44 もしも、いちどだけ(前)
食器と茶器をトレイに乗せたベティが退室すると、カチャン、と施錠の音が響いた。ヨルナは改めて部屋を見渡す。
まともな家具は質素な四角いテーブルと椅子が二脚。絨毯はなし。うっすらと埃が白く高窓からの光に舞っている。
四方の木板の壁のうち、一方は扉。一方は寝台が二つ。一方は何もない。扉の反対側にある、高窓をそなえる壁には唯一、ごちゃっと箱や棚が寄せられていた。
とはいえ、移動させて窓まで届く踏み台にできるほどの物はなく。万事休す、と黄昏る。
(どこか…………何かないかしら。出られる方法。助けを呼ぶ手段は)
じっとしていられずにうろうろしていると、背後からのんびりと声をかけられた。
「なぁに。逃げ道でも探してるの」
「逃げ道……。それもいいんですが、少しでも外の様子を探れないかなって。ローズ様?」
「ん?」
振り向くと、ロザリンドは靴を履いたまま俯せで寝そべり、寝台に転がっていた。あまりのリラックスぶりにヨルナは呆れてしまう。
「ずいぶんとゆっくりお過ごしのようですが。よろしいんですか? このままじゃベティのお義姉さんになっちゃいますよ」
「よろしくないわ。馬鹿ねぇ、ヨルナ」
よいしょ、と起き上がったロザリンドは小さく欠伸をして、そのまま近づいて来た。
怪訝そうなヨルナの前を素通りして高窓の真下あたりをノックする。
ゴッ、ゴッ、と鈍い音。
そこは木板だけでなく、なにか補強のための塗料を塗ってあるようだった。地球でいえばコンクリートのような。
ロザリンドは辟易とした様子でぼやく。
「ボロい空き家のくせに、外壁は頑丈そうね。ヨルナ、火魔法は使える? 風でもいいわ。ここを壊せるくらいの」
「! 無理です。できたとしても火事になっちゃますし、風圧で爆破も、外にひとがいたら……。危ないでしょう? もちろん、真空の刃なんて高次元な技もできません」
「あほくさ。使えないわね」
「……」
いやいやいやいや。
“転移”を含む他の魔法すべてを封じられたロザリンドから言われたくはなかったが、その件に関しては追及しないことにした。
代わりに、ずっと気になっていたことを口にする。
「ローズ様。逃げ道の件ですが。私、起きたときからずっと隙間風を感じるんです。すぅすぅすると言うか。寝てるとき、寒くありませんでした?」
「そういえば……、そうね」
つかのま沈黙した二人は、なんとなく視線を同じ場所に流した。
先ほど、分厚そうな音がした壁だ。いかにも寄せ集めた風の箱や物が一ヶ所に積まれており、部屋を片付けるためだったのは間違いないのだがそれ以上に。
(あやしい。カモフラージュとか……?)
ヨルナは、ハッと翠玉色の瞳をきらめかせた。
「ね、ローズ様。ここ、穴でも空いてるんでしょうか」
「まさか」
そう言いつつ、顔を見合わせた二人は同時に動きだした。
木箱をずらして何かの袋をずらし、壁際に隙間を作って横から覗いてみると、たしかに穴は空いている。
が、ネズミの穴をちょっと大きくした程度のひび割れだ。そこから外の空気と光が入ってきていた。
――――猫。
どうしよう。それくらいなら。
変化して一昼夜くらいなら人間としての意識を残せると、経験上知っている。
いま、ロザリンドが身に付けているリボンをくわえて行けば。あるいは付近の住民をここまで誘導できれば。
――――ひょっとして。
助 け ら れ る ?
(……!!)
じわり。熱いような、つめたいような。
今生での選択を突きつけられた気がして、ヨルナはしばし立ちすくんだ。