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49 再会と護送

 ヨルナは、回らない頭でぐるぐると考える。

 ――どうしよう。自分から抱きついてしまった。




   *   *   *




 とにかく逃げなきゃ、と、外に飛び出した。

 アストラッドを一番に見つけて、名を呼んでもらえて。

 それまでの不安も心細さも、跡形もなく消えてしまった。


 せっかく、貴方に会えたのに。

 大事なときに力になれず、いたずらに『また』猫になってしまうかもしれなかった危機(ピンチ)の果てに。

 張りつめていた気持ちがほどけて、涙まであふれる。


 アストラッドの腕のなかは、とても温かかった。







 ――――――――



 ……が、さすがに徐々に冷静さが戻ってきた。目元がじんじんする。


(ええと。落ち着いて。落ち着くのよヨルナ。あなたは今、猫じゃないわ。抱っこしてもらって喜んでる場合じゃないのよ。そうそう、一応公爵家の娘だし体裁ってものが………まずいわ! 公衆の面前で真っ昼間とかあり得ないよね!? アーシュ様は第三王子殿下なのに)


 脳内でいそがしい内省を終えたヨルナは、アストラッドの背中からおずおずと腕を引いた。

 きゅ、と脇腹あたりの衣服を持ち、顔を上向ける。

 こちらを真摯に覗き込むのは、海のように明るい群青の瞳。信じられない嬉しさに、つい口元がほころんだ。


「すみません殿下。その……お顔を拝見したら安心してしまって。ご無礼をつかまつりました。はな、し……?」


 離していただけませんか? という問いは文字どおり封殺された。鼻と口をアストラッドの肩口で塞がれて苦しい。


 しかも「離さない……。ものすごく心配した」と、囁かれてしまう。

 さわ、と、彼の指が首筋を掠めて。


(~~!?!?)

 びっくりした。

 体温の上昇。心拍まで跳ね上がって、わけがわからない。

 こんな風に、人間でいる間に『彼』に抱きすくめられるなんて初めてだった。


 そう言えばたくさんの騎士様がいるはずなのに、誰も何も言わない。見て見ぬふりだろうか? 『嬉しい』よりも『恥ずかしい』が断然(まさ)ってきた。


 結果、身じろぎの隙間もないため、慌ててとんとん、と彼の脇腹あたりを叩く。

 すると、べりっと剥がされるように王子の体が遠のいた。


「!! 何をするんだ、アイリス。せっかくヨルナに」

「ぷはっ……あ、アイリス様? なぜここに」


 けほけほっ、と涙目のまま()せると、藍色の髪を一本に結んだ友人に、痛ましそうな表情(かお)で見つめられた。


「かわいそうにヨルナ。ひどい目に遭ったね。怪我は?」


「あ、ありません。……けどアイリス、雰囲気、変わりました? なんだか」



「――ルピナス」


「え?」


 たった一言。

 聞き慣れない名を口にした友人は、見たこともないほどしっとりと微笑んだ。思わず見とれていると、そっと両手を握られてしまう。


「私は、本当の名を“ルピナス”と言う。“アイリス”は双子の姉の名前。わけあって、今回の茶会では姉の身代わりをつとめましたが――れっきとした男です」


「えええええっ!?!?」

「やっぱりか」


 周囲の騎士たちからもどよめきが上がり、アストラッドはつまらなさそうに腕を組んだ。

 ヨルナは(正夢……?)と、(ほう)けている。



 男装のアイリス改め、美少年ルピナス。


 瞠目するヨルナににこにこと笑む顔は綺麗だが、吹っ切れた仕草やまなざしの強さは騎士然としている。

 一体なぜ、今まで同性と信じてしまったのか。そもそも。


「あ、あの……すみません。そうとは知らず私とミュゼルったら……あぁぁぁ……」


 俯いたヨルナの声が、ごにょごにょと小さくなった。居たたまれない。

 なにしろ寝室に招いてネグリジェ姿まで見せてしまったのだ。今なら、彼が(かたく)なに寝台に上がらなかった理由がわかる。



 握られた手は、すぐにさりげなくアストラッドに奪われたけれど、耳まで真っ赤なヨルナを、ルピナスは微笑ましく見守っていた。


 どこからどうみても、立派な公爵()()だった。




   *   *   *




 城への帰還は馬車を使うように、とサジェスから指示を受け、ヨルナとロザリンドはそろって同じ箱馬車に乗り込んだ。付き添いはアストラッド。


 が、すでに広々とした車内に座っていた魔族の二人連れに、ヨルナは目を瞬く。


「座長さん……? あ、そうか。あの女性、竜人(ドラゴニュート)の……」


 口ごもると、シュスラが優しく微笑みかけた。


「そうです。銀のお嬢さん。このたびはうちの団員が大それたことをして、本当に申し訳ありませんでした。やつらの処分はこの国に託さざるを得ませんが、心情的にはこの手で再起不能にしてやりたいですよ」


「まぁ」

「いいこと言うじゃない」


「姉上。お立場を」


 めっ、というまなざしの弟に叱られ、それでもロザリンドは勝ち気な笑みを崩さなかった。

 こんなとき、彼女には大輪のバラのような存在感がある。シュスラはそれを眩しそうに見つめた。


「……貴女があのときに選ばれたのは、照明係をしていたルダートの仕業でしたが。ひとめで納得しましたよ。そちらのお嬢さんといい、お二人とも良い(ちから)に満ちている。生き生きしています」


「光……ちから?」


「“争乱の相”もあるけどね。とくに派手なほう」

「こら、ユウェン」


 (たしな)める青年に、魔族の少年は悪びれずに肩をすくめた。「事実だから」


「いい度胸してんじゃないの。ガキんちょ」


「ふうん? 音に聞こえるゼローナの王女ってこんなもんなのか? 淑やかさの欠片(カケラ)もない」


 にやり、と年不相応(※外見)な笑みを浮かべる少年に、ロザリンドは食ってかかった。


「何ですって……!」


「姉上、落ち着いて。このかたは」


「なによ!」


 そのとき。

 御者の掛け声とともに蹄の音が鳴り、ガタン、と車体が揺れた。

 一行は馬車がゆっくりと王城に向かい始めたのを知った。


 吐息したアストラッドは、神妙な顔で二人にそっと打ち明ける。


「いいですか? このかたは隠形(おんぎょう)をとっていらっしゃいますが、魔王ユーグラシル陛下そのひとです。とても、助けていただいたんです」



「!!!」

「……は?」



 意外すぎた。まさか――?

 ヨルナは、疑問符を発したきり固まったロザリンドを、はらはらと見守った。





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