36 神さまの再訪(前)
紫紺の闇に意識が塗り潰されている。眠りのなかでヨルナは深く、深く縮こまって沈んでいた。時おり振動を感じることはあったが、自分史上最強の眠気にうやむやにされ、ぐっすりと寝て今に至る。
ずっと、夢を見ていた気がする。
なぜかクラヒナ広場の端の森で、ミュゼルがすっとんきょうな叫び声をあげていたような。
アイリスが男の子だなんて、そんなわけないのに。
ふふふっ、と笑んだ拍子に、唇から吐息が漏れた。もうすぐ起きてしまうのかも。まだ寝ていたいのに。
(気のせいかな。夢よね。だって私、まだ天幕に…………んん? 違う。あのあと???
手のひらから、記憶だと思っていた欠片がポロポロとこぼれ落ちる錯覚。違和感に、ヨルナは沈み込むのをやめた。
閉じたまぶたの裡で心の目をひらく感覚。
何もない意識の世界に、うっすらと白い靄が漂い始める。
これは。
まさか、また。
――――……め。娘よ。これ、起きぬか。あ、いや、完全に起きては困るのじゃが……
(!)
はっとした。この口調、この声は。
「神様のおじいさん? よかった、会いに来てくださったんですね。聞いてください、ロザリンド様が」
「『わたしが』なに?」
「!! えっ? ひゃあああ!!!! ど、どうしてローズ様が!?!?」
突然肩に手を置かれ、わたわたとヨルナは仰け反った。夢に神様と他人が同時に現れるなんて初めてだ。
「あー、うるっさい。これくらいで驚くなんてみみっちい女ね、あんた」
ヨルナの悲鳴に王女は眉をしかめ、ぱっと肩から手を離した。
いけない。あからさまに驚きすぎただろうか……と、ちょっぴり反省する。
ロザリンドは、ふふん、と笑った。
斜に構え、豪奢に渦巻く焔色の髪に指を巻きつけて弄ぶ姿は、こう言ってはなんだがものすごく“悪役令嬢”だ。
豪放磊落、唯我独尊。
他人には苛烈だが妙に生き生きとしている。
彼女は夢じゃない。ロザリンド自身だと、ヨルナは即座に理解した。
「どうもこうも。あんたが一緒に寝ちゃうから。案内人が夢をくっつけちゃったのよ。説明が面倒だからって」
「…………案内、人?」
え。なぜ。why?
こわごわと白髪の老爺を見つめると、この世界の管理者である神は、渋々といった風情で頷いた。
「うむ……。そっちの娘ごには、儂は“乙女げーむ”とやらの案内人の風体に見えるらしいの」
「何よ、違うっての? だってここ、まんま『銀のひめごと』じゃない。案内人はゲームのナビゲーターで、ラストバトルで正体をあらわす自称・運命の神だもの。ぴったりじゃない。――あんたはどんな感じ? 私には胡散くさい吟遊詩人に見えるわ。若くて、目元は帽子で隠れてるの。青い長髪よ」
「あ、私は仙人みたいなおじいさんに見えます」
「仙人……? しぶっ、何それ。あんたの享年ってリアル年寄りなの? ふふっ、可笑しい」
ロザリンドは悪気なく、けらけらと笑っている。
老爺は、こほん、と咳払いをした。
「それはそうと……。お主ら、盛大に拐かされておったようじゃが。気づいとらんのか? 二人そろって大ピンチじゃぞ」