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31 姉弟の温度差

「さぁ、小さなお嬢さんは舞台へ。そちらのみごとな(くれない)の髪のお嬢さんはあちらへ」


「あちら?」


 凝った衣装の長い裾をさばき、最前列の客席まで迎えに来た黒ずくめの青年――ロザリンドの(げん)が正しければ『シュスラ』は、にこやかにヨルナの手を取った。

 もう一方の手は、天井の一部を指している。


(上? たしかに、大きな柱に見張り台みたいな出っ張りはあったけど…………あっ)


 つられて青年の後ろを仰ぎ見たをヨルナは、思わず目をみはった。どよめきの波が、ざわざわと会場に広がる。


 ――飛んでいる。

 筋肉質で大柄な女性だった。

 戦士や用心棒のような雰囲気。丸腰で、背にドラゴンに似た立派な翼が生えている。

 額からは黒檀色の一本角。青銀色のみじかい髪。金の瞳。すらりと伸びた手足にはびっしりと青い鱗。


竜人(ドラゴニュート)……!」


 呆然と呟くロザリンドのもとに、ばさり、と重々しい羽音を響かせ、竜人の女性が降り立った。


「こんにちは、火竜みたいなお嬢さん」


「どうも。そんな素敵な呼び方初めてだわ。ねぇ座長さん。その子が舞台なら私はどこ? ひょっとして空中散歩でもさせてもらえるの?」


 物怖じせずにすらすらと喋るロザリンドに、シュスラは愉快そうに片眉を上げた。それからちょっと胡散臭い、人好きのする笑みを浮かべる。


「そう。半分正解です。我らが魔境の竜人は女性もみんな力持ちですからね。ご安心を。貴女には、あの空中席まで行ってもらいます。ちょっとした役目をお願いしたいんですが。――怖いですか?」


「はん、まさか」


 鼻で笑い、威勢よく言い切ったロザリンドは青年とヨルナを見向きもせず、さっさと竜人女性のところに行ってしまった。


「…………」

「ええと」


 残された二人はにわかに、無言で顔を見合わせた。何とか言葉をひねり出したのは、座長の青年のほうだった。


「きみのお友だちは、随分と肝が据わってるんだねぇ」


 からからから、と明け透けに笑うシュスラ(いわ)く、いくら力持ちでも竜人女性が抱えられるのは平均的な人族女性まで。ちなみに竜人男性は同行していないらしい。

 ほかの街の公演では、体重の軽そうな子どもに依頼すると大泣きされてしまったそうで――



「……大変ですねぇ」


 思わず同情のまなざしを向けると、シュスラは金色の獣眼(じゅうがん)を細め、すぅっと切れ味の良い刃物のような表情をした。

 が、すぐに好青年の顔に戻り、にこっと笑う。


「貴女は。人族のなかでもとびきりお人好しのようだ。そう言われませんか? 綺麗な月色の髪のお嬢さん」




   *   *   *




「いやな感じだな……」


「あら。男の嫉妬は見苦しくてよ、アーシュ。あの魔族の座長さん、少しサ…………貴方の一番上のお兄様に似ておいでだわ。悠然としてらして。格好いいし、男前です」


「ありがとうミュゼル。兄に伝えます。喜ぶと思う」


「いや、それはどうだろう。あの御仁だし」



 比較的、客足のまばらな上層席。

 アストラッド、ミュゼル、アイリスは仲良く頭をつき合わせている。

 三名とも口ぶりのわりに、表情はすこぶる硬い。言うべきことはそうではないという共通認識の上に会話が成り立っていた。



 ――――ロザリンドが。



 よりにもよって、もっとも人目を忍ぶべき問題王女が(ヨルナも巻き込まれて)おそろしく目立つ役割に抜擢されてしまった。想定外だ。


 幸い、周囲の観客は何も気づかず、夢中で眼下を見守っている。竜人の女性が少女の一人を抱きかかえて力強い翼の一打ちで宙に浮かんだときも、やんややんやの喝采だった。すっかりよい見ものと化している。


(……お願いだから、大人しく助手でも何でもこなして。とっとと戻ってください、姉上)


 祈るように見つめた空中席では、ロザリンドが丁重に降ろされているのが見えた。命綱もあるようで、少しだけ安心する。


 高さは上層席のここから若干見上げる程度。表情も見える。

 反対側の客席のトールの辺りは何も伺えない。暗くて。


 とんとん、と、王子の肩を叩いたアイリスは心配そうに呟いた。


「アーシュ。無いことかもしれませんが……。もしも、あの男が()()()()()()()()()()()()()どうします? もし……その、バレることがあれば」


 ゆっくりと慎重に。言葉を探すように。

 いつも率直かつ簡潔な物言いを美徳とするアイリスにしては歯に(きぬ)着せた言い方だった。

(!)

 アストラッドは、はっとする。

 そういえば、彼女は北公息女だ。

 国境を挟んで向こうの民ともそれなりに付き合いや(いさか)いはあるだろう。なかには、きな臭い噂話もあるのかもしれない。


「何か、つかんでますか? 北公領(そちら)では」


 声を低めて問う。

 お忍びの北公息女はいったん口の両端を下げ、ぼそぼそと答えた。


「まだ、ご報告できるほどのことは……。ただ、怪しい一派が潜んでいるらしいと。なにぶん国境向こうのことですから、残念ながら尻尾はつかめていません。聞けば、すでに何度も返り討ちにしていると姉君が」


「あぁ」


 ロザリンドの誘拐犯への仕打ちは、王城のみなの知るところだった。

 けれど、今は“(それ)”を使えない。戒めのために封じられている。


(甘かったかな……。一応サジェス兄上にはこの場所を伝えてあるし。街の警ら兵も増やしてもらってるはずだけど)


 じりじりと不安がつのるなか、心配事のなさそうな姉が渡された銀の水差しを片手に、「いいわよ、任せなさい!」と、胸を張る姿が見えた。





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