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65 求婚とは

 ちょっと混乱してきた。

 長方形のローテーブルの長辺には自分たち四名が座っている。それで短辺の、一人掛けソファーにジェイド家の双子が座ったわけだが。


 みるみる公爵家のメイドたちによって紅茶とお菓子が並べられてゆく。

 サジェスは自身の左手――いわゆるお誕生日席に腰かけたアイリスに、懐からとった手紙と薄い小箱を差し出した。


王妃(はは)からの見舞いだ。すまない、陛下(ちち)にも貴女のことがバレてしまって……」


「いいえ、殿下がお謝りになることはありません。肝心なときに体調を崩した自分が悪いのですし。強引な身代わりを立てた我が家にも非はあります。お気遣い、ありがたく頂戴します」


 珍しくしおらしい王太子殿下に、アイリスはにこりと微笑む。サジェスの顔がぱっと華やいだ。


「では、妃になってくれるか?」


「それとこれとは別ですわ。わたくしが臥せりがちなときに、殿下が遊びに来てくださって。何くれとなく外のお話をしてくださったご縁は、わたくしの大切な宝物です。……それで、充分なのですもの」


(!!!! 今この人、さらっとプロポーズしたぞ!?)

(しかもフラれてる!!)

(え? 何?? このかたたち、相思相愛というわけではないの……???)


 蚊帳の外に閉め出されたゼローナからの客人らに、ルピナスは砂糖をたらふく食べさせられたかのような顔で呼びかけた。


「アストラッド殿下。ヨルナ、ミュゼル。すみませんね。ご覧の通りです。サジェス殿下の一方通行というか……姉も憎からず思ってるくせに、体が弱い自分が未来の王妃になるわけにはいかないと、一点張りで」


「何!? 本当かアイリス?」

「ルピナスっ、勝手に!!」



(((わ~……)))



 ――――修羅場? とも、少し違うかもしれない。

 口を挟めず、皿に乗ったしっとりとしたフルーツケーキをいただいていると、ミュゼルがこそっと耳打ちしてきた。


「(ねぇヨルナ。こういうのを『痴話喧嘩』っていうのかしら)」


「! (なるほど、それです。さすがミュゼル)」


 ヨルナも同じように彼女の耳元で囁き返し、カチャ、とフォークと皿を置いた。紅茶を含み、正面を窺うとアストラッドも似たような面持ちでティーカップを持っている。



 かちり、と目が合った。あわてて視線を逸らす。視界の端では王子がしょんぼりとしていた。俄然、焦る。


(え。どうしてですか、王子? 貴方がずっと求めてらした女性(かた)はアイリス様なのに。またしても片想い決定のような気はしますが、少なくとも私ではないんですよ……?!?!)


 揺れる。

 揺らぐ。

 ぐらぐらと沸騰しそうな頭のなかで、()()()()()はじまりの前世と現世がごっちゃになり、ふつふつと音をたてそうになった。

 瞬間、くらっとする。

 それに、ミュゼルが目ざとく声をかけた。


「ヨルナ。大丈夫?」


「あ、はい」


 気がつくと心配そうな瞳が五対、こちらを見ている。そんなに具合が悪そうなんだろうか?

 ヨルナは自分の額に手を当ててみた。ほんのりと熱い。ぼうっとする。知恵熱かも。


 アイリスは、にわかに眉をひそめた。


「大変。風邪かしら。北は王都よりもずっと寒いでしょう? わたくしも先日まで寝込んでいたからわかるわ。どうしましょう。客室(ゲストルーム)に医師を――」 


「僕が送ります」


「アーシュ様」


 浮き足立つ面々のなか、す、と立ち上がったのはアストラッド。

 兄の膝から移動し、自分のところに居ついていた柔らかい(アクア)を抱き上げると、「失礼」と、本来の主に返した。


 猫は大人しかった。代わりにチリチリン、と鈴が鳴る。それを、見るともなく見ていたサジェスの顔が曇った。


「すまない。そうさせてやりたいのは山々なんだが――もうすぐ、午後からの会談に向けてイゾルデ殿との打ち合わせが始まる。ルピナス、彼女を頼めるか? ミュゼル殿は、よければこのままアイリスの話し相手をしてやってほしい」


「そんなっ」

「もちろんです」

「まぁぁ……畏まりました」


 ――大丈夫。平気です、という訴えは残念ながら却下され、ヨルナはしぶしぶ退室を余儀なくされた。




   *   *   *




 足元がおぼつかないような気はするが、歩けないほどでもない。護衛騎士はサジェスから医師の手配を命ぜられて行ってしまったため、二人きりで塔を降りる。


「大丈夫じゃないよね、ヨルナ。いつから?」


「いつ……。ついさっきです。今朝は特に。早起きし過ぎたくらいで不調は」


「よく眠れなかったのかな。手を貸して。支える」


「すみません」


 右手を差し出す。

 思い返すに、自分でもびっくりするほど動じてしまった。アイリスには記憶がなさそうなのに。もちろんアストラッドも。


 ――たった一人、なぜ忘れられないんだろう。こんなことで熱が出るなんて。


 ずっと、ずっと好きだった。はじまりの前世のご領主の子息様。

 彼が望んでやまなかった王女様。幸せを祈ってたはずなのに、ややこしい今生に、わけもなく寂しさが募る。


 ぐすっ、と涙がにじんで、どうしようもなくポタリと落ちた。


「ヨルナ」


「っ……、ごめんなさい。少し休めば」



 ごしごし、と目元をぬぐう。

 すると。


(?)


 体が(かし)いだ。立ちくらんだのかと思ったが違う。背に、ふわっと布が被さる。しっかりとした手が当てられている。おでこがルピナスの胸にぶつかった。当然固い。

(そういえば男子……)


 思い出した事実に、急にどぎまぎした。



「えええ、えっと。ルピナス? どうし」


「しっ。静かに。このまま聞いて」


 マントで頭もすっぽり覆われ、あたたかな暗闇に自分の呼気がこもる。

 階段を降りきる手前。出入り口の衛兵がまだ見えない死角だった。

 密着を避けるために添えた手のひらには力が入らない。それでもルピナスの鼓動が伝わる。――緊張?


「わ」


 ぎゅっ、と、つよく抱き寄せられた。抗えきれず、今度こそ瞑った眼裡(まなうら)が明滅する。


 正直、倒れそう。

 倒れていいの? だめじゃない?



 混乱の極み。支離滅裂な心の声を黙らせる衝撃を、彼はもたらした。


「私も、貴女に求婚します。貴女が……好きなんです。ヨルナ」




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