68 集う客人、まさかの再会
同じ区画内に常駐するという医師を呼ぶのに、すでに休んでしまったメイドを走らせるのも気が引ける。
サリィは池に囲まれた迎賓館を出て、警護の兵に付き添われながら橋を渡ろうとした。
が、ふと足を止める。もう一方の館のきらびやかさに目を奪われる。
魔族領および王都からの客人をもてなすため、女公爵イゾルデが晩餐会をひらいていた。
――夜目にあざやかな光。光。こぼれる楽の音。立ち働く使用人と歓談の気配。
ひとの出入りは少ない。招待客は館の滞在者のみだからだ。
(姫様も、お元気ならば参加できたでしょうに……)
残念な思考回路。
サリィは、ふるふると首を振ってそれを打ち消した。詮ないことだ。
そもそも彼女はカリスト公の名代として北都を訪れたわけではない。
社交界でのお披露目もまだの未成年で、公式茶会も先の王城が初めて。
礼儀作法は一通り身に付けたものの、伸びやかな新芽の先にようやく蕾をつけ始めたような、たった十二歳の少女なのだ。
「――侍女殿?」
「あ、いえ。申し訳ありません。何でも。ご案内くださいませ」
サリィは、立ち止まって待ってくれていた衛兵に微笑み、きっぱりと館に背を向けた。
池の波間に松明の灯りが揺らぐ。ちゃぷん、と水が跳ねる。
歓待の宴では、見知った面々が、先ほどのサリィと同じことを考えていた。
* * *
「はあぁ……。つまらない。ヨルナもいない。アイリス様も病み上がりで欠席。綺麗どころのない宴は潤いに欠けますわ。そうは思いませんこと、ルピナス?」
「いや、ミュゼル。君が『綺麗どころ』になろうとは思わないのか? ほら、あそこに談笑中の男くさい一角があるから行ってきたらいいよ。母もいるけど、こう、雄々しいから」
「まあぁ……! 美人を母に持つ息子って本当に無神経ね。イゾルデ様はたしかに将軍であらせられるけど、すばらしい貴婦人よ? そうではなくて。同年代の、甘ーい砂糖菓子みたいな目の保養が欲しいの。貴方だってドレスを着ればたちどころに美少女になれるの……もがっ」
「忘れて。今すぐ。それは姉だ。私にとっては黒歴史」
有無をいわせぬ迫力の笑みでルピナスが凄む。その手は遠慮なくミュゼルの口を塞いでいた。
「えええ~? いやよ。せっかく似合ってらっしゃったのに」
ぱしん! と、閉じた扇子で容赦なく少年の手を打ち、はね除けたミュゼルが流し目をくれる。
その仕草たるや、すわ女優か? というほど似合っていた。
才気煥発なミュゼル・エストは十四歳。
多少ふっくらしているが、ストロベリーブロンドと蜂蜜色の瞳が愛らしい色白の令嬢だ。大人っぽいシャンパンゴールドのドレスもちゃんと似合っている。(※黙っていれば)
アストラッドは、手にしたワインの炭酸割りを口元に運びつつ、心の底から呟いた。
「君たち仲いいよね。婚約すれば?」
「ないわ」
「あり得ない」
「あ、そう……」
くるっと同時にこちらを向き、息ぴったりに即答。絶対に相性はいいと思うのに。
アストラッドは一転、にこにこと首を傾げた。
「それはそうとルピナス。今朝はヨルナを運んでくれてありがとう。なにしろ、大切な未来の王子妃だから。今から敬い尽くしてくれるのは非常に助かる」
「はぁ?」
ルピナスは黒い瞳を剣呑に細めると、口元だけで微笑みを刻んだ。
「面白い冗談ですね、アストラッド殿下。まだ色よい返事ももらえていないくせに」
「返事待ちなのは正解だけど、待ってるのは“是”だけだから。当事者同士の決定事項に口を挟まないでくれるかな」
「!! ちょ、ちょっと。お二人とも落ち着いて。特に殿下。ほら、お客様がこちらにいらっしゃいますわ」
「「え?」」
ルピナスの袖を引いて、両者の不毛な争いに終止符を打ったミュゼルの視線に、二人が集中する。
赤い絨毯を踏みしめ、今まで反対側のサロン席で寛いでいた面々が歩いて来ていた。
三名は、ハッと居住まいを正した。
――ここはホールの中央から離れた露台の手前。隅っこだ。
側の長卓には飲み物やデザートの類いが並べられてあり、給仕の人員も控えている。立食に適した小卓もあって、小腹の減った個人が好きに飲み食いしても問題のない場所だった。
アストラッドが口をひらく前に、先方の人物がやけに明るい口調で話しかけてくる。
「やぁ、アストラッド王子。兄君を独占してすみませんね。つい話が弾んでしまって。宜しければ、そちらの若い方々をご紹介いただけますか? ジェイド公爵のご子息に会うのも今日が初めてだ。昨日まで臥せっておいでだったとか」
「あ……あぁ、そうですね。晩餐では、イゾルデ殿が簡単に身上を述べてくださっただけでした。こちらがジェイド公爵家嫡子のルピナス殿。こちらが、アイリス嬢のご友人ミュゼル・エスト公爵令嬢。ルピナス、ミュゼル。こちらはザグラフ殿とマレーネ殿。お二人とも生粋の竜人で、このたびの使節団長と副団長をつとめておられる」
「初めまして。ザグラフと申します」
「マレーネです」
立派な三本角を額の真ん中に生やし、背には赤褐色の翼。本人の短い髪も燃えるような赤。瞳は金。
ザグラフは、サジェスと並んで遜色のない恰幅のよい火竜人だった。
かたや、マレーネはその特徴からして水竜人。すんなりと細身ながら魅惑的な曲線を描く肢体をしている。イゾルデと同年代に見える女性だ。
後ろから浴びるシャンデリアの光に、青銀の長い髪と水晶のような一本角がきらりと煌めく。瞳は緑がかった青だった。
「失礼。あなたがたは、あまり我々の姿を奇異の目で見ないようだが。ひょっとして慣れておられる?」
「『奇異』……ですか。慣れてはおりませんが。先日、そちらのシュスラ殿が率いておいでだった一座を目にする機会がありました。“ナイトメーアの幻”という」
「「あぁ!」」
マレーネは合点がいったように傍ら――三人目の魔族――の、少年に微笑みかけた。
「ユウェン。あなたの思いつきも、ちゃんと功を奏しているのですね。シュスラが頑張った甲斐がありました」
「言ってろ」
ふいっ、とそっぽを向く薄闇色の頬。角も翼もない隠形をとる少年は腕を組み、あいかわらず感情を読み取りづらい紅の瞳で窓の外を眺めた。