22 バラの行方(3)
改めて見回すと、トールの私室はすさまじく散らかっていた。なまじすっきりと整っていたサジェスの部屋と構造が同じため、ことさら差異が目立つ。
広い露台にはびっしりと鉢植えが並び、わさわさとした葉群が風にそよいでいる。
――草原のように。
壁際には中途半端な高さの書籍の塔が乱立し、庭いじりに相応しい道具の数々も見られた。およそ大国の第二王子の居室とはいいがたい。
しかも、何やら不思議なあだ名で呼ばれたヨルナは、王妃のお使いも忘れてぼうっとしてしまった。
「これは……、トール殿下のご趣味ですか?」
「趣味? うーん。一生かけて付き合う命題だと思ってる。君の髪色そっくりな、月の光みたいな花を小さいときに見つけてね。以来、ずっと研究してるんだ。知ってる? “月華草”には種がない。種を残さないんだ。どうやって芽吹くのか、あるいは他の花を依り代に咲くのか。長年、誰も見つけられなかった。だからこそ“幻の花”と呼ばれてる」
らんらんと瞳を輝かせたトールは、熱弁をふるいながらヨルナに歩み寄った。
足元に散らばる種をまったく見ようとせず、さりとて踏まずにいられるのは神業だな……と、ちょっとずれた部分で感心していると、おもむろに腕を伸ばされた。
(!)
視界に映る意外に大きな手に、ハッと目をみひらいた。
身を引く隙もなく、肩の前に垂れていた髪を一房、すくい取られてしまう。
トールはまじまじとそれを見つめ、恍惚のため息をついていた。
「あの」
「やっぱり。マリアンと同じ色だね。それに姿も。本当にあの子が人間になって僕の前に現れてくれたような…………ぅぐっ!!」
バシン!
「やめんか馬鹿者」
「サジェス殿下!」
ほぼほぼ初対面(※昨日の茶会でも話したはずだが、印象がすこぶる薄かった)――の相手からうっとりと話しかけられ、戸惑うしかなかったヨルナは、容赦なく弟君の後ろ頭を叩いたサジェスを救世主のように仰ぎ見た。
「すまないねヨルナ殿。『マリアン』というのは、トールが懸想している本物の月華草のことだ。君があんまり人間離れしたうつくしさだから、こいつ、はかない夢を見てしまって」
「……はい?」
――――つまり、トール王子はお気に入りの花と私の髪が同じ色だから、ご執心を示されたんだろうか。
合点のいったヨルナは、困ったように微笑んだ。
「トール殿下。申し訳ありませんが、私はマリアン……様ではありませんので。御手を離してくださいませ。お渡ししたいのはこちらです」
「? これは……バラ?」
「えぇ。王妃様よりお預かりしました。王子様がたにお配りするようにと」
「ふうん。……“ミニアップルローズ”。丈夫で、鑑賞・食用・民間療法にも使える母上の好きなバラだ。ひょっとして温室に呼ばれてたの? ヨルナ嬢」
「あ、はい」
さすが、と言うべきか。バラの品種については驚くほどすらすらと諳じられた。
トールは小ぶりなバラの花束を受け取り、くるっと手のなかでひっくり返すと、やがて考え事をするように瞳を細めた。
「兄上ももらったんだよね」
「あぁ。俺は飴細工にするが」
「じゃあ、僕は――」
目を閉じたトールは、膨らみかけた一つの花弁に口づけた。
すると、ふるふるっと花束全体が揺れ、あっけなく白いリボンはほどけて茎同士が絡み合う。
みるみるうちに輪となり、花冠となった王妃のバラはみずから飛んできて、すとん、とヨルナの頭に収まった。
大きさもぴったり。ヨルナは今度こそ狼狽してしまう。
「! こ、困ります、トール殿下。これでは」
「これでは? おかしいな、僕はもらったバラを可愛い女の子にあげてはいけないのかな。ねぇ兄上」
満足げに花冠の少女を眺めていたトールは、ちらりとサジェスに視線を投げかけた。
サジェスは、ふむ、と口元に指を当てて真面目に思案している。
「いいんじゃないか? 俺も、与える相手はいるし」
「サジェス殿下までっ」
おろおろとするヨルナに微笑みかけた焔色の第一王子は、ぱちん! と指を鳴らした。
あ、という呟きを残してヨルナの姿がかき消える。
同じく口を開けたまま呆気にとられていたトールは、悔しそうにサジェスを睨んだ。
「ひどいな。なぜ翔ばしたんです? もっと、話したかったのに」
サジェスはにやり、と弟に笑いかけてから、自身も退出すべく扉へと向かった。
「だめだめ。あの子はいま、れっきとした王妃の使いなんだから」
注)地球上に“アップルローズ”はありますが、こちらの“ミニアップルローズ”は全くの別物です。異世界品種ですので、ご了承ください……!