1 生まれ変わり※
ね、神様。
めでたしめでたし――で結んだお話が、実は続いてたなんて。
……ちょっとした詐欺じゃありません?
幾度となく繰り返した、神様への訴え。
幾度となく繰り返した人生、あるいは猫生を振り返っての呟き。
ヨルナの意識は、ふわりと夢の底から覚醒の水面へと押し上げられた。
* * *
「姫――姫様。ヨルナ姫? お目覚めですか」
シャッ、と薄い紗の帳を開けられた。うん。ヨルナ。今生の私の名前よね、覚えてる。覚えてますよ……
それに、彼女の名も。
「うん。起きてるわ、サリィ。おやすみ」
ころん、と眩しくはない方向に寝返りを打つ。うんうん。いい夢見たわ。もう充分……
「……」
再度すやすやと安らかな眠りに就こうとした少女に、お付きの侍女であるサリィは容赦なかった。向けた笑顔を一切変えないまま、ぴき、と気配だけを凍らせる。
あれ、おかしいな背中が寒い。冷却魔法の使い手なんて居ましたっけ、このお家……
もぞ、と更に深く被ろうとした寝具は次の瞬間、盛大に剥ぎ取られた。
「『おやすみ』じゃありませんわ、ヨルナ様……! 起きて、お支度なさってくださいませ!! 今日は貴女様の命運が決まってしまう大事な日なんですのよ? お城の茶会に! 王子殿下の十五歳のお披露目の席に間に合わないではありませんかーーーっ!!!?」
「うっ……ん? お城? 王子? え、どうして…………」
ぱんぱん、と景気よく手を打ち鳴らされ、控えていたらしい数名の侍女が寝台付近になだれ込んでくる。
目を白黒させたヨルナは、問答無用にぬくぬくと貪っていた安眠(惰眠とは言わないで欲しい)から引きずり出された。
手水、湯浴み、髪や肌に念入りに香油をすりこまれ。鏡台の前に座らされたときは、思わず目をみはった。
「誰、これ……」
「呆れた。まだ寝ぼけておいでですか? ヨルナ・カリスト様。この広大な版図を誇る大王国ゼローナのいと高きお血筋、カリスト公爵家の姫君にあらせられるでしょう、貴女は!」
――ゼローナ。カリスト公爵家。
二つの言葉は、まだぼんやりしていた頭の霧を瞬く間に晴らした。
視線を正面に戻すと、よく磨かれた鏡に愛らしい少女が映っている。波打つ銀髪。極上のエメラルドの瞳。窓から射す朝の光は彼女を夢のように輝かせている。
およそ神々の領域、美神の御技と謳われるほどの造作は、申し訳ないが自分には勿体無い。
肌も透き通るような白さ。かと言って不健康なところはどこにもなく、紅をはたかなくとも薔薇色の頬や花びらのような唇は、見とれんばかり。
――齢十二歳。
幼いながらカリスト家の銀の姫とも、翠玉の姫とも呼ばれる自分。ヨルナは雷に打たれたように今生のことと幾つかの前世、および間を挟んで交わされた世話好きな『神様』との会話を思い出した。
「……ヨルナ姫様? いかがなさいました。まさか、ご気分でも……?」
さすがに固まり過ぎたか、サリィが心配そうに眉をひそめる。
紅茶で溶き染めたような赤い髪。ハシバミ色のややきつい印象の瞳。元気な印象のそばかす。総じてお日様がよく似合う娘。
乳姉妹のサリィは、最初の頃の自分にそっくりだった。
なんとなく愛着が沸いて。
ヨルナは鏡越しに、にっこりとサリィにほほえみかけた。
「いいえ、大丈夫。心配をかけましたねサリィ。平気よ、いつもごめんなさい。寝ぼけちゃって」
「ッ!! ひめ、さまっ…………! そそそ、そういうお顔は、お城で他のお嬢様がたやお目当ての王子様がたに向けてくださいっ!! わ、私どもには眩しすぎますからっ……!!!」
「?」
ぼんっ、と発火したような紅顔。サリィはあわあわと手にしたブラシを取り落としそうになった。
あらー、と、頬に手を当てて見守る周囲からの視線がにこにこと暖かい。日だまり色の空間を作り上げている。天国か、ここは。
(神様……いくらなんでも、大サービスし過ぎです)
多分、届いてはいるだろう。
ヨルナは束の間目を閉じ、両手を胸の前で組むと祈りを捧げるように心中で訴えた。
ほぅぅ……と、感嘆のため息が侍女らの間に湧き起こり、広がりさざめく。
降り注ぐ光のなか、誰から強要されることもなく主神に祈りを捧げる少女は奇跡のようなうつくしさと儚さで。
たまたま目にできた者に、幸福感をもたらすには充分だった。
同時に、もれなく全員の胸に灯る使命感。
――この方には、ぜひ幸せになっていただかねばならない、と。