40 非公式異種対談※
「こっちですニャ」
藍色がかった灰色の滑らかな毛づやを持つ猫人は、人懐っこく、こいこいと手招きをした。
キティと名乗った彼女は最初と違い、難癖をつけてきた無頼漢をあざやかに撃退したアストラッドに好意的なまなざしを向けている。
手こそ繋ぎはしないがすぐ隣を歩き、軽快に客人を案内する様は機嫌良さげですらある。トールとアイリスはその後ろを遅れて歩いた。
キティの芸人装束は薄手の軽装だ。毛皮がなければ肌寒そうですらあったかもしれない。しかし。
(足音がしない……)
人間が靴を履いて歩くのとは違う。
大型の猫の足は、そもそも靴を必要としない。ちょっとくらいの小石や石畳の欠けも何のその。俊敏な足運びで無音を貫いている。
さっきはつい助けてしまったが、これだけの身のこなしならば、彼女に体術の心得があったとしてもおかしくはなかった。
時と場所が異なっていれば、助けを乞うのはあの男たちだったのかもしれない。
アストラッドは自嘲ぎみに苦笑した。
「すみません、忙しそうなときにお手間を取らせて。体調を崩した団員たちというのはどれくらい……、具合は大丈夫なんですか? 医者は?」
「ん~……。お客さんたちになら言ってもいいのかニャ。黙っててほしいんだけど、あれ、嘘ニャ」
「嘘」
思わず後ろから口を挟んだトールに、キティが視線を流す。「そう。残ってるメンバーは全員ピンピンしてるニャ」
目配せして互いに難しい表情になった後ろの二人をよそに、アストラッドは、ほんの少し自分より背の高いキティを窺い見た。
「つまり、何人かは出て行った……。或いはいなくなった。急な撤収の理由はそれですか?」
「はい。そゆことニャ。――あ、あれあれ。あの端っこのテント。あそこに座長がいるニャ。質問とかは全部あそこでお願いニャ」
((((丸投げ……)))
若干の丈高い木立。共用の水汲み場もある宿営地の奥にはいくつもの生成り色のテント。
なるほど、一回り大きなものが他よりも少し離れた場所に張られていた。
「座長ー、お客さんニャ」
隙間ができる程度に扉布をめくり、キティが入り口から用件を伝える。すると。
―――入れ。
「「「…………」」」
やたらと重々しく響く声は不機嫌なのか、地の性格が滲み出ているのか一聞では判別つかない。どことなく妙な貫禄があり、執務中の国王を訪ねるような緊張感があった。
(まさかね)
ちらりとよぎる、芽にも育たぬ疑惑や警戒心は、無くはなかったが。
それでもアストラッドは軽く首を左右に振り、キティに礼を告げると、ぐっと唇を噛んで入り口をくぐった。
「ようこそ。すみませんね、立て込んでて。…………連れのお嬢さんたちは、まだ?」
組立式の机と椅子。長方形の箱のような寝台。隣には手伝いか見習いらしい黒髪の少年。
仰々しい舞台衣裳はとっくに脱いで、襟元をくつろげた異国風の服に着替えている。
『座長』と呼ばれた魔族の青年は、今日の売り上げらしい銀貨や銅貨をうず高く積み上げ、横長に広げた帳簿に羽ペンを走らせていた。
* * *
「失踪……? 団員が二名??」
「えぇ。今となれば……そいつらがこの件に絡んでいると見なすべきでしょう。監督不行き届きで申し訳ない。あの演目のとき、補助をつとめていた竜人の女と竜舎係だった男です。あなたがたを送り出したあと、いつの間にか。魔道具もいくつかくすねられましたね」
「それは」
窃盗。足抜け。しかも、あってはならない遠征先での重大な犯罪疑惑。場合によっては一座もろとも犯罪者集団扱いされかねない。国際問題にも。
座長の気苦労と静かな怒りが伝わり、アストラッドは思わず言葉を飲み込んだ。
限りなく黒に近いグレー。ほぼほぼ真っ黒。
いなくなった容疑者二名の処遇は。
一座としてさまざまな罰則があるのかもしれないが、罪を犯した場所がここゼローナである以上、全てはこちらの役人で対処すべき事柄だ。姉たちの探索についても、刻一刻と。
ゆえに、とにかく穏便に聞き出してみる。
何でもいい。手がかりがもっと欲しかった。
「その……竜人と竜舎係が僕たちの連れを拐ったとして。なぜなんでしょう。心当たりはありますか?」
「動機ですね。うん……すみません。わからないな。竜人族は翼がある分、大昔ほど竜の生息区域に収まっちゃいない。若い世代は好き勝手に異種婚姻を繰り返している。あいつらもその手合いで、魔都での団員募集に応じた新顔です。たしか……国境の町出身で従兄妹だとか。純粋な竜の血が薄くなっているせいか、男に翼はないですよ。額に短い角だけ」
とん、と自らの額に人差し指を置く。
その仕草から一本角なのだと知れた。
ため息をついたアストラッドの右隣でトールが年長者らしく青年に向き合う。
「失礼。役所に、今の情報を開示します。それを頼りに行方不明者の捜索もしますが、よろしいですか? 誘拐とみなします」
「もちろんです。構いません。おかげで私たちも計画がおじゃんだ。甚大な被害を受けている」
「でしょうね」
――察するに、金銭的に。名誉的に。
どこか芝居がかった仕草で肩をすくめる座長を、ふと隣の少年が呼んだ。「シュスラ」
「ん?」
テーブルに向かい合って座っているので、彼らの水際だった容姿はいやでも目に映る。
観察するまでもなく、こちらもやたらと艶のある美形だった。年の頃は十五に満たない。ヨルナと同じほどだろうか。
瞳は澄んだ赤。青年と同じく浅黒い肌に尖った耳。つややかな黒髪は襟足までで、全体的にアストラッドよりも短い。
少年は会計作業を大人しく引き継ぎ、無言で銅貨を数えて小分けの山にしていたが、じっ、と座長の目を見つめている。
やがて、おもむろに口をひらいた。
「……シュスラ。これ、非常事態なんじゃないか? 俺、彼らには協力してもいいと思う」