2 いざ、招かれた王城へ
カリスト公爵領は王都から馬車で三泊四日の距離に公都を構える。
そもそもの王家直轄領が小さく、国土が広すぎるせいもあるだろう。ゼローナでは、王家の傍流にあたる三つの公爵家がそれぞれ重要な土地に封じられていた。
すなわち北の国境地帯に面した武門の要、北公家。東の海にひらけた港と、数多ある商船や商人組合の総元締めを兼ねる東公家。南方の肥沃な大地を丸ごと治める南公家。
ヨルナが生まれたのは南公家。領地面積そのものがゼローナの半分弱を占める。気候もおだやかで過ごしやすい。
本来なら、まだ社交界デビューを迎えていないヨルナは半人前。公の場に出ることはない。公都カレスの屋敷でさまざまな令嬢教育を施され、課題をこなす時期でもあるのだが。
* * *
『お茶会……王城で? わざわざ、私に?』
まだ前世もろもろの記憶が戻る一ヶ月前のことだった。急に、王都から招待状が届いたのだ。
わざわざ、末娘の部屋まで訪れた公爵ゼオンは『そう』と、実に重々しく頷いた。
ゼオンは六十二歳。五十を過ぎてようやく授かった愛娘と並ぶと、祖父と孫に見えなくもない。
が、表情には生気が満ちており、備える空気は若々しい。うなじで束ねた白髪混じりの銀髪には艶があり、すっきりとした眉に通った鼻梁。刻まれた皺や優しげな風貌は雅やかですらある。
紺碧の瞳に静かな威厳の光を湛えた老領主。領民からも慕われているゼオンは右手に携えた手紙を、そぅっと無言で差し出した。
――目礼。
ヨルナもまた無言。両手で恭しく受けとり、かさり、とひらく。
この季節にふさわしく、春めいた若草色に染められた薄様の便箋には、落ち着いた黒のインクでこう記してあった。
“――……つきましては、第三王子アストラッド殿下の十五歳の生誕の祝いのため、国中の十二歳から十八歳の未婚の令嬢に茶会、或いは夜会にご参加いただきたく……”
『カリスト領からは、唯一婚約者のいない私を王都へ遣わすように、ですか』
『そうだ』
こくり、と再び首肯するゼオンの眉間が深い。あまり気が乗らないらしい。
ヨルナにはまだわからないが、王家と我が公爵家の間には何か、退っ引きならない溝でもあるのだろうか……と、本気で心配した。(※実際には良好な関係を築いており、なんの憂慮もない)
目を伏せて、ほんの少し思案する。
もちろん断ることなど出来るはずもない。国王に忠誠を誓う貴族子女ならば当然の務めでもある。
十二なら先月になったばかり。確かに条件には適合する。
ただ、ずいぶんとあからさまなご婚約者探しなのだな――と。
その時は、気にも止めなかった。
──────
カタカタン、コトン、と馬車が小刻みに揺れる。
萌え出でたばかりの若葉が陽光を弾いてまぶしい。等間隔に植えられた新緑の街路樹に目を細めつつ、ヨルナはぽつり、と呟いた。
「まさか……今度は、王子様なのかしら」
「? 何か仰いまして?」
「いいえ、何も」
向かい側に座った侍女サリィに聞き咎められ、ぶんぶん、と慌てて首を横に振る。
危ない危ない。普通、ひとは前世の記憶など持たないのだ。ましてやこの世界の主神と仰がれる存在と何度も話したことがあるなど、世間に知れてしまったら。
……神殿に納められて、一生聖女扱いされてしまうかもしれない。
(それは、やだな。柄じゃないよ。私はただ“あのかた”が、今生もお幸せにお過ごしならそれでいいのに)
「?」
ふんす、と鼻息荒く可愛らしい眉をひそめ、再び車窓の外に目を向ける少女に、サリィは訝しげに小首を傾げた。
ポックポック、繋がれた二頭の馬が長閑に石畳を鳴らして坂を登る。
そろそろ王城の門をくぐるはず。
ぐるり、と大きく弧を描く坂道から整然と並ぶ街並みを見下ろし、何やら決意を新たにしたらしい銀の髪の姫君は、幼い容貌を一変。きりっとさせた。