37 神さまの再訪(後)
夢の中なのに、ヨルナはさぁっと血の気が引いた。
神さまの言う『大ピンチ』とは、意識を失う直前に耳にした竜人たちの会話とすんなり繋がる。すなわち。
「……やっぱり……!! あの人たち、人さらいだったんですね!? 大変、早く起きないと」
「知らないわよ。寝てたんだから」
みるみる顔面蒼白となるヨルナ。
ぷいっと横を向くロザリンド。
対照的な二人を前に、老爺はうむぅ……と口を閉ざしたが、しばらく髭をいじって物思いに耽ると、ふと表情を改めた。
(おじいさん?)
それは豹変だった。或いは、こっちが素なのか。
おとぎ話のような好好爺はどこにもいない。眉毛と皺に埋もれた炯眼がきらりと閃いて鷲のよう。どことなく厳しい瞳は、まずは王女に向けられた。
「聞け。赤いの。儂は転生者の魂が訪れたときは、一つだけ望みを叶える『手助け』をしておる。そなたは『一つ』と言うたわりに矢鱈と大がかりな願いじゃった。勘違いしておるようじゃが、ここは、そなたのみのために在る世界ではない。故に、今後は一切介入せぬ。自力で励め。――よいな? まっとうな方法で、だ。一々他者を巻き込むでないぞ」
「!!? そんな、約束が違うわ! もしもユーグラシルと会えなかったらどうするの。わたし、逆行再生だって何度も頼むつもりだったのに……。それすら駄目だって言うの? このポンコツ! うすら詐欺師!!!」
「――で、銀の」
「は、はい」
騒ぐロザリンドを黙殺し、神は、今度はヨルナに向き直った。
張り詰めた空気に、ごくり、とヨルナの喉が鳴る。
「数多ある転生者の、例外中の例外。五度めの生を受けし娘よ。そなただけは何も望まなんだ。故に、気まぐれで与えた“猫化の能力”じゃったが…………すまぬ。悪かったと思うとる。まさか本当に使うとは……。その、冗談のつもりじゃったのに」
「「…………」」
もじもじ。もごもご。何これ可愛い。
気がつくと、神さまはいつものおじいさんに戻っていた。
「……ちょっと。わたしのときとずいぶん態度が違うじゃない。案内人さん?」
腰に手を当てて、ずい、と乗り出したロザリンドが睨んでも、凄んでも梨の礫。
どうやら、彼はヨルナに対してはまだ話すことがあるらしいのだが……
そうこうするうちに、再び薄靄が立ち込めて老爺の姿が明滅した。ロザリンドも。
「ま……待って! 神さま!」
ヨルナは焦った。
まただ。また、肝心なことを聞けなかった。
この神様は一体、何をして欲しいのか。――人としての幸せ? それならもう充分幸せなのに。あのひとの側に、いつも生まれられて。
覚醒のスピードは増して白霧は濃く、声もどんどん遠のいてゆく。もがいても。
――……すまぬ。定めがあって儂は現には……。どうに……、助けを…………
* * *
「待ってったら!!」
手を伸ばす。唐突な目覚め。
現実の、自分の手の甲を視界におさめて改めて夢の遠さを知った。
今ここは。
(? ……どこ?)
低い天井。装飾のない木板の壁。窓からは白々と陽の光。まさか、一夜明けてしまったんだろうか。
幸い、どこも痛くない。清潔そうなシーツが敷かれた簡素な寝台に横たわっている。体の上には古ぼけた毛布が一枚。
ゆるゆると伸ばした右手を引き寄せ、左手で握りしめていると……通路だろうか。壁の向こうから足音がした。床板が軋んでいる。古そうな家屋だから丸聞こえだ。
――――カチッ。ガチャッ。
無機質な解錠の音に続き、扉がひらいて誰かが入室した。
確認しようと身じろぎすると、相手が意外そうに目をみはる。
「おはようございます。早いですね、カリストのお姫様。昨夜はお休みになれましたか?」
「!! あなたは……っ、貴女まで捕まっちゃったの!? 大変、ロザリンド様は??」
がばっと身を起こして部屋を見渡すと、すぐに離れた寝台で眠る王女殿下に気がついた。
(あ……よかった)
安堵もつかの間。メイドのベティが部屋の入り口に立って、もの思わしげにこちらを見ている。
手には盆。水差しが一つ、グラスが二つ。
――なんてこと。まさか自分たちの世話係として連れてこられたんだろうか。
自然にそう考えたとき、ふっと違和感がよぎった。
(ん? 待って。この子の声……あのときの?)
浮かんだ事実がどうしても腑に落ちない。ヨルナはさかんに首をひねった。
ぱたん、と後ろ手に扉を閉めて、ベティがにっこりと笑う。
「お気遣いなく。おやさしい銀の姫様。あたしが、貴女がたを拐かしたんです」