7 既知の君、未知のきみ
「ヨルナ様。どういうことですの? ひょっとして王子様や王女様とは、もう面識がありまして?」
「ミュゼル様」
王妃が優雅に席を立ち、次のテーブルへと向かってしばらく。情報収集に迅速果敢な東公息女のミュゼルが、早速食い気味に身を乗り出した。
思案げに小首を傾げ、ヨルナはおっとりと言葉を探す。
「えぇと……何から話せばいいんでしょう。面識というよりは、一方的な接触が」
「「接触!?」」
「は、はい」
ぎょっ、と反芻する声が重なった。
なぜかアイリスまで目を剥いている。
ヨルナは困惑し、いっそう、もじもじと視線を彷徨わせた。
――自分の前世のことはさておき、彼女たちも妃候補として集められた身の上。有力候補のはずだ。ロザリンドについては、きちんと話したほうがいいのだろうか。
しかし、どこまで……? と、まごつく間に、ふっとテーブルに影が落ちた。
「やぁ、仲のいい令嬢がただね。お邪魔しても?」
「! もちろんです、サジェス殿下」
ぱっ、と答えたのは藍色の髪のアイリスだった。
令嬢のわりには身軽な仕草で立ち上がり、赤い髪の王子にてきぱきと席を勧める。アイリスの専属侍女はさりげなくもう一つの椅子を引いていた。
が、サジェスは肩をすくめて微苦笑している。
「いや……。すまないアイリス。ありがたいが、母上から『あなたは立ち話に止めるように』と、入念に釘を刺されてる」
「何か、いけない素行でも?」
じろり、と流す黒瞳にも、サジェスはまったく動じない。しれっと話し始める。
「俺は、今夜の夜会が本番だから。たとえどんなに可憐な姫君がいらっしゃったとしても、可愛い弟たちの未来の妃を迷わせてはいけない」
「はいはい」
――なるほど。つまり『お子様は相手にしない』と、体よく公言されたようなものだった。
呆れ顔のアイリスは、やれやれと嘆息して首を振る。
(ええと……)
しずかに機を窺っていたヨルナは、先ほど自分が受けたばかりの問いを、そっと二人に投げかけた。
「お二人とも、既知でいらっしゃいます?」
「あ、あぁ」
とっさに言葉を濁すアイリスに代わり、サジェスは、にやりと笑った。
「そうだよ、ヨルナ殿。……それにミュゼル殿だね。初めまして。お察しのとおり、こちらのアイリスとは旧知の仲だ」
「まぁ」
ミュゼルの表情が、ぱぁっと明るくなった。純粋な好奇心だろう。見るからにうずうずとしている。
いっぽう、ヨルナはこんこんと考えを巡らせていた。
(……? たしか、第一王子殿下は武芸がお好みで、立太子前まで、という制約つきで騎士団にも在籍しておられるはず……。ということは、すでに訓練の一環で北方に行かれたことがおありなのかも)
行き着いた仮定を確認すべく、視線を流した。
「殿下は、北で軍事演習をなさったことが?」
「ご名答、カリストの姫。国防の要衝だしね」
ふふっと瞳を細めて腕を組み、サジェスは眼下のアイリスの旋毛を見下ろした。
「こちらのアイリス殿は、一昨年から騎士見習いとして北方騎士団に所属している。その繋がりだ」
「そうでしたか」
道理で仲睦まじいわけだ――……と、合点がいったところで、トトン! と右肩を叩かれる。
顔を寄せてきたのは、妙にわくわくとしたミュゼルだった。
「(ねぇねぇ。あのお二人、あんなにお似合いなのに、どうして『そう』ならないのかしら? 大した年の差じゃありませんのに)」
「うぅ~ん」
困った。人の色恋沙汰なんてわからない。
苦笑いのヨルナをよそに、目の前の第一王子は一通りアイリスと話したあと、軽い会釈を残して去ってしまった。
「ふう……」
アイリスはまるで一仕事終えた事務官のようにテーブルに肘をつき、前傾となっている。
面を伏せ、細く息を吐きだしながら「くっそ、あほ王子。ヒヤヒヤさせやがって……」と、こぼしていた。本当に親しいらしい。
そのとき。
「失礼いたします、お嬢様がた。冷めた紅茶をお取り替えいたします」
新たなメイドの一団が流れ込み、あれよあれよという間に器ごと違う種類の紅茶に替えられた。趣向を変えてか、今度はアールグレイのようなベルガモットの香り。添えられたのはプティチーズケーキ。一口大なので、いくらでも食べられそうだ。
(実際、とっても美味しい…………ん?)
フォークを手に取ったヨルナは固まった。
紅茶の受け皿の下に、二つ折りになった紙ナプキンが不自然に挟んである。怪訝に思いつつ、そぅっと引き抜いて膝の上で開くと。
――“このあと、噴水の木立奥、四阿にお越しください。お話ししたいことがあります”
悪目立ちしないよう、小さな文字が走るように書き付けられていた。
宛名も、差出人も書いてはいなかった。