3 嵐のような闖入者
「どうぞ、ヨルナ様。侍女殿。しばらくはこちらでお寛ぎください」
「ありがとう」
「ありがとう存じます」
城門をくぐり、馬車を降りてすぐに通されたのは、小じんまりとしたサロンを思わせる居心地の良い部屋だった。
薔薇色の絨毯。落ち着いた印象のクリーム色のカバーが掛けられたソファー。重厚な造りの円卓には繊細なレースのクロス。中央には、視線を集めるように春の花が丈高く生けてある。
サリィは『お付きの方は一旦こちらへ』と、別室に連れられてしまった。今日これからの段取りか、内々の確認だろう。
一人残されたヨルナはあらためてテーブルの側に立ち、ぐるりと室内を見渡す。
――……何度、生まれ変わっても。
この世界は“地球”とどこか、決定的に違う。魔法や魔物、ヒトに似た亜人種が多数存在するお伽話じみた世界というだけではなくて。
物質? の、成り立ちそのものだろうか。
ものの見え方が根本的に異なる気がした。一つ一つの色彩がとても鮮やかに映る。普通のヒトの髪や目の色も千差万別で、まさにファンタジーそのもの。単なる壁ですら、角度によっては真珠色の光沢を放っている。職人によって施された浮き彫りも素晴らしい。
なので、つい。
「キレイ……」
覗き込むように、うっとりと呟いてしまった。すると。
「――あら。嫌だわ、どこの田舎娘かしら」
「? えっ……、きゃあっ!」
突然、ドン! と、背中を突き飛ばされた。
おかしい。扉も開けられていないし、靴音もしなかった。真後ろから急に声をかけられたことに、ひたすら驚く。しかも、かなり理不尽な暴力。
とっさに体重をコントロールし、爪先に力を込めてバランスを取ろうとしたが。
「うっ」
残念なことに、華奢なヒールの沓では踏みとどまれなかった。屈辱だが、前のめりに倒れて床に肘を突いてしまう。……不甲斐ない!
肩越しに、キッと振り返って非難のまなざしを送ると、犯人は腕を組み、不機嫌そのものの顔つきでこちらを見下ろしていた。
――どうして? 誰? どうやって??
緋色の髪が炎の滝のように流れる、大人びた少女がそこにいた。
* * *
このあたりの裕福な家庭では、虹彩貝という、とても大きな貝の殻を砕いて壁の漆喰に混ぜるという。
公都カレスの屋敷にも当然使われているが、ここまでたっぷりと練り込まれてはいなかった。天井も絵のように配置された宝石画で見とれていたのだが、どうやら『それ』が田舎娘と映ったらしい。
(炎の髪。ご気性も荒くて……十六歳くらい? あ、なるほど。わかった、このかたは)
相手の素性を見極めたところで、ちょうどコンコン、と扉が鳴らされる。
入室して「お待たせいたしました、ヨルナさ――」と固まり、笑顔を凍らせるサリィと目が合った。
「!! なっ……、なんてことを。大丈夫ですか姫様!」
サリィは素早く部屋を横切り、藍色のドレスの裾をさばいて近づいてくる。さっとヨルナを背に庇うと、心持ち声を低めて緋色の髪の少女を睨んだ。
「……我が主の、何がそんなにお気に障りましたか? ロザリンド王女」
「あら。わたくしのことを知ってるのね、お前」
「おそれながら」
形こそ慇懃に会釈しつつ、淡々とサリィは応じる。
「王家のやんちゃ姫と名高い御身をご存知ないとは……。下々の者まで知っておりますのに不思議なこと。こちらは、茶会のために訪れた三公家ゆかりの方々のための控え室ですわ。お部屋をお間違えではありません? 出口はあちらでございます」
「!! お、まえ……よくも、無礼な!」
すらすらと笑顔で申し添えたサリィが、にこやかに開け放したままの出入り口を差し示す。
――危険。血の気が引く。止める暇もなかった。
案の定、水色の瞳が瞬時に怒りに染まる。
「このっ」
「?!」
振り上げられた手に、ヨルナは立ち上がり、みずからを守る侍女の体を押しのけた。サリィの目が驚愕の形に大きくみひらかれる。
多分痛い。ぶたれる――
そう、はっきり覚悟して目を瞑ると、前後から息を飲む気配が伝わった。
揺れる空気。
おかしい。待てども待てども、どこもぶたれない。
(なぜ)
おそるおそる薄目をひらくと、さっきまでは居なかった人物が一人、増えていた。
見目も、立ち姿もうつくしい金髪の少年だった。王女の後ろに立ち、勢いよく振り上げられた手首をしっかり掴んでいる。
「やっと、見つけた……! 何をしてるんです姉上」
「何もしやしないわ。離しなさいよアーシュ」
「だめです。今、明らかにこちらの令嬢を打とうとしてましたよね。いけません」
「~~もうぅ! つまんない! 離しなさいよクソ真面目アーシュ!!」
ぱしっ、と、捕らえられた右手を振りほどき、ロザリンドは二歩ほど少年から離れた。
すぐにまた空気が揺らぐ。きつい水色の視線を少年とヨルナ、サリィまでざっと流すと、彼女はあっという間に消えてしまった。
「…………空間、移動……?」
呆気にとられたようにサリィが呟いた。