄せ、ナローの意識はすぐに眠りに落ちていった。




ナローは気配を感じて、目を覚ました。

 空は明るさを覗かせ始め、気力の戻った者達は何人か、既にもう旅立っているようだ。

 さて、ナローの正面である。

 目の前に女の子がうつ伏せになって倒れていた。




年齢はナローより二、三歳若いぐらいか、幼さの残る十代前半から半ばといった所だろう。

 それでも服装は貫頭衣に革鎧という出で立ちであり、戦の参加者である事は明らかだ。



竜人ルウ族の特徴とも言える太い木の枝のようなツノが、後頭部でアップにした翠玉色の髪の両サイドから伸びている。

 爬虫類的な尾も、尻の辺りに見て取れた。

 瞼を持ち上げた少女の瞳は、縦に割れていた。

 そして、呟いた。


「お腹が空きました」



 ナローに空腹を訴えてくるという事は、つまり持っている紅蜜果が目的という事なのだろう。

 盗まなかったのは自制したのか、単に本当に空腹が限界を迎えていて指一本動かせないからか。




何せ、戦場からほんの少し遠ざかったばかり。

 しかも状況としては母国が敗北し、ナローとしては己の資産は温存しておきたい所なのだ。


「聖霊に供物を捧げれば、いいんじゃないか? 動物なんて、そこら中にいるだろう」

「獲物を狩る気力すら、今はもう……」




パタン、とわずかに揺れていた竜娘の尾も倒れ伏した。


階梯者ランカーか?」

「そう。我、カディア・エィルです」


 ナローの問いに、少女は肯定する。

 カディアという名前らしい。


「階梯者なら、手持ちの功徳を消費するという手もあるぞ」

「先日、尽きました」



「普通、尽きるもんじゃないんだが……」


 功徳を消費する事で、階梯者は聖霊から様々な恩恵を受ける事が出来る。

 それは、珍しい食べ物であったり、魔力を帯びた武器だったりする。

 とはいえ、果物一つ手に入らないほど使い切るという者など、そういない。



……もっとも、目の前に存在するのだが。



「……何か、恵んで下さい。お願いします。何でもしますから」

「それなりに見目麗しい娘が言っちゃいけない台詞の上位が出てきたぞ、おい。俺が悪党だったら、どうするんだ」

「だから、相手を選んでお願いしました。貴方は多分、いい人です。根拠は私の勘。良く当たります」



ナローはため息をついた。

 自分でもお人好しだなぁと思う。


「紅蜜果。一つだけだぞ」


 もう一つは、ナローの朝食である。


「ありがとうございます!」


 ナローが差し出した紅蜜果を、カディアは首だけ伸ばして齧り付いた。

 一瞬にして、紅蜜果が消失した。


「一口で!?」


果実は明らかに彼女の口より大きいのに、一体どうやって入ったのか。

 目の前で見たにも関わらず、ナローには理解出来なかった。

 紅蜜果で腹を癒やしたカディアは身体を起こし、胡座を掻くナローの前に正座した。


「お礼に、貴方の仲間になります」

「その心は?」

「しばらく養って頂ければ」

「帰れ!」


 ナローをアテにする気満々であった。


「……故郷に帰るにも、一人だとちょっと物騒だと思いませんか? お互いに」

「そりゃまあ、なあ……」


そういう事なら、本人の望んだ通り、対価は身体で払ってもらおう。

 もちろん性的な意味ではなく、戦力的な意味である。

 竜人ルウ族は、小猫キトゥン族や牛鬼ボウガ族といった様々な種族の中でも、戦闘力では上位の種族だ。


ナローは普人ヒュム族であり、この種族は大抵の事はそつなくこなすが反面、突出した特性もないのである。


アスラシカ祭神国、通称「阿国」は多種族国家であり、普人ヒュム族のナロー、竜人ルウ族のカディア以外にも、数種類の種族がそれぞれの集落を形成し、生活を送っている。

 普人族は最も人口が多く、それが故の「普」人族である。




前述の通り、突出した能力はないが、同じように弱点もない。

 小猫キトゥン族は皆小柄で、成人でも普人族成人男性の腰程度しかない。

 とても素早い。

 牛鬼ボウガ族は逆に、ほぼ全員が巨躯の持ち主である。

 圧倒的な怪力を有し、戦士や力仕事に向いている。



翼手ハピクリア族は女性のみの種族だ。

 両手が翼なので、足を器用に操る。もちろん飛行能力を有している。

 竜人ルウ族は、身体のあちこちに竜の特徴がある。

 歳を経ると、息吹や翼による飛翔が可能となる。



水蛙ミガエル族は、陸地と水辺、両方に棲息する武人気質の一族である。

 刀、着物、様々な「道」といった独特の文化を形成している。

 岩塊ゴルム族は一見すると岩の塊で、とても重い。

 頑丈で、とても辛抱強い者が多い。




樹精ウッドリー族は男女共に美しい樹木の一族だ。

 穏やかな気性で、芸術的な感性に富んでいる。

 菌糸ムシュラム族は、岩塊ゴルム族と並ぶほど特徴的な種族だ。

 一見すると巨大なキノコであり、独自のネットワークで繋がり合っている。



熊猫レパンサ族は黒と白の模様を持つ、熊と猫を合わせたような愛らしい姿を持つ種族だ。

 ナンバ弁なる独自の言語を操り、商魂が逞しい。

 走竜コナソー族は人の言葉は理解出来るが、喋ることは出来ない。

 二足歩行の恐竜で、大陸中で移動用、運搬用に利用されている。



 ナローとカディアは、阿国の王都を目指す事にした。


「せめて、道場がどうなったかぐらいは確認しとかないとなあ」


 ナローは農村の三男坊であり、家を継ぐ事はない。



次男ならば、長男の予備という事でまだ居場所はあっただろうが、三男ともなると大体は口減らしの対象となる。

 ナローが五歳で入った寺院は、多くの子供達が雑用をしながら武術を学ぶか学問を修めるかという場であった。



ナローは剣術に適性があったので、寺院に付属していた道場で修行をし、そして階梯者となった。

 勉強はあまり好きではなかったが、読み書きは憶えておくと便利だと和尚が言うので、それぐらいは出来る。

 生まれた家の事は正直、ほとんど憶えていない。



なのでナローにとって第二の生家である道場の方が、大事であった。

 まあ、スパンマキナ帝国に焼き滅ぼされている可能性もあるが、それはそれ。

 今から走った所でどうにもならないし、寺院にいた連中はそれなりに逞しかったので、どうにかするだろうとは思っているのであった。


寺院がなくなっていたらどうするか……はまあ、なくなっていた時に考えればいいだろう、と考えるナローであった。


 朝食をとったナローとカディアは、王都に向かって歩き始めた。

 二人と同じように、何人かの兵士や戦士も森を拓いて造られた街道を歩いていた。


「まあ、焦ってもどうにもならないから、急ぎの旅って訳でもないんだけど」



薄情かもしれないが、ナローとしてはまず自分の身が大事であった。


「カディアは、どう?」

「私の部族の集落は少し離れていますし、同じように慌てていません。いざとなれば沼に逃げますし」

「スパンマキナの連中は蜂だって聞くし、確かに水中は逃げ場としてはうってつけだな」



カディアの生家は、王都の西にある沼地なのだという。

 今、ナロー達は北上しているので、まずは王都、それから沼地となりそうだ。

 王都で何か目的が出来ればそこでお別れになるだろうが、そうでなければ同行してもいいか、と思うナローであった。



「私としては、ご飯さえ食べられるなら不満はありません」

「……紅蜜果は限りがあるし、出来るだけ野草を採ったり、獣も狩るぞ」

「野草、私、知りません」

「よくまあ、階梯者やってられるなあ!? 一応必須技術だぞ!?」




肉だけでは人体に悪い、というのが寺院で学んだ常識であった。

 それとも、竜人族は違うのだろうか。


「これから憶えます、はい」


 まあ、やる気はあるようだ。




街道から少し外れた森の中。


突破ブレイク!!」


 聖句ブレスを紡いだカディアの槍が、野ネズミを貫通した。

 槍の素材は、鋭い石の先端と太い木の枝だが、威力は充分だった。


「どうですか、ナローさん」

「ああ、すごい威力だ。すごすぎて、獲物が木っ端微塵だ」



ナローは、骨にまとわりついた肉片と化した野ネズミの残骸を、持ち上げた。

 得意になっていたカディアは、慌てて頭を下げた。


「わああああっ!? す、すみません!」



「野ネズミには、威力がデカすぎたようだな。まあ、別口で幾つか手に入ったし、カディアの聖句ブレスも分かったから、結果オーライだけど」


 階梯者カディアの有する聖句は、貫通力のある『突破ブレイク』と対象を癒やす『治癒キュア』。



二つとも、旅においては有効な聖句だ。

 ……まあ、使いどころを考えれば、だが。


「ううう……次はもっと上手くやります」


 落ち込むカディアを適当に慰めながら、ナローは周辺に仕掛けておいた、ロープと木の枝で作った簡単な罠の残りを回収していく。

 罠に掛かった大きな野ネズミは五匹。

 肉はもちろん、牙や皮も素材になる。

 店で売れば金になるだろう。




「さてさて、野草と果物も手に入ったし、しばらくは食糧も持つぞ……食べ過ぎなければ」

「うっ!」


 竜人族は能力は高いが、とにかく燃費が悪い。

 カディアも例外ではなく、よく食べるのだ。

 血抜きした肉を木の枝に刺し、ナローはそれを火炎ファの聖句で焼いた。



森から街道に戻り、二人は肉を食べながら再び王都を目指す。


「戦闘の分担は、俺が前衛、カディアが中衛って形がよさそうだな。しばらくは、それでやってみよう」

「はい」


 ナローの背筋に、人の気配が走った。


「待て……いや、待たずに、歩き続けろ」

「はい?」


 並ぶカディアとゆっくり歩きながら、ナローはさらに気配を探る。

 剣呑な雰囲気だ。

 間違って、友好的なそれではない。

 こちらの様子を伺っているのが、分かる。




こちらの様子を伺っているのが、分かる。

 足音を鳴らさないように、少しずつ包囲網を狭めているようだ。


「……囲まれてる。監視……? 玄人プロじゃないな……これは、残党狩りか……?」


 残党狩り。

 敗残兵を狩り、その装備を奪う者達だ。



多くは周辺で飢えたり戦のドサクサで一儲けを企む農民の他、戦に負けた兵士や傭兵も、そうしたモノになる事がある。



「やりますか」


 歩きながら、カディアも臨戦態勢を取る。

 周囲の殺気から判断しても、話し合いには応じてくれそうにないだろう。


「完全に囲まれる前に、やろう。聖句は――」

突破ブレイクぅ!!」


ナローの台詞を待たず、カディアは茂みに潜んでいた賊目掛けて、一息で疾駆していた。

 血飛沫と共に、簡素な皮鎧を着込んでいた男が、槍に貫かれる。

 そして、周りの賊も一斉に出現した。

 いや、しようとした。


「分かってらっしゃる。これなら……」



その時には既に、ナローも動いており、手近にいた賊を一人、斬り伏せていたのだ。

 賊はやはり農夫か何かのようで、剣や槍こそ持っているものの、構えはまるで素人の域を出ていない。

 ナロー達が若い男女と見て、甘く見ていたのだろう。



有利なのは数だけであり、階梯者ランカーである二人からしてみれば、まるで脅威になり得なかった。

 聖句をほとんど使う必要もなく、賊達を次々と倒していく。

 叫び声が響いたのは、その時だった。


「おい、出てこい! 出番だぞ!」




「おい、出てこい! 出番だぞ!」


 野太い髭面の賊の声に、ヨタヨタと現れたのは小柄なキノコだった。


「むしゅー…」


 全体的に白く、半球型の傘は赤地にやはり白い斑点。

 ボテッとした柄の部分に、まるで点で作られたようなつぶらな瞳が二つ、それに短い手足が生えている。




動く、キノコだ。


「おや? 菌糸ムシュラム族か?」


 背丈は、ナロー達の腰ぐらいまでの高さしかない。

 つまり、まだ子供の菌糸族である。

 菌糸族の子供は、ナロー達から少し離れた場所で、不器用な踊りを開始した。



それにつれ、地面から魔力がわき上がってくる。

 魔術、それも時間を掛ける儀式魔術の類だ。


「へへへ……手こずらせやがって。だがもう終わりだ。いくらテメエらでも聖獣様には敵うめぇ」


 形勢の逆転を確信したのか、髭面の賊がふてぶてしく笑う。


おそらく賊の頭なのだろう、体格も鎧も他の賊よりもかなりいい。


 晴れていた空が急速に曇り、暗雲の隙間から稲光が迸る。

 この世界には、『21の聖獣ブラックジャック』と呼ばれる存在がある。


聖霊と同一化した亜神ハーミット悪霊タタリの中でも高位の存在であり、そんなモノが顕現したとしたら、常人コモンであるナロー達では、まず勝つ事が出来ない。


「召喚術師……! ナローさん超ヤバいです逃げましょう!」

「ま、それが本来正解なんだが……」


カディアの意見は、極めて常識的と言えた。

 が、ナローは賊の頭から目を離さず、改めて剣を構える。


「……駄目だな。俺の義が奴らを倒せと言っている」


 毛に隠れているが、菌糸ムシュラム族の足首には凶言カラミティの刻まれた枷が嵌められていた。



この子供は、賊の頭に強制的に従わされているのだ。


「子供を使役するとか、見ていて気分が悪い」

「うわぁ、そういう方面でスイッチ入る人だったんですね、ナローさん」


 といっても、勝ち目があるかどうかとなると、今のところまったくないのであるが。


 空間が歪み、巨腕が出現する。

 虚空と現世の境目を跨ぎ、姿を現したのは、見上げるような大猩猩ゴリラだ。

 銀色の毛を包むのは、年期の入った道着であり、拳や肘、膝や脛には板状の防具が浮いている。


 亜神が一柱――『怪腕王』ムルデル。


21の聖獣の中でも、物理攻撃に長けた亜神である。


「……まあ、『千変万化』ステトバや『常闇』キケルヴァよりはマシだけど」

「何の、慰めにもなってないと思いますよ、それ」


 ナローが上げた二柱は、亜神となる前は、魔術師や錬金術師として名を馳せた英霊である。



それに比べれば、搦め手もなく単純な物理攻撃のムルデルは、確かにマシといえばマシである。


「凌ぎ切れればの話ですけどねー……」


 一呼吸、深々と吐き出すと、カディアはムルデル目掛けて駆け出した。

 もちろんそれに並ぶように、ナローも踏み込んでいく。



「死ぬ死ぬ死ぬ……!」


 ナローの身体を豪風が撫でていく。

 これで、三度目。

 ムルデルの拳は当たってもいないのに、それが通り抜けただけで吹き飛ばされそうだ。

 もちろん、少しでも当たれば即死である。


巨腕を挟んだ反対側では、カディアも同じように顔を青ざめさせている。

 ちなみに、ナローの剣もカディアの槍も、ムルデルの銀毛に阻まれ、傷一つつける事が出来ずにいた。

 ……本来、亜神と戦ったとして、これだけ生き残れる方が珍しい。

 というか、ほとんど奇跡と言ってもいい。


二人が助かっているのは、ムルデルの召喚者である菌糸族の子供がまだ、術者として未熟だからであった。

 その一方で、あの小さな身体で、亜神を召喚出来るのも、それはそれで破格であるのだが。




 もう何度目になるのか、ナローとカディアはムルデルから跳び退って距離を取った。


「まったく、埒があかないな」

「ですねっ!」


 二人が生き残る道は、二つある。

 一つは、この巨大な猿猴ゴリラを倒す。



もう一つは、召喚主である菌糸族の子供の霊力切れを待つ。

 一つ目は常人コモンには不可能である。

 となると必然的に二つ目となるが、それまで生き残れるかとなると、これも怪しい。


何しろ、一撃食らえばアウト、かつ相手がいつまで顕現していられるのか分からないという状況は、ナロー達に精神的な負担を掛けていた。

 ただ……正確には、三つ目の道が存在する。



「一応、打開案はあるんだけど」

「聞きましょう」


 この危機的状況にあるから、思いついた手だ。


「……常人コモンじゃ無理だが、超人ブレイカーなら、どうだ?」



この死地にあって、人の域を突破し、超人へと到る。

 それこそが、ナローの策であった。


「誰かを呼ぶって事ですか?」


 カディアは首を傾げた。


「違う。俺達が、人を超える。上手くいくかどうかは一発勝負。そして、文字通り手を貸して欲しい。今すぐに」


「手?」


 埒があかないと判断したのは向こうも同じなのか、距離を取っていたムルデルが、腰を落とす。

 次に来る攻撃は、間違いなくこれまでで最速の攻撃となるだろう。



 時間がない。

 なので、ナローは自分達がやるべき事を、カディアに伝えた。


「なるほど、確かにやる価値があります!」


 ナローは伸ばされたカディアの手と手を繋ぎ、聖句ブレスを唱えた。

 足を溜めたムルデルが、その力を解き放ち、二人に向かって躍り掛かる――



臨界リミト!」×「突破ブレイク!」


 ――颶風を伴う一撃はしかし、二人を粉砕する事はなかった。

 残像すら伴う速度で左右の樹にナローとカディアは跳躍し、その幹を足場にさらに跳ぶ。

 その衝撃に、二本の樹がへし折れる。


腕が伸びきり隙だらけになったムルデルの延髄とこめかみに、剣と槍の一撃が炸裂した。



「やりました!?」

「いや」


 声を上げるカディアを、ナローは否定する。

 実際、こめかみと首筋に刃を突き立てられながらも、ムルデルの眼はギョロリと動いていた。


「そこまで甘くない」


ムルデルは身体を振るい、二人の身体ごと刃を弾き飛ばした。

 ナローもカディアも、これまでなら木の幹か地面に叩きつけられていただろう。

 しかし超人ブレイカーに到った今、二人にはまだ体勢を立て直すだけの余裕があった。


「そんな……」


といっても、相手がいまだ健在な事に、カディアは精神的ダメージを受けているようだったが。

 一方のナローは、落ち着いていた。


「けど、倒す必要はない」


 ムルデルの姿が次第に霞み、空を包んでいた雷雲もやがて青さを取り戻していく。


「術者がもう、限界だからな」


 ドサリ、と召喚者だった菌糸ムシュラム族の子供が突っ伏し、その背後にいた賊の頭が慌てる。


「むしゅー……」

「こ、この役立たずが!」


 激昂した賊の頭は、子供の背に短剣を突きつけようとする……が。


「お前は、何も仕事してないだろ」


超人ブレイカーとなったナローは、瞬く間に距離を詰め、その首を刎ねた。


「むしゅ、しゅー……」

「ナローさん、足枷が砕けました!」


 なるほど、カディアの言う通り、足に嵌められていた禍々しい枷が灰のようにボロボロと崩れていく。



菌糸族の子供も、どこか安堵したような声を上げていた。


「縛ってた契約主が死んだからだろうな。言葉は分かるか?」

「むしゅ……」

「……うん、そっちは理解してるみたいだけど、こっちが分からん。どうしたモノかね」



”『伝心テレ』”


 ふと、そんな声とも言葉ともつかないイメージが、頭に浮かんだ。

 ナローは、菌糸族の子供を見下ろした。


「……ん、意志を伝える聖句ブレスか?」

”そう。ぼく、ハンメル。たすけ、ありがと”


菌糸族の子供の名前はハンメルと言うらしく、短い手をパタパタと動かした。


「まあ、命があって何より。仲間はいるのか?」

”せんそう。もり、やけた。みんな、ばらばら。ぼく、つかまた”



戦のせいで森は焼け、ハンメルの部族はその煽りを受けて散り散りになり、家族とはぐれたハンメルは、盗賊に捕まったのだという。

 召喚者としての才能があったハンメルは階梯者の資格を得ており、その技能のお陰で運良く殺されずに済んだらしい。


「あー……」


 ハンメルの事情を聞き、ナローは頭をガシガシ掻いた。

 要するに今のハンメルは一人であり、ここは街道に近いとはいえ、危険な獣も棲息する森の中である。


「つまり、行くアテはないんですね?」

”……ない”

ハンメルの肯定を確かめ、カディアは何かを期待するような視線をナローに向けてきた。


「いや、そんな顔で見るなよ!? 俺にどうしろって言うんだよ」

「同じ階梯者ランカーですし?」


「……ですしって何だ。いや、分かってはいるんだけどな、助けたはいいけど、そのまま放ったらかしとか、それはさすがに無責任とか。ただ、コイツの意志はどうなんだよ」


 一応念押しして、ナローはハンメルの判断を伺う事にした。


”なかま、さがす。まち、いく”


「となると、方角は一緒ですね」


 二人の言葉に、ナローは肩を竦めた。


「分かった分かった。……俺達も王都に向かってるんだけど、君も来るか?」

”いく”


 こうして、ナローの同行者は二人に増えたのだった。



「これは、道標モニュメントで確認した時が、楽しみだな」


 一段落して、ナローは己の身体がひどく軽い事に気がついた。

 亜神相手に一戦やりあって、もちろん疲労はある。



しかし、それとは別に、まるで水中から上がった後のように、肉体の重さがなくなっているかのようなのだ。


「槍もすごく軽く感じますよ!」


 カディアの槍先が消え、パンと弾くような音と共に、ナローの眼前に突きつけられた。

 どうやら、音速を超えたらしい。




「って、危ないな! こっちに突き出すな!」

「ナローさんも、剣を振るってもいいですよ?」


 言いながらも、カディアは一旦槍を引いた。



「そういう所で平等を保つってのも、どうかなぁ!?」


 というか、ナローが本当に剣を振るったら、再びカディアも槍を突いてくるって事ではないか。

 もちろんナローに、そんな危なっかしい真似をするつもりはない。


「むしゅ~……」



少し離れた所で、寸胴腹のハンメルがこちらを向き、王都の方を振り返る。

 念話を使うまでもなく、何が言いたいのか、ナローには分かった。


「おっと、そうだな。力試しなんてしてないで、先に行こう。身体の調子なんて、歩きながらでも分かるだろ」


ナローが軽く早足になると、その横にカディアが並ぶ。


「そうですね。でもとりあえず一回、仕合ってみませんか?」

「人の話、聞いてた?」




三人は、再びのんびりと王都を目指す。

 菌糸族のハンメルは足が短いのでそれほど早くは歩けないが、遅すぎるという事もない。

 一方で、竜人族のカディアはヒラヒラと舞う蝶を追ったり、、食用の野草を見つけては採取したりと、とても戦に負けた一行とは思えない長閑さであった。



移動と野宿を繰り返して数日、カディアがこんな事を言い出した。


「ナローさん、ナローさん、結社ユニオンとか作りません?」

「何だよ唐突に」


 結社とは、志を同じくする階梯者の集まりである。

 まあ、この三人の志が一致するかどうかはさておき、この辺りの基準は大体緩い。


同じ村出身の幼馴染み達であるとか、そういうのでもよいので、ナロー達の場合だと敗戦で食うに困っているので、互いの協力し合う、というお題目にでもなるのではないだろうか。

 それはさておき。


「そもそも君、故郷に帰るんじゃなかったのか」


「帰る事は帰りますけど、その後また階梯者として修練を積みますから。なら、より楽……あ、いや、快適な環境を用意した方がいいじゃないですか」

「言い直しても、本音がダダ漏れだ。まあ、それは別にいいんだけど、ハンメルの意見も聞かないと駄目じゃないのかね?」



”ぼく、おうと、いく。みんな、さがす。おかね、いる”


 ハンメルは軽く、頭から胞子を放った。

 ちょっと興奮しているらしい。


「……つまり、結社ユニオン作るのに、反対じゃない、と」

”ゆにおん、なに?”


 首がないハンメルは、身体ごと軽く傾いた。


「まずは、そこからか……」


 ナローはハンメルに、結社の意味を説明した。

 志を同じくする階梯者ランカーの集まりである事、設立が万能たる聖霊に受理される事で、様々な神秘ゴスペルを行使する事が可能である事。




そもそも階梯者ではあれども、結社は戦闘職に限らず、魔術や職人の結社も存在する事。

 そして、入れる結社は、階梯者一人に一つであるという事。


「ただ、設立には条件がある。まず、最低でも超人格ブレイカー・クラスの代表、そしてこれを含めて五人の団員。残り四人は別に、常人コモンでも構わない」


 仮にナロー達が結社を設立しようとするならば、代表の問題はつい先ほどクリア出来た事になる。



まだ、道標モニュメントでちゃんとした確認は取れていないが、ナローとカディアは亜神を撃退した事により、超人ブレイカーの格を得ているはずである。

 なお、一般知られている最大の結社は、正にナロー達が敗北した、浮遊帝国スパンマキナだ。


頂点たるホルムス女帝は古老エルダーの中でも最高位である最古老マスター・エルダーであり、配下の将軍達は全て大超人ハイ・ブレイカークラス、しかも国民全員が例外なく階梯者である。


”すごい”

「すごいんだよ、実際……おそらくこの世界最大規模の結社だからな」


ハンメルのシンプルな感嘆に、ナローは肩を竦めた。

 何にしろ、ナロー達が結社を作るには、まだ人数が足りない。


「残り二人は必要なんですねー……」


 カディアが遠い目をする。

一番簡単な手は、階梯者ギルドで仲間を募る事だが、気の合う仲間というのはこれでなかなか集まるのが難しい。



「まだ、他にも必要なモノがあるぞ。旗印になる刻印エンブレムのデザインもいる。まあ、この辺は金さえあれば、職人に依頼出来るだろうけどな」

「お金……」


 カディアは空を見上げて、遠い目をした。

 雲でも見ているのか、まあ途方に暮れているというのはよく分かる。


「団員の数の時よりも、切実な顔になってるな……」

「……お金も、ありませんから」


 何せ、ナローとしては、彼女との初対面は行き倒れである。

 さもありなん、であった。


「森で採った素材や獲物を売り払えば、少なくともしばらくは持つだろ。問題は、帝国に占領されて、王都がどうなってるかだけどな」

「その割に、余り緊張がないですね」



「帝国からすれば、国なんて無傷で手に入るに越した事はないだろうし、民も資産だからなあ。まあ、王族や貴族は、ド修羅場だろうけど」


 ちなみにヤバい状況なら国自体から逃げよう、とも考えているナローであった。

 命あっての物種である。



「むしゅー……」


 ふと、ノタノタと歩くハンメルの頭から、湯気が出た。

 いや、熱気がないし、これは胞子か。

 そして、ハンメルの念話がナローの意識に届いてくる。


”ちかく。ひと、けはい、する”

「え、まったく、感じられないんですけど……」



同じく念話を受け取ったカディアが、キョロキョロと街道左右の森を見渡す。

 ……いやだから、迂闊に気づいたそぶりをするなよ、とナローは内心、吐息をついた。


「菌糸族は、胞子を漂わせる事で、隠れているモノを探ったり出来るんだよ。要するに、俺達よりも勘が鋭い」


「へー……問題は、それが敵か味方かって事ですよね」


 確かに、そこは重要な点だ。



 ハンメルの念話は続く。


”……よわ、ってる? ふたり。りょうほう、にんげん”


 ふむ、とナローは唸った。


「二人いて、両方弱ってるって事か? それとも二人の内のどちらかが弱ってるって事か?」

”ひとり。もうひとり、こまってる”



ハンメルの言葉通りなら、弱っている人間が一人おり、それが理由で連れらしき人物が困っている、という所か。


「人間って事は、おそらく王国側ですよね。帝国の人達って蜂ですし」


「まあ、帝国側のスパイって線もゼロじゃないだろうけど、多分カディアの言う通りなんだろうな。困ってるなら行ってみるか。敵なら叩き切ろう」

「最後に物騒な台詞が出ましたねー」


 ともあれ、その二人のいる場所へ、ナロー達は足を運ぶ事にした。


街道から離れ、森の中で生い茂る茂みに向かってナローは声を上げた。


「そこに隠れている人、安心して下さい。こちらに敵意はありません」


 もちろん、武器は抜かずに腰に下げたまま、カディアにも同じように槍を背負うように言ってある。


すると、茂みの奥から硬い声が届いてきた。


「何者だ」


 ……若い、おそらく十代の人間だろう。

 男か女かは、ナローにはまだ判断がつかなかった。

 まあ、それはともかく交渉だ。


「傭兵やってた階梯者ランカーです。負けた方の」

「そうか……それは済まなかったな」

「ん?」


「ナローさん、今のって……」

「ああ」


 違和感を憶えたのは、ナローだけではなくカディアも一緒だったようだ。

 つまり。


「あの、そこで謝られるって事は、貴女が王族とか高い地位の貴族とか、とにかく人の上に立つ地位にいるって事になるんですけど」

「あっ!?」



その他

あ、女の子だこれ。

 さっきまでの気を張った声音がなくなり、年相応の少女の声だった。

 それはともかく、ナローの指摘はおそらく当たっている。

 茂みの向こうから、とてつもなく動揺した気配がこちらに伝わってきているのだ。


「……他人事ながら、何かすごい心配になる人だな」


「同感です」

「むしゅー……」


治癒キュア……まあ現状、気休めよりはマシなレベルだな。何度か続ければ治るだろうけど、俺の霊力も有限でね」


 茂みを抜けると、木々の囲まれる形でポッカリ空いたような空間に、全身甲冑を着込んだ老人が倒れていた。



意識もなく、無数の刀傷が全身に刻まれ、草も血に染まっている。

 癒しの光を照らすナローの後ろから、老人を心配そうに見つめるのは、声の主だった少女である。

 荒かった老人の呼気が鎮まったのを確かめ、少女はホッと息を吐いた。


「いや、それでも助かる。爺は私にとって大切な人なのだ」



白金色の髪を持つ少女は、神殿関係者が羽織る法衣に身を包んでいた。

 そういえば、とナローは気がついた。

 老人の甲冑も、神殿の僧兵のモノである。

 何より、気を失っているにも関わらず、老人の纏う気配は尋常ではない。


「階梯者だな。それも超人格ブレイカー・クラス



ふむ、と顔を上げると少女はナローを見ていなかった。

 何だ? と思って振り返ると、そこにはカディアがいた……なるほど、少女は彼女と目が合ったのか。


「あ、どうも竜人族のカディアです」


 カディアは会釈をし、隣に立つハンメルを手で指し示した。


「むしゅー」


「こっちは菌糸族のハンメルです」


 ハンメルは軽く傘の部分から胞子を放った。

 ……これが菌糸族流の挨拶なのか、ナローには判断がつかない。



「これはご丁寧に。そういえば、名乗り忘れていたな。私はアスラシカ祭神国の第い――あ、あー……素性は明かせないが、名前は、えーと、その、ちょっと待って欲しい」


 ブツブツと小さく呟き、やがて何かが思いついたようで、表情を明るくした。


「ル、ルーファスだ」



本人は自信たっぷりだが、さすがにナローにもそれが偽名である事ぐらい、分かった、

 そもそも、『第い――』で止めた辺り、予想以上に色々と『おっかない』。

 ナローは肩を竦め、治癒を施した老騎士を指差した。


「……詳しく聞かない方がいいって事は、理解したよ。俺はナロー。この、倒れている爺さんは?」

「アキツカだ」


 これは本名かな、とルーファスを観察しながら考える。

 自分の偽名の時と比べ、淀みがなさ過ぎるのだ。


「む……」


 噂をすれば何とやら、軽い唸り声と共に老騎士アキツカが薄らと目を開いた。

 ルーファスはパァッと表情を明るくし、アキツカの手を取った。


「おお、爺、気がついたようだな」

「これは姫。この老体など置いて、先に進んで下されと……」


「わ、わっ、しー! 爺、しー! 私の身分は内緒なのだ!」


 ナローは、寸劇を繰り広げる二人から、カディア達に視線を向けた。

 ああうん、何とも言えない微妙なその表情、多分自分も同じような顔をしているんだろうな、と思うのだった。



「まあ、身分の事はおいておこう。詮索しない方が、多分お互いの為だろ?」

「う、うん、そうしてくれると助かる」


 ナローの気遣いは、正解だったようだ。

 ただ、ルーファスは頷いたものの、アキツカという老人の方が、やや表情が険しい。


理由は何となく分かるので、早口で釈明する。


「という訳でアキツカの爺さん、俺達は彼女の事をルーファスと呼んでいる。本人がそう名乗った。ただのルーファスなので、敬語もなし。オーケーっすかね?」

「ふむ、承知した」



ナローに対して剣呑な目を向けていたが、やがて深くため息をついた。

 納得してくれたようだ。

 本来なら許されないのだろうが、ルーファスが何度も首を縦に振っているのを見て、諦めたと言った所か。


 ナローはアキツカに状況の説明を続ける。

 といっても、大した話ではない。


「それで、っすね。俺達は王都に向かってる。爺様達は逆に、王都から遠ざかろうとしている。よって、俺達はここでお別れって事になる」



「そうなるのう。いや、それにしても礼を述べるのを失念しておった。傷の手当て、感謝する」

「どういたしまして」


 頭を下げるアキツカに、ナローは軽く手を振った。


「手持ちの金は、すまぬがほとんど持ち合わせておらぬ。小粒じゃが、これで一つ礼とさせてもらいたい」

アキツカは懐から小さな革袋を取り出すと、そこから透明な輝きを秘めた鉱石を掌に転がした。

 指でつまめる程度の、小さな宝石だ。

 だが、治癒一回分としては、おつりが大量に必要になりそうなほどの価値がある事は、鑑定に掛けては素人のナローでも分かる。




「……充分過ぎるけど、いいのか?」

「爺がよいというのならば、私は構わぬさ」


 ナローが訊ねると、ルーファスは小さく首を振った。



「ほう、結社か。人数は足りておらんようだが」


 胡座を掻き、顎髭を撫でながら、アキツカはしれっと言う。


「って耳いいっすね、爺さん!?」


 振り向きざまのナローのツッコミに、カッカッカとアキツカは笑った。




「儂も、これでも超人格ブレイカー・クラス階梯者ランカーでな。耳が良うなっとるのだよ」

「内緒話も出来ないって事か。まあ、聞かれて困るような内容でもないけどさ」


 ナローはため息をついた。

 単に正面切って話すと、不快にさせる可能性があるから気を遣っただけである。


「うむ。目指す先はお互い、逆方向じゃしの」


 そしてアキツカは、特に不愉快という訳でもなさそうだ。

 ルーファスに、今ナローが話していた内容を、やんわりと説明していた。


「ふぅむ、少々名残惜しいが、私達の事情に巻き込む訳にもいかぬしな」


 ルーファスも同感らしく、残念そうに首を振った。



「荷が重すぎますよ」


 明言されている訳ではないが、某国の王女様の逃亡の手助けなど、ナローの身に余る事態だ。

 ナローの返事に、ルーファスは苦笑いを浮かべていた。


「ふふ、私達はまさしく重責を背負っている。関わらないというのは賢明な判断だ」



「それより爺さん、とりあえず治療はしたけど、身体の具合はどうっすか?」

「ふぅむ……本調子には程遠いが、まあ、何とかなるじゃろ」


 超人格の、体力や負傷の治癒力は常人コモンとは比較にならない。

 指程度なら、仮に切断したとしても一年ほどで再生するレベルである。




「何より。じゃあルーファス、アキツカの爺様。道中、気をつけて」

「うん、そうだな。爺、行こうか」


「そうじゃの。せっかく拾った命じゃて、大事に使うと――」


 アキツカの言葉が不意に途切れ、王都のある方角を振り返った。


「むしゅ……」


 次の反応したのはハンメルで、そのキノコボディを軽くナローにぶつけてきた。


「おい、まさか」

「あらあらあら」



ナローの表情が引きつった。

 カディアも、困ったような笑みを浮かべ、槍を持ち直す。

 剣呑な気配が、急速に迫ってきていた。


「すまんのぅ、どうやらもう、巻き込んでしもうたようじゃ」

「エンカウント率高すぎだろ、この道中!!」


 ナローもまた、剣を構えるのだった。


 殺気だった存在は、空から現れた。


「貴様達、そこを動くな!」


 高い羽音を鳴らしながらナロー達の前に降り立ったのは、スパンマキナ帝国の兵士達だ。

 黄色を地に黒の縁取りをした軽甲冑装備に、長い槍。

 そして透明な羽。

 一般的な、帝国兵だ。


「動いてないぞ?」



その他

一応剣こそ構えてはいるが、ナローはそう答えた。

 実際、少なくともまだ、誰も動いていない。


「口答えをするな! ……そこの女達、身を改めさせてもらおうか」


 一ランク上の兵、おそらく隊長格らしき兵が、カディアとルーファスを槍で指し示した。



「何だと。帝国の兵かと思ったら賊の類だったか」


 ナローの問いかけに、兵隊長は激昂した。


「ふざけるな! 我々はとある任務を帯びて、ある女を追っている。……貴様達の中にいる、そこの二人にその疑いがあると言っているのだ。大人しくしていれば、手荒な真似はしない」



怒りはしていても、理性は残っているらしい。

 勝利国であるにも関わらず、無法な振る舞いをしない辺りは、ナローとしては好感が持てた。

 だからといって、彼らに利するつもりもないが。

 ふむ、とナローは真面目くさった顔で頷いた。


「女」

「そうだ」

「三人、いるが」


ナローは、竜人ルウ族のカディア、普人ヒュム族のルーファス、菌糸ムシュラム族のハンメルを順番に指差した。


「彼女と彼女と彼女だ」

「むしゅ!?」


 指差されたハンメルも、ビックリしていた。



 ちなみにハンメルの性別など、ナローは知らない。

 キノコの性別なんか知るか。

 だが、そのナローの適当発言を、帝国兵達は律儀にも真に受けていた。


「その菌糸族は女だったのか!? ……お、おい、どうする?」

「だったら、三人とも確かめればいいだろ?」


「な、なるほど! よし、貴様達――」


 槍を突きつけようとした兵の首は、ルーファスの剣の一撃で吹き飛んだ。

 ナローが注意を引きつけている間に、踏み込みの力を溜めていたのだ。

 そして。


「憤っ!!」


アキツカの武器は金属製の槌であり、これで大きく大地を叩いた。

 濛々と土煙が上がり、敵も味方も視界が遮られる。

 とはいえ、帝国兵達は蜂の羽で空を飛ぶ事が出来る――が、動揺した心はいまだざわめいたままだ。


「何故だ! いつ奴らは連携のサインを送り合った!?」


種明かしをすれば、ルーファスの聖句ブレスである。

 聖句の名は『伝心テレ』。

 ある意味、そのままであった。

 この聖句を利用し、ナロー達は無言のまま、互いの連携を取ったのだ。

 が、もちろん、ナローには、帝国兵達に教えてやるつもりなど、なかった。


「残り四人……いや、二人っ!!」


 アキツカの投げた金槌が、激しく回転しながら帝国兵を二人吹き飛ばした。

 あの質量では、ぶち当たれば即死だろう。


「強っ!? お爺ちゃん強っ!!」


 槍を構えて帝国兵に迫りながら、カディアが叫んだ。



「この……っ!!」


 ナローの目の前に、帝国兵の槍が突きつけられる。

 が、


「本気を出すのが遅すぎたな!!」


 動揺して威力も速度も低いそれをあっさりと躱し、ナローは帝国兵の首を刎ねた。

 ほぼ同時に、カディアも残る一人の帝国兵の胸を、槍で刺し貫いていた。



その他

「逃げ……切れると思うなよ。この先にも、既に……帝国の……精、兵……はいち……」


 その兵はそう言い残して、事切れた。

 それを見下ろし、ルーファスは顔を顰めた。


「厄介な……」

「いや、ひめ、ではなくルーファス様。死の間際に重要な情報を語ってくれて、感謝するべきでしょう。まあ、行く手は多難でしょうがな」


 もはやルーファスの身分を隠す気があるのかどうか怪しい、アキツカであった。

 そして、言われたルーファスは深々とため息をつき、頭を振った。


そこでふと、ナローは疑問を口にした。


「そういや、行くアテってあるんすか?」

「うむ、西の小国ハルベスに向かおうかと思っておる。あそことは交流もあるのでな。何より、帝国もおいそれと手が出せんじゃろ」


 なるほど、余所の国か、とナローは納得した。

そこまで逃げれば、さすがに大丈夫だろう。

 いくら帝国が強いと言っても、大きな一戦をやり終えたすぐ後で、他国に侵攻……というのは厳しいだろう。

 などと考えていると、カディアがナローの裾を引っ張っていた。


「ナローさん、ハルベスってどういう国なんですか?」


「アスラシカとは、西の大河を挟んだ所にある国だよ。小さいけど兵士は精強、帝国兵が数ならハルベスは質って感じだな。それに、長である虎の獣人ガトーってのがまた強いらしい」


「……でも、当然国境にはもう、帝国兵が見張りに立っていますよね?」

「そりゃまあな」


 カディアの疑問はもっともなので、ナローも頷くしかない。

 国境どころかそこに到る街道、村や町にもおそらくは兵士が配備されている可能性は高かった。


ふぅむ、とアキツカは己の白髪を掻いた。


「弱ったもんじゃのう。まあ、絶対行かねばならんという事もないが」

「え、急ぎの旅とか、そういうのじゃなくて?」


 何が何でも進むとか、そういう事ではないのかとちょっと意外に思うナローであった。



「儂としてはルーファス様の御身が第一じゃて。それ以外にも色々あるが今の一番は、やはり安全が最優先じゃの」

「つまり、安全を確保する為に危険な場所を突破するつもりだったって所っすか」

「うむ」


そこで、スイと手を挙げたのは、話題の中心でありながら無言を貫いていたルーファスであった。


「一つ、提案があるのだがよいだろうか?」



「提案というと?」


 ナローの問いに、ルーファスは答える。


「結社を作ると言っていたようなので、それに私達も参入したい」

「ルーファス様!?」


 ルーファスの案に、アキツカが目を剥いた。

 だが、ルーファスは意見を取り下げるつもりはないようだ。




「爺も言っていた通り、特に急ぐ旅でもないだろう? そも、急いているのは向こうであって、私達がそのペースに飲まれる必要はない」

「む、う……しかしですな、この辺りは危険ですぞ?」


その他

「危険と言えば、この国全土が危険ではないか」。どこにいても、命が狙われるだろう。ならば、むしろ敵の懐ともなっている王都に潜む。まさか奴らも自分達の膝元に、標的がいるとは思うまいて」


 そう言って、ルーファスはナローを見た。


「如何だろうか?」


 ルーファスの提案に、ナローは唸った。


「それに、俺達を巻き込もうって言うのか?」

「ある意味では」


 目の前の少女は、間違いなく国家レベルの厄介事だ。

 村に小鬼の群れが攻めてきたとか、そんな話とは格が違う。

ただ、階梯者二名、それも実力は今見た通りで、人格も悪くはなさそうだ。

 公言していない身分の部分が、自分達の利になるか害となるか……そこだけが、読めない。


「もちろん正体は隠すとも。髪を切り、色を染め、そうだな性別も偽ろうか」

「姫っ!?」


不敵に笑うルーファスに、アキツカが目を剥いた。


「もはや隠す気ねえよな、爺様」


 ナローは力なく突っ込んだ。


「いや、しかしですな、その御髪を切り、染めるなど……!」


 アキツカは、ルーファスの思いつきを必死に制止しようとしていたが、ナローの見たところ、それは上手くいっていないようだった。


「髪は女の命という言葉をどこかで聞いたが、髪はまた生える。命は一度失せたらそれまでだ。爺も髭を剃ればまあ、大分印象が変わるだろう」

「ぬ、ぬぅ……」


 ナローは、アキツカの髪を脳内で短く刈り上げ、さらに髭も剃ってみた。

 ……うん、ナイスミドル。

 多分、十歳は若くなりそうだ。


「旅を続けるとなれば、路銀は減るし、野宿は増えるだろう。街中ならば、少なくとも稼ぐ手段はあるし、屋根のある宿で休む事が出来る。もちろん、敵は多いが、危険なのはどこも変わらぬよ。それに奴らは『老人と娘の二人』を探しているはずだ」


 ふふん、とルーファスは得意げに、ナローを見た。



「……『五人の階梯者』は探してないって事か」


 もちろん、そう話がルーファスの語る通り楽な方向に進むとは思えないが、このまま二人が国境を目指すよりはマシな計画でもあった。


 本日はここまで。

 やあ色々やってたら二日休んでしまい、話を忘れそうになっていたという。



「すまぬな。迷惑は……うむ、今掛けている」


 ルーファスの詫びの言葉に、ナローは肩を竦めた。


「自覚があるだけ、マシだって思っておこう。ああちなみに、もしバレた時は」

「もちろん、お主達は知らなかった、で通すとも。そこは安心して欲しい」


「まあ、関わった時点で一〇〇パーセントの安心なんて、もはやないんだけどな。さて、俺はさておき他二名の意見も聞かなきゃならないだろ」

「あ、私としてはリーダーがいいって言うのなら、全然」


 ひょいと手を挙げて、カディアは即答した。


「軽いな!? って誰がリーダーだよ」



「そりゃもう、ナローさんですよ。ルーファスさん達を前面に出す訳にはいかないでしょう?」

「む、う……?」


 ナローは言葉に詰まった。

 確かに、自分達を隠れ蓑にするつもりの連中を、一番前に出す訳にはいかないだろう。



「ちなみに私は裏で暗躍する方が好きなので、リーダーなんて面倒く……大任は務まりません」


 カディアは肩を竦めた。


「今、チラッと本音が出たよな!?」

「気のせいです! あと、ハンメルちゃんはー」

”けっしゃ、ひと、ひつよう。りーだー、ぼくむり、ぜったいむり”



ハンメルは、ボフンと頭の傘から胞子を噴いた。

 ルーファス達の参入には賛成、ただしリーダーはやりたくない、という事らしい。

 カディアとハンメルが辞退、ルーファスとアキツカは立場的な事情で前に出たくない。

 つまり。


「という訳で、よろしくお願いしますね、リーダー」


「……消去法かよ」


 ナローは何度目になるだろうか、深々とため息をついたのだった。