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56 竜の空路(みち)、いくつもの恋路※

 なんとなく、王妃が懸念していたロザリンドの気鬱は取り除けた気がして、ヨルナはホッとした。

(あとは)

 自分のこと。


 アストラッドとの婚約はどうしたらいいのか。まさか面と向かって「お人違いですよ」と告げるわけにもいかず、本当に頭を抱えてしまいたい。


 ――お受けする?

 いつか、彼が真実の恋に目覚めたら破棄されてしまうかもしれないのに。

  

 ――お断りする?

 魂レベルでも、『あのときの』お姫様と同じ人物と思われたままでいるくらいなら。


(むり)

 ゆらゆらと揺れるティーカップの内側に視線を落とす。さっきまでは美味しくいただけた紅茶が喉を通らない。

 選びうる二つの選択。そのどちらにも胸が張り裂けそうだった。

 すると。


「ん?」


 耳を澄ませる。

 キュイィィィ……と小さな鳴き声が聞こえた気がして空を仰ぐと、ツバメほどの生き物が翼をはためかせて飛んでいった。

 コウモリのような羽根。長くくねる尾。たぶん、遠方への伝令がわりに用いられる小型竜(メッセージドラゴン)だ。


 ヨルナは、ぱち、と目を瞬いて遠ざかる影を見つめながら呟いた。


「ローズ様。いま……王城から竜が飛んだみたいです。ひょっとしてベティさんたちのことでしょうか? 北に向かいました」


「んー?」


 言うだけ言って人心地ついたらしいロザリンドが、ちらっと空の一点に目を凝らす。

 が、すぐにどうでも良さそうに卓上に視線を戻した。


「あれね。そうだと思うわ」


「ベティさんも。一座を裏切ったという竜人(ドラゴニュート)のひとたちも。一体どうなるんでしょう」


「さぁ? 昨日の宴じゃ全部ゼローナ(うち)の裁量に任せるって話だったけど、実際はそんなに簡単じゃないわ。旧エキドナの連中が魔族の領土に根づいて、これからも王家の能力(ギフト)を狙い続けるってんなら、実行犯を処罰しても意味ないもの。むしろ逆効果」


「と、言いますと?」


 いつの間にかこちらを向いて、淀みなく話す“王女”の顔のロザリンド。

 ヨルナは、一族の悲願について語っていたベティを思い出していた。彼女を敬い、守ろうとしていた長身の竜人女性も。


 世が世なら、彼女もまた“王女”の一人だったろうに。……それも運命の巡り合わせなんだろうか?


 単に逃亡をスムーズにするためかもしれないが、彼女たちが使ったのは睡眠薬だけ。魔道具やドラゴンを盗みもしたが、誰も傷つけたりはしなかった。

 もしも、行き過ぎた刑に処されてはと心配していたのだ。(※罪状そのものは終身刑にされても仕方がない)


 ロザリンドはちいさく肩をすくめた。


「高速の小型竜が飛んだのは、おそらく調査のためよ。犯人の言い分だけを鵜呑みにするわけには行かないから。結果が出るには時間がかかるでしょうけど、詳しい方針は今朝から父上たちが話し合ってるわ。――それより」


「?」


 カチャン! と威勢よくカップを受け皿に戻したロザリンドは、半眼になってずいっと身を乗り出した。


「あんたよヨルナ。誰も、(なん)~~にも教えてくれないけど、婚約話、出たんでしょう? アーシュ(あいつ)が好きすぎて何度も転生したっていうくせに、何ッッッで、そんなにしけた面してんの。この、こじらせヒロインめ」




   *   *   *




 トントン、と、資料をそろえる音が国王執務室に響く。部屋の主オーディンは執務机ではなく、自身がくつろぐためのソファーセットに腰かけていた。向かいの長椅子には二人の魔族。身辺警護の騎士が四名控えており、書記官も掛けている。


 が、(よわい)千を越す魔王が本気になったならば、誰も彼を止められはしないだろう。


 あくまでも体裁。

 あくまでも建前。


 それでも、かなりざっくばらんな対応をさせてもらっていることに素直に感謝する。

 王城内では、遠慮なく彼らの身分に関する箝口令を敷いた。情報が漏れていたずらに民心を惑わせずに済むし、非公式訪問万歳である。


「では。刑罰の執行権は被害者を擁する我らにあるとして。貴殿らに、魔族領に住まう竜人(ドラゴニュート)との橋渡しを頼むということで、宜しいだろうか」


「構わない」


挿絵(By みてみん)


 左手で頬杖をつき、リラックスしつつも全く愛想のない少年姿の魔王が頷く。

 補足するようにシュスラが微笑んだ。


「竜人の長は老齢で頑固者ですが、我が君には心酔していますので、問題はありません。棲みかにしている谷に、以前より混血児が村を形成しているとの報告は上がっていました。今ほど飛び立ちました小型竜(メッセージドラゴン)の返事が到着次第、調査団を国境まで寄越してください。我らの精鋭がその者たちを護衛しましょう」


「かたじけない」


 にこ、と笑顔の応酬。

 娘が(さら)われたときは業腹だったが、最終的には実に良い流れになった。

 ついでに、昨今国境を騒がせている魔族の盗賊団の討伐や、交易ルートの取り決めなどもやってしまおうか――と、一人がけのソファーに沈んでいた体を起こしたとき。


「失礼します、陛下。お呼びと伺いましたが」



 紅に波打つ髪。紫の瞳の、自身によく似た跡取り息子がノックののち、入室する。


 オーディンは外交(そと)向きの笑顔のままでサジェスに告げた。


「そなた、北公領騎士団で演習経験があったな。このたび、旧エキドナへの調査訪問を旨とする一団を結成することになった。その責任者としてかの地に赴いてもらいたい。出発は、小型竜が戻り次第。それまで人員を選出し、そなたの旅支度も整えておくように。ひとまずは北公イゾルデ殿に親書をしたためておこう。彼女に届けてくれ」


「御意に。それだけですか?」


「あぁ。あとは」


 に、と人の悪い顔で口の端を上げる。

 絶妙に身内向けの笑顔で言い添えた。


「昨夜の宴。()()()()()()()()()()()()()。彼も送っていってやりなさい。アイリス姫への見舞いの品は妃に見繕わせるから。いいね? こそこそせず、きちんと報告するように」


「は」


 しれっと一礼。

 にこりともせずサジェスが応じるのを、父王は機嫌よく。魔族の客人らは、きょとん、と見つめていた。





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