53 内輪の小宴(後)
紅の波打つ髪を長く垂らし、簡易の王冠である艶消しの金環が額ににぶく輝いている。
国王オーディンは、王妃セネレを伴い王族席へと戻ってきた。
調べは華やかに続いている。ヨルナは、やや柱の影になる長椅子にアストラッドと並んで腰掛け、国王夫妻の背後でまだ踊っているロザリンドとユウェンにも気づいた。
――二人とも口は動いている。会話は弾んでいるらしい。
そこで、かたん、と足音がして我に返った。
サジェスによく似た面差しの国王が、意外な人懐っこさで微笑んでいる。
「すまないね、ヨルナ嬢。なかなか時間がとれず。このような席に呼びつけてしまって」
「! いいえ。滅相もございません、陛下」
ヨルナは畏まり、衣擦れの音とともに立ち上がった。
緊張はしていたが、こういった場面での所作は“ヨルナ・カリスト”として産まれて以来、徹底的に叩き込まれている。
よって、危うげなくドレスの裾をつまみ、淑女らしく礼をとった。
「こちらこそ、お忙しいなか大切なお時間を賜り、光栄に存じます。あの……王妃様からもお手紙をいただきましたが。そのことでしょうか?」
ちら、と二人の背後のホールに視線を流す。
自然に国王夫妻も振り返り、いまは三組の男女が踊る鏡のホールを眺めた。苦笑して視線を戻す。
「そうだね。――ひとまず、どうぞ座って。飲み物でも頼もうか。妃が温室のバラで紅茶用のジャムを作ったんだが。いかがかな?」
「喜んで」
側に控えていた侍女がすみやかに紅茶の準備を整え、王室の親子とヨルナは、ひととき王妃の造園手腕の本格さとジャムの美味について語り合った。
* * *
「それでね。今までのあの子ならきつく叱っても梨の礫。どこ吹く風だったのに。もちろん演技でしおらしく振る舞うときはあったけれど、そうじゃないとわかったの」
「はぁ」
――紅茶は二杯め。
いったん奥に座ってしまうとホールの様子は窺えない。
ヨルナは真剣に耳を傾けはしたものの、王妃の話に何とも言えない相槌を打った。
セネレは頬に手を当て、深々と嘆息する。
「今回は……何というのかしら。顔色からしておかしかったわ。心ここにあらずというか。捕らわれている間に、どんなに辛いことがあったのかと心配になってしまって。しまいには、陛下も私もお小言を続けられなくなったので、部屋に帰らせましたの」
「昨夜な」
「はぁ」
会話の流れで“いつから”という説明は省かれていたが、それはそれで、さぞご両親から絞られたのだろうと察せられた。
ちょっとだけ眉を寄せたヨルナは、右隣のアストラッドにも話を振ってみる。
「アーシュ様は昨日から今日、ローズ様とはお話は?」
アストラッドは首を横に振った。
「いや。僕たち兄弟は、食事も別々にとるから。会ったのはさっき、控えの間でようやくだったよ。帰城したときもだけど、確かに大人しいとは思ったかな」
「そうですか……」
ヨルナは口元に指を当て、じっと考えを巡らせた。
ロザリンドが凹む理由は、おそらくユウェンが少年体だったからだ。
なのに、会えたこと自体は嬉しいはず。
転生の願いそのものだったひとと、こうもあっさり(?)出会えてしまったのだから。
そのジレンマだろうと想像はついたが、この世界のひとたちにはわかってもらえるはずがない。
ヨルナは、仕方なくため息をついた。告げても差し支えないことだけをすばやく脳内で組み立てる。話せることは情けないほどシンプルな事実のみだった。
「わたくしたちは、薬で眠らされて運ばれたので……。目覚めたのは昨日の朝でした。二人一緒に一室に閉じ込められましたが、食事は温かいものをベティさんが運んできてくれましたし。縛りつけられることも、乱暴を振るわれることもありませんでした。すぐに、殿下がたに助けていただいて――」
そっとアストラッドに横目を流すと、ずっとこちらを見ていたらしい青い瞳に、不意に心臓が跳ねる。ヨルナはあわてて前を向いた。
「拐われたこと以外で、不当な扱いを受けることはありませんでした。ローズ様が沈んでいらっしゃるのは、また別の要因と思われますわ」
「そうでしたか……。ありがとうヨルナ嬢。貴女まで巻き込んでしまって、本当に申し訳なかったわ。そうはいっても、怖かったでしょう? カリスト公爵には、私たちから改めて謝罪させていただきます」
「勿体ない仰せです、王妃殿下」
――――空気が緩む。
息を吐き、肩の力を抜いた。話はこれだけだろうか?
カチャン、とやや冷めてしまった紅茶のカップを持ち、口元に運ぶ。
すると、今度はオーディンが若干身を乗り出した。
「ところで。ものは相談なのだが、ヨルナ嬢。貴女に、この……」
「ち、父上!? それは!」
「?」
とたんにアストラッドが気色ばむ。ガタッ、と席を立ち、右手を掲げて父王の言を阻もうとしていた。
それを、まぁまぁと人の善い顔で王妃が諌める。
王は、その隙にやわらかくヨルナに問いかけた。
「――どうだろう。この末の息子、アストラッドの婚約者になってもらえないだろうか」