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54 銀色のお姫さま

 ――婚約。


 それは、つまりアストラッドと自分が。将来しかるべき時に結婚する約束を交わすということ。

 宴を終えて与えられた部屋に戻り、すっかり就寝準備を整えたヨルナは、ぽふん、とベッドに倒れ込んだ。

 そこでようやく一声(いっせい)、地を這うように呟く。


「どうしよう……サリィ。アーシュ様の婚約者にならないか、陛下がたから打診を受けてしまったわ」


「……え」


 ふかふかの羽布団に吸いとられてくぐもった声を、専属侍女のサリィはきちんと聞きとった。

 手にした、ヨルナに羽織らせるためのナイトガウンをくしゃっと抱き寄せ、感極まったように叫ぶ。


「えっ、えぇぇえええっっ!?!? す、素晴らしいではありませんか姫様! 大変、公爵様にお手紙を。明日の朝一番に――」


 サリィがあたふたと控えの部屋に下がろうとするのを、ヨルナはガバッと起きて、ぽすぽすと枕を叩くことで阻止した。


「!! 待って待って! だめよサリィ。まだ本決まりじゃないわ。それに……私、お受けしていいのか迷ってる。本当にいいのかしら、『私』で」


「姫様?」


 サリィは訝しそうに眉をひそめ、手早くナイトガウンをたたんでソファーに掛けた。侍女のお手本のような姿勢で両手を軽く前に組み、ゆったりとした足運びで寝台に近づく。


 ぴたり、と止まると、とても不思議そうに、落ち着いた声音で動かぬ事実と持論を(そらん)じた。


「たしか……、この度の茶会を(たん)とする令嬢がたの一斉招致は、三名いらっしゃる王子様の()()()()()()お妃候補探しだったかと記憶しております。王妃様にお声がけをいただいた時点で、いいも悪いもございませんわ。ちなみに、ヨルナ様ならば絶ッッッ対に、どなたかに見初められると確信しておりました。ここしばらくカリスト家と王家の縁組みはありませんでしたし。血の濃さも問題ありません」


「うわぁぁぁ……。すごいね、サリィは」


 主に関してはちょっと(?)過大評価だが、自分よりもよほど公爵家や王家の立場で物事をとらえている。

 実際、サリィはいち侍女にしておくのがもったいないくらいに賢い。自慢の友人のような存在でもある。


 もう一度寝台に倒れ込んだヨルナは、すり、と枕に頬をすべらせてサリィを見上げた。


 ――きっちりと編み込まれた紅茶色の髪。そばかすの頬。健康的で庶民的。溌剌とした雰囲気。……まるで、一番最初に猫になってしまった、あのときの自分のような。


 ふわっと視界を覆う銀髪のカーテン越しに心配そうなハシバミ色の瞳を見つけて、どこか懐かしい気持ちになる。

 どこだったか――一番最初の、お母さんかもしれない。

 うとうとと瞼が重くなる。眠りの精がすぐそこまで来ているようだった。


「私、サリィみたいになりたかったわ」


「何を仰るんですか」


 呆れたようにため息をついたサリィは、丁寧に少女のちいさな足から部屋用の履き物を脱がせた。下敷きになっている羽布団をずらし、そっと肩の上まで隠れるように被せる。


「おやすみなさい。わたくしの、大切な(あるじ)様」


 空気にとけてしまうほど優しく響いたサリィの声は、すやすやと寝息をたてるヨルナには届かない。

 が、それはそれで良しと目をすがめ、ほつれて頬にかかる銀の髪をすくいとる。

 充分に整えられて、瞳を閉じても輝くばかりにうつくしい主の様子に、サリィは満足げに頷き、音を立てないよう細心の注意をはらって部屋をあとにした。











 眠りの底で、夢をみた。

 神様との接触ではなく、純粋な。


 その宵の、先ほどまで身を置いていた鏡の間。王族席の一隅(いちぐう)での景色が、ほわほわとした(まく)一枚へだてた、向こう側のことのように甦る。




『ち、父上!? それは!』


 珍しく慌てふためいたアストラッドは、国王陛下に“それ”を言われたくはなさそうだった。

 陛下に訊かれ、戸惑い、言葉を返せずにいる自分の手をとり、ホールへと(いざな)ってくれたのもアストラッドだ。

 まごつく自分を見るに見かねて、助け船を出してくれたのだと思う。


 夢見心地で宙ぶらりんの回答にダンスを堪能する余裕はなかったが、十五歳になりたての王子のリードはとても上手で、優しかった。



『さっきの話。本当は、僕から伝えたかったんです。ごめんね、ヨルナ。あの場で父から言われるとは思わなくて……驚いたでしょう?』


 ――いいえ、とも、はい、とも答えづらく、困り笑いしかできなかった。それでもアストラッドは、綺麗な青い瞳に胸がどきどきするような光をたたえて見つめてくれた。


『僕は……、貴女と婚約したいです。ヨルナ・カリスト嬢。お気持ちが定まったらどうか、お返事をください』


『!!』



 ――はい、と。


 かろうじて答えるのが精一杯だった。

 声は、手は、震えていなかったろうか。

 ちゃんと微笑みを浮かべられただろうか?


(私の気持ちは、ずっと変わりません。いつも貴方にありました。でも) 


 心のなかですら躊躇する。その先を。



 ――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()



 こわくて、こわくて。問うに問えない。

 それは、あなたの魂の奥底に刻まれた、最初のお姫様への真心ではありませんか? と。

 言えば、押し込めた気持ちがあふれて泣いていたかもしれない。


 眠りながら夢は二転三転とし、夢のなかでヨルナは紅茶色の髪にくるくると回るハシバミ色の瞳の、元気で素朴な平民の少女だった。




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