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71 翔ぶ姫

 寝耳に水。

 ――そう、反射で例えた日本人的感性は転生後も健在で、自分は『ロザリンド(キャラクター)』ではなく『自分』なのだと、ロザリンドは常日頃思っている。


 軽い混乱。ちょっと思考で現実逃避しつつ、王女は、じり、と後ずさりながら抗議の声を上げた。精一杯に目の前の女を睨みつける。


「断固、拒否するわ。絶対にいや」

「残念ながら拒否権などもうないのよ、ローズ」


 ふう、とため息をつく、普段はたおやかにうつくしい細面(ほそおもて)

 王女を追い詰めているのは彼女を呼び出した王妃ではない。王妃の腹心・マーロン夫人だ。

 夫人は、お風呂を嫌がる猫よろしく逃げ回るロザリンドを、じわりじわりと壁際まで追い込んでいた。淑女のスキルってすごい。


 なお、ここは王妃の居室。出入り口は六名の中堅侍女で固められ、もし突破できたとしても通路には屈強な騎士が二人、守護している。

(どこまで危険物扱いなのよ……!?)

 歯がゆさに顔をしかめたロザリンドは、悔し紛れに本音をぶちまけた。


「絶ッッッ対、いや!! なんで、よりによって見合いなんか! しかも、おじさんの後妻なんて!!!!」


「口を慎みなさい、ローズ。ゲンズワース卿はおじさんではないわ。まだ三十九。陛下の親友でいらっしゃるし、貴女が真性の跳ねっ返りと承知の上で求婚してくださってるのよ?」


 ちっ、とロザリンドは舌打ちした。

 ゲンズワース侯爵。国王の幼馴染み。幼少のみぎりから、たしかに可愛がられてはいた。

 ――いたが、それとこれとは全く別だ。


 そもそも奥さんがなくなったのは三年前で、享年十九歳。喪が明けてすぐに自分の求婚者になったことを考えると、あのおっさん、もしや真性のロリータ・コンプレックスではと邪推する。そんな変態紳士に。


「実の母親とも思えない発言ね、お母様……!」


「母であればこそ、です」


 長椅子に腰掛け、頬に手を添えて再びの憂い顔。王妃セネレは深々と息を吐いた。


「もう、貴女の悪評ときたら国中(くま)なく広まってしまって。お嫁の貰い手があるだけありがたいのよ」


「ひとを疫病みたいに言わないでったら!!」


 癇癪を起こすも、ぱちん! と指を鳴らされる。それを合図にマーロン夫人の手先のメイドらが両脇からロザリンドを拘束し、ずるずると浴室まで連れて行った。

 壁の向こうからは阿鼻叫喚というか、元気極まりない怒声が響き渡っている。


「お疲れ様です、王妃殿下。お茶をお淹れしましょうか」


「あぁ、ありがとう。いいのよ」


 ふらり、と長椅子の手すりに寄りかかっていたセネレは、なけなしの気力で奮起すると衣擦れの音も優雅に立ち上がった。


「卿の元へ。ずいぶんお待たせしてしまっているし、あの子の支度が整うまでの間、お話し相手にならないと」




   *   *   *




 一時間後。

 失礼いたします、と、国王夫妻とその親友のくつろぐ部屋に一人の兵がやって来た。無駄なく一礼すると、手にした書簡を国王付きの侍従長に渡す。

 侍従長を経由して王によって開封された竜書(メッセージ)いわく。


 おや、と漏れる声。文字を追ううち、王の眉がはね上がった。対面に座っていた紳士が不思議そうに首を傾げる。


「どちらからかお伺いしても?」


「いいぞ、べつに。議会にだって提出してもいい内容だ。ふむ……」


 穏やかな物腰で問いかけたハロルド・ゲンズワースは、赤茶色の短い癖っ毛に茶色い瞳。『おじさん』と呼ばれても仕方ないのかもしれない、みごとな美髭を蓄えている。


 髭反対派の王妃のたっての希望で、今もつるりとした顎のオーディンは、ううむ、と唸りながら書状を妻に手渡した。


「アクアジェイルに着いたサジェスからだ。すぐに魔族(むこう)の使節と会談したら、なかにユーグラシル王が紛れ込んでいたらしい。“竜の谷”までの案内も護衛も問題ないと」


「……それは……ひとまず良かったじゃありませんか。なぜそんな顔を?」


 なおも怪訝そうなハロルドに対し、ううん、と小難しい顔になったセネレが呟く。


「最上級の親書が必要ね。あちらの魔王みずから同行して、向こうの竜人(ドラゴニュート)の長はたいそう偏屈とか。ぞんざいに、小型竜(メッセージドラゴン)に略式のものを持たせるわけには参りませんわ。内容も吟味しないと。出立は明朝と言うけれど、相手の出方次第で変えられるよう、何通か持たせたほうが良いのではないかしら」


「なるほど。――では、どうなさいます? 出立を日延べしてもらいますか」


「いやまて。これはトールに任せよう」


第二王子(トール)殿下?」


「あぁ。あいつは個人の趣味で国中の要所を渡り歩いている。アクアジェイルにも赴いたことがあるはずだ。すぐに親書を何通か書いてあれに持たせれば――……」


 熟考の構えを解いたオーディンは席を立った。

 王妃から書簡を渡された侍従長も恭しくそれを受け取り、所定の部屋にしまうべく出入り口へと向かう。すると。


 カチャッ! と、ノックもなく扉がひらかれる。

 (とも)もなく、ゼローナ第一王女にふさわしい装いのロザリンドが息せききって立っていた。

 焔色(ほむらいろ)の髪はゆるやかに耳の横から後頭部へと編み込み、残りは豪奢に背に流している。水色の瞳と同じ、水貴石のピアスが耳たぶを飾り、ドレスは清楚なクリーム色。帯は真珠色で、そこにも滴のような、小さな水貴石が縫い付けられている。


「ローズ」


 呆気にとられた父王が半ば見とれて呟くと、娘は小悪魔のように微笑んだ。「聞いたわ」


「…………ん。何を?」


「とてもいいことよ、お父様」



「!! だ……だめよあなた! その子をつかまえて」

「え」

「あっ、これ殿下! 通路を走っては」


 国王が室内の王妃を振り返り、老爺(ろうや)の侍従長が必死に手を伸ばす。

 が、翻るリボンにすら届かない。

 王妃は青ざめた顔で叫んだ。


「だれかっ、だれか止めて、その子を――ローズ!!」



 折悪(おりあ)しく、非公式の見合いと伝えられていたため、辺りには最小限の人員しか配備されておらず。

 もっと王女に都合が良いことに、目当ての人物(トール)は二階の通路からすぐ下、中庭をのほほんと歩いていた。


 きらり、と王女の目が光る。窓の枠に手をかけ、足をかけた。


「トール! 飛ぶから、受け止めなさい! ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!!!!」


「へっ? わ、わわ……!?!? ろ、ローズ!!? なんでっ、見合いは!?」


 躊躇なく飛び降りる姫君。とっさに両手を広げる王子。

 ――追いかける面々の目前で、王家の居残り兄妹は、こつぜんと中庭から消えた。





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