30 白羽の矢
ナイトメーア。
それは、意外に知るものの少ない辺境の都の名。魔族の居城を指す。
挨拶を終えた座長の青年が客席につややかな笑みを投げかけて舞台を退いたあとも、ロザリンドの緊張――興奮? は、解けなかった。
頬を紅潮させながら、うわごとのように聞き慣れない単語を羅列しては「やだ」「でも」などと述べている。ちょっとくねくねしているかもしれない。
ヨルナは、ぽかん、とその変貌ぶりを眺めた。
(よっぽどその乙女ゲーム……『銀のひめごと』? 好きだったんだなぁ)
普段、奔放で苛烈な王女殿下が一変して身悶えするさまは、何というか意外性に満ちている。
ほのぼのと見つめるヨルナに、ロザリンドは声を抑えてゲームの知識を披露し始めた。
※二、三分経過。
「――つまり、あいつは当代魔王ユーグラシルの従兄で片腕。名前はシュスラ。推定年齢とかどうでもいいわよね、魔族だもん。由緒正しい魔神官の血筋で、ユーグラシルに並ぶ強者なのよ」
「へぇぇぇぇ……」
魔神官とは初耳だったが、いかにも魔族らしい役職名だ。彼らが崇める“魔神”も、ひょっとしたらどこかに存在するんだろうか……?
そこまで話したロザリンドは、ふと口をつぐんで舞台を見上げた。かく言うヨルナも。
(すごい。これは、……魔法?)
息を呑む。
もう、お喋りなどできない。
目の前で繰り広げられる幻のような光景に、意識はたやすく持って行かれた。
* * *
シャン、シャンシャン、シャン……
独特のリズム。
低く、高く絡まるひそやかな弦の音。歌声。
幾重にも鈴の音を響かせ、異国風の衣装をまとった踊り子たちが次々に舞台に上っていった。
細長い耳、白く長い手足に薄布をまとわせる優美なエルフ。ふさふさたした尾が特徴的な半狐の美女。かわいらしい幼子ほどの背丈しかない小人族の少女たちも。総勢十二名の舞い手がくるり、くるりと回るたび、衣の裾に縫い留められた色糸とビーズが流星のようにたなびく。
いつしか舞台には七色の光の螺旋があらわれて緩やかに広がり、波打ち、さざめいて方々に大輪の花を咲かせていた。クリスタルの照明が輝く、天井すれすれの高さまで。
オーロラ色の飛沫が降り注ぐなか、虹の精霊のような出で立ちの踊り子たちはひどく美しかった。儚く、妖しく、まるで生きた絵巻物のように。
「素晴らしいね……」
称賛も顕にトールが呟いた。
ヨルナは、舞台の様子を気にしつつも、ちょっとだけ身を乗り出してみる。
魔法が巧みで博識の第二王子殿下なら、不思議な光の仕組みがわかるかもしれない。
「あの……。これは、辺境の民独自の魔法でしょうか? 手品や奇術ではあり得ませんよね」
「うん。水と炎、光と闇、風も少し混じってる。魔族が得意な“幻影魔法”だね。感嘆に値するのは、舞台の踊り手や客席に全然影響がないことだよ。魔法を発現させる“層”をきっちり限定してるんだろうけど、これがなかなか高度な技で」
「幻影。なるほど」
――つまり、空間に投影された立体映像みたいなものかと納得したところで、「はい、そこまで」とバッサリ話題を打ち切られた。
ちょうど二人の間に挟まれ、辟易としていたロザリンドが鬱陶しそうに両手を顔の横まで上げている。
「わたしは、魔法談義にこれっぽっちも興味ないから。ねぇ、それよりヨルナ」
「えぇぇ……せっかく良いところだったのに。不粋だなぁローズは」
ぶつぶつと文句を垂れるトールをよそに、ロザリンドはこっそりとヨルナに耳打ちした。
「決めたわ。わたし、この一座に事情を話して拐ってもらう。でなきゃ紛れ込んでやるわ。魔都まで連れて行ってもらえれば、いちいち追放イベントを待たなくていいもの」
「ファッッッ?!! ななななな、何を……?!」
「ばっか、うるさい!」
「うっ」
しー、とご丁寧にジェスチャー付きで口を塞がれてしまった。
ヨルナは上目遣いになり、精一杯の険しさでロザリンドを睨む。
(な に を 考えてるの、このひとは! そりゃあ、貴女はあっちに飛び込んで宿願成就さえできれば万々歳なんでしょうけど!! ご家族がどんなにお嘆きになるか……。出奔だってとんだスキャンダルよ。おまけにゼローナの王女を『拐った』『拐わない』で主張が食い違えば、うっかり両国の)
――ハッとした。
やんわりと王女の手を払いのけ、顔を近づけて問い詰める。
「ローズ。やっぱり戦を起こすおつもりですか? そんな事態になって、ご両親が黙ってるわけないでしょう」
「いいえ? 大丈夫よ。長年演じた不肖の娘ですもの。置き手紙の一つや二つすれば、熨斗つけて放り出すんじゃないかしら。あの人たち」
切れ長の水色の瞳がきょとん、と瞬く。
(無自覚とか)
これはやばい。ちょっとキレそうになった。なんとしても思い止まってもらわないと……
そう決意した矢先、視界が真っ白に眩んだ。
「!?」
とっさに腕で目をかばう。
落ち着いて辺りを窺うと、天井からの光が一筋、こちらに当たっているようだった。
客席全体は暗いはずなので、きっと恐ろしく目立ってしまっている。――どうして?
辛うじて舞台に視線を向けると、座長を名乗った黒髪の青年が階段を降りつつ、にこにことこちらに手を差し出していた。
「では、次なる演目では、こちらの元気なお嬢さんがたに協力していただきましょう」