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29 幻を名乗る一座

 白い耐水布を張った天幕は、天井や木組みのそこかしこに吊られた光源に照らされている。

 真鍮のような土台に嵌め込まれたクリスタル(の、ようなもの)――は、ゼローナではあまり見ない。明らかにランタンや灯火の類いではない器具だった。


(やっぱり、文化がちょっと違うのよね……。技術も。ひょっとしたら魔法体系じたい、違うのかしら)

 ぼんやりと天井のきらきらした光を眺めていると突然、視界にさらりと金糸の髪が映った。


「ヨルナ殿、大丈夫? はい、これ」


「ト……、あ、ありがとうございます」


 何かを手渡されつつ、視線は自然に髪の先から(かんばせ)へ。吸い寄せられるように青い瞳へと向かう。

 王妃そっくりの繊細な容貌。弟君と同じ目の色。トール王子は、見れば見るほど前世まで想い続けた“あのひと”と同じ容姿だった。なのに。


 ――なぜ、惹かれないんだろう。

 なぜ、アーシュ様(あのひと)だとわかったんだろう……?


 まじまじと眺めてしまい、ハッとしたヨルナは、かなり遅れて自分の手に握らされたものが何かの容器だと気がついた。シンプルな筒状のグラスに、赤紫の冷たい液体が七分目まで注がれている。


「あの。これは?」


「入り口の売り場でベティが買って来るって言ったから。運ぶのを手伝ってたんだ。あの子、素早い上にすごく気が利くよね。ベリーのジュースだって。はい、ローズも」


「ありがと、兄様」


 つん、と澄ましたお礼でグラスを受け取ったロザリンドは、早速口を付けていた。それを「おやおや」と見守ってから、トールも席へと移動する。


 中央の舞台に向かって右からトール、ロザリンド、ヨルナ、ベティ。

 四名は、入り口から見れば二時方向にあたる最前列の端に陣取っていた。


 ヨルナも、ちびっと傾けたグラスからジュースを少量含む。美味しい。でも。

(どうせなら、アーシュ様やミュゼルや、アイリスも一緒のほうが良かったな)


 今か今かと始まりの気配を探し、舞台に視線を凝らすロザリンドを傍目(はため)に、ヨルナはため息を禁じ得なかった。




   *   *   *




「ご機嫌斜めですね? アーシュ」


「アイリス」


 今まさに、舞台を挟んで対角線状の最前列に位置するヨルナたちに目を奪われていたアストラッドは、思い出したように左側の令嬢を眺め見た。

 それから紳士的に表情を和らげ、笑みを浮かべる。


「そんなことは…………あるかな、すみません。兄が彼女に何かしないかと、ひやひやしてしまって」


「何か」


 む、と眉をひそめたアイリスもつられて眼下に視線を向けた。


 アストラッドたち三名は、すり鉢状の観客席の上から二段目を座席に選んだ。

 わりと空いているし、会場全体を見回せて良い席だと感じたので。


 ――ロザリンド同様、最前列に座りたいと最後まで主張した、ミュゼル以外の令嬢と王子は。




「お二人とも。見ものを間違えてましてよ……」


 鬱々と呟き、ミュゼルが持参のナッツのショコラを口に運んでいる。

 それから、す、と真ん中の王子と反対側の北公息女に、秘蔵の菓子袋を差し出した。仕草がいささか投げやりだったのは否めない。


「いかが? 甘いものを取られたほうが苛々は減りますわ」


「いや、結構。お気持ちだけで」

「甘味は苦手だと言ったでしょう? ミュゼル」


「まぁ……なんて、つれない人たち!」


 『心・底・心・外』と言いたげな口ぶりで、ミュゼルはぷりぷりと手を引っ込めてしまった。

 そうして、本人も何粒目か忘れてしまったショコラを口にする。


「一応、わたくしもお妃候補のはずなんですけど。本当にヨルナ一途ですのね、アーシュ様」


「すみません」


「謝らなくても結構よ。むしろ、わたくしはヨルナの味方ですもの。貴方を応援いたしますわ」


「どうも。……あ、やっと離れた」

「ほんとだ」


「……」



 ストロベリーブロンドの令嬢のふくれ面を他所(よそ)に、普通の少年に扮した王子と騎士装束の令嬢は淡々と向かいの席の実況を中継する。

 ほとほと馬鹿馬鹿しくなったミュゼルが再び袋に手を入れたとき。



「あ」



 パッ、と天幕を照らしていた光源という光源、そのすべてが暗闇に転じた。

 一瞬の静寂のあと、絶妙のタイミングで天井のクリスタルのみ、輝きが戻る。


 まるでスポットライトを浴びるように、古びた石造りの舞台には一人の人物が現れていた。

 観客がざわめく前に、彼はにこり、と微笑み芝居がかった礼をとる。


 つややかな(カラス)の濡れ羽色の髪。裾を引く重々しい衣装。古書にある、禁じられた魔術の使い手のような。

 ――わざと禍々しい演出を? と勘違いしそうになった客の一人は、そう言えばこの一座は(まご)うかたなき辺境の民なのだと思い出した。


 うち、たった一人の緋色の髪の観客は、こぼれそうなほど目を見開いている。


「うそ」

「ロー、……ズ?」


 訊き返すヨルナの声に、ロザリンドは視線を固定したまま、囁きで答えた。


「なんで、こんなところに来るの……? あいつ、裏ルートの攻略対象の一人よ」



 ――――ようこそ、ゼローナの紳士淑女の皆様! 我ら『ナイトメーアの幻』の、記念すべき()()()()()!!



 マイクもないのに、不思議とどの客の耳にも飛び込むちょうど良い音量で、座長らしき青年の言上は麗々しく響き渡った。





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