20 バラの行方(1)
「やぁ、ヨルナ殿。それは?」
「ごきげんよう、サジェス殿下。王妃様より申しつかりました。王子様がたにお渡しするようにと」
「ははーん……なるほど」
意味深に託された“王妃のバラ”。
当然だが、マーロン夫人の案内で最初に届けに上がった相手は、第一王子のサジェスだった。
私室を訪ねたところ、侍従に通された小客間ではサジェスが長椅子に身を横たえ、かなり寛いだ様子でいた。ひょっとしたら、うたた寝中だったのかもしれない。
クッションに預けて半身を起こしているものの、派手やかな緋色の髪は今はほどかれ、胸下まで緩く波打っている。
予定していた公務が中断したためだろうか。王妃同様、少しくだけた佇まい。男性らしい直線的な眉の下、紫の瞳は和らいでいる。
ちょいちょい、と指で招かれたヨルナは首を傾げつつ近寄った。「棘にお気をつけて」と、白いリボンで一纏めにしただけの花束を手渡す。
王子は、熟れた林檎色のバラに顔を寄せて香りを楽しんでいた。
「名前は忘れたけど、たしか食べられる種類だな……ジャムや菓子に練り込んでもいいが、飴細工にしても美味いはず。厨房で姿のいいバラ飴にしてもらうよ。ありがとう」
「いえ」
にこり、と微笑んだ顔が見たことがないほど柔らかかったので、反射でヨルナはどきっとした。
気のせいでなければ、大切な誰かを思い出している表情だった。
(バラ飴なら、きちんと梱包すれば花の形で長持ちする……。遠方のどなたかへのお土産とか、贈り物にも適してるわ)
脳裡をよぎったのは確信に似た閃き。
するん、と問いが口からこぼれてしまう。
「お好きなかたに、差し上げられるのですか?」
「うん。……おや、顔に出てたかな」
「何となく」
にや、と笑みを浮かべたサジェスは機敏な仕草で立ち上がり、すたすたと歩んで部屋の端に控えていた侍従に花束を渡した。
「料理長に」「御意」と短いやり取りを終えたあと、くるりと振り向く。部屋の中央に取り残されたヨルナを見つめると、朗らかに誘いかけた。
「おいで。“カリストの銀の姫”。これから弟たちにも配るのだろう? 物騒だから、俺が護衛役に付いていってあげよう」
* * *
――夫人はいいよ。お帰り。
と、随分とはっきりお目付け役を追い払った第一王子は、嬉々と小柄な公爵令嬢を連れて歩く。
むやみに手をとることはしない。あくまで道案内。
真紅の絨毯が敷かれた歩廊を脇に逸れ、恭しく礼をとっていた女官に軽い調子で声をかける。
「トールは? 部屋かな。出かけてないよね」
「はい」
「そうか。いなくても良かったのに」
「……は?」
「何でもない。こっちのことだ」
「…………殿下」
ヨルナは目の前の高い上背の後ろ頭を、じろりと睨んだ。どうしてだろう。ロザリンドほどではないが、この御仁もひどくイタズラな気配がする。
「ちゃんと弟君の元へお連れくださいね? 王妃様に叱られてしまいます」
「あぁ。もちろん協力するよヨルナ殿」
にこにこ、にこにこと可愛らしく微笑んでいるが一筋縄ではゆかなさそうな案配だった。仕方なくため息をついたヨルナは大人しくその背に従う。
「物騒って。『何が』なのです? お見かけしたところ、トール殿下もアス……トラッド殿下も、お優しそうでした」
「それを本気で言っちゃうところが可愛らしいね、銀の姫」
「サジェス様!」
ゆったりと歩いてはくれているが、どうしても足の長さからして違いすぎる。
気が急いてしまって小走りになりつつあるヨルナは、つい大声で王子を呼びつけてしまった。
幸い周囲に使用人のたぐいは居らず、慌てて口をつぐむ。
くすくす、とどちらかに大切な女性を隠しているらしいサジェスは、楽しそうに呟いた。
「トールも、アーシュも、なよやかなのは見た目だけだと思うけどねぇ」
※この一瞬あと。
(!! しまった。そういやこの子、ロザリンドにかなり手ひどくやられてたんだ……!)と思い出して、いつ謝ろうかこっそり真剣に悩む、寝起きのサジェス殿下でした。