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52 内輪の小宴(中)

「ふうん? あなた、アイリスじゃなくて本当はルピナスなのね。お姉様はどうなさったの?」


 林檎酒でほんのり上気した頬のミュゼルは、小首を傾げた。左手にはさっくりと焼けたパイ皮に、食欲をそそるシナモンが香るアップルパイを持っている。


 最初の茶会で貴族名鑑を読破していると豪語しただけあって、北公家の兄弟構成や名前は把握しているようだ。


 ルピナスは、ちらりと背後の楽団や王族席に視線を投げかけてこちらに向き直る。

 内緒話の(てい)を守るため、そっとミュゼルに顔を寄せた。


「姉は、あまり体が丈夫じゃなくて」


「それは……大変ですわね。王命では欠席なんてできませんもの。貴族として」


 ひそひそと、ミュゼルもつられて声を落とす。


 傍目には少女二人の愛らしい密談にしか見えないが、片方は少年。画的(えてき)に今も信じ(がた)いものがある。

 ルピナスは少し困った顔で頷いた。


「そう。北は春の訪れが遅い。寒い日が続いていて、ちょうど風邪をこじらせたところだったんだ。とてもじゃないが長旅なんてさせられない。かといって、馬鹿正直に伝えてはのちのち姉の弱味になるし。ジェイド家(うち)にとっても良くない」


「なるほど」


 うんうん、と納得しながら、ヨルナは硝子(ガラス)の器に盛られたプリンとフルーツにスプーンを入れた。


 添えられた生クリームに絶妙にマッチする固めのプリンは、しっとりとした食感と卵の風味が濃厚でとても美味しい。つややかな焦げ茶のカラメルの芳しく、甘いことと言ったら!


(ほっぺ、落ちる……)

 ほわわん、と幸せそうにデザートを堪能する南公息女に、ミュゼルもルピナスもつられて苦笑した。


「何を話していたのか忘れてしまいますわね。美味しい? ヨルナ」


「とっても。幸せです」


「……私は食べてないけど、こっちまでお裾分けもらってるような気がする。見てるだけで幸せだ」


 ふふっ、と笑むルピナスは、たしかにグラスを持っているだけ。デザートには手を出していない。

 ――甘味大好き娘として、これはいただけない。


 ヨルナは、ふと思い立って側のビュッフェコーナーから新しいスプーンを取り、まだ手をつけていない側のプリンを(すく)った。丁寧に生クリームもくっつけて、自然な仕草でルピナスに差し出す。


「美味しいものは、食べてこそですわ。召し上がれ?」


「えっ」


「あらあらあらあら」


 たじろぐルピナス。面白がるミュゼル。

 かたや、にっこりと笑って拒否されることを想定していないヨルナ。


 そうして、ルピナスの目元が赤くなり始めた頃だった。


「やぁ()()()()()。お楽しみ中ですね。いかがですか? 料理長や菓子職人が腕によりをかけて(こしら)えたデザートは」


「アーシュ様」


「はい、殿下。美味しくいただいております。お席はもうよろしいのですか?」


「うん」


 ミュゼルの問いにアストラッドが微笑み、頷く。

 いつのまにか歓談は一段落したらしい。ホールでは国王夫妻がペアとなって踊り、なんとロザリンドもユウェンと組んでステップを踏んでいた。

 後者の身長差は並んでみると、頭ひとつロザリンドが高い。なので、親戚の子と踊っているような微笑ましさがある。

 ――王女殿下の表情は複雑そうではあったが。


(ん……?)

 ふと、ヨルナはスプーンを持つ右手を軌道修正させられる感触に気がついた。手の甲だけに触れて、実にさりげなく方向転換させられている。


「あ、アーシュ様!」


 止める間もなく、アストラッドが行き先不明となっていたプリンを食べてしまった。

 ぺろ、と唇を舐めてから「ごちそうさま」と呟く。


「あら~」

「……」


 先ほどとはまた違ったイントネーションでミュゼルがにまにました。ルピナスは何とも言えない顔で王子を見つめている。


 アストラッドは、ヨルナの手からプリンの器を取り、空いた手でエスコートをした。


「ごめんね。陛下と妃殿下が、踊り終わったらヨルナ殿とお話したいと。いま、長兄(サジェス)次兄(トール)がこちらに参ります。――よろしければお二人とも、陛下がたの次にダンスをどうぞ」



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