猫になった女の子
――もしも、人生でいちどだけ猫になれるなら、どうする? と、お茶目な神さまは言いました。
その子は、猫がだいすきな子でした。うまれるまえに、そう約束した神さまは、その子の送った「前の人生」をつぶさに眺めていたのです。
がんばり屋さんで、やさしい子でした。
勇者になってみたい、とか。
魔法を使えるようになりたい、とか。
無双スキルを二つほしい、とか。
いろんなお願いごとをする他の子たちとは違い、その子は何も望まなかったのです。
それなら、と軽い気持ちで冗談まじりに持ちかけられた「人生でただいちどだけ、猫になれる能力」でした。
その子は、女の子でした。
「ありがとう神さま! わたし、きっとその力をたいせつにする。ここぞっていうときに使うわ!」
にっこりと笑った女の子は、元気よく新たな世界で生まれました。
生まれてからも、女の子はまわりのひとや生きものにやさしい子でした。
通りすがりに猫をみつけては、しゃがみこんでじっと見つめたり。近所の男の子が乱暴に猫を抱きあげようとしたときなどは、「だめ!」と、きぜんと注意しました。
「なにかんがえてるの。知らないヒトに急になでられたり、持ちあげられて猫さんはよろこぶと思う? え? うちで飼おうと思った? なによ、それ! うらやま……こほん。
じゃあもっと、だいじにしてよね? 相手のことをかんがえずに、ただ可愛がるのって『猫可愛がり』っていうのよ?」
「へ、へぇ……」
男の子は、ちょっとたじろぎながらも、すなおにおどろきました。
ちなみに『猫可愛がり』は、女の子が前世で学んだことばです。女の子は、きちんと前世のことも、神さまとの約束も覚えていました。
だから、いつも「使いどき」を考えていました。いちどだけ、なのです。それは使ったらそれきり、ということ。人間に戻ることはできません。周りのひとたちも、女の子のことは忘れてしまいます。
女の子は、とても慎重な少女に育ちました。
あるとき、恋をしました。
不覚にもあいては猫ではありません。人間の青年です。かれは、その地方をおさめる領主さまのあととり息子でした。
ふわふわの金の髪。すばらしい青いひとみ。男のひとなのに、とてもきれいです。馬にのり、おつきの方といっしょに村を見て回るすがたは、王子さまのようでした。
もちろん、村の他の少女たちもだまってはいません。口々にほめそやし、うっとりと青年を眺めては恋心をつのらせるものが、たくさんいました。「見初めてもらえないかしら」と思いつめたあげく、正面から玉砕する勇者もいたほどです。
冒険をこころみるひとは、だれでも勇者になれるのだと少女は学びました。
心をわしづかみにする恋は、そのひとの言葉に魔法を宿すのだと学びました。
天はたくさんの美点を青年に与えています。スキルなんて、いらないように見えました。
そんな青年にも、思いどおりにならないことはあるのだと、うわさに聞きました。
青年には、すきなひとがいるらしいのです。
あいてはお姫さまでした。
夏になればすごしやすいと評判の、涼しい風のわたるこの村がお気に入りということで、二年前からたびたびおとずれる、きれいな人でした。
(とてもお似合いなのに)
少女は、じぶんのことのように悲しみました。そうしてふと、思い出しました。じぶんが行える、ただ一つの奇跡を。
少女は迷いませんでした。
ある夜、領主の息子はお姫さまのとつぜんの婚約を知りました。おあいてはとなりの国の、すぐれた王子です。
落ちこむすがたを、だれにも見とがめられたくなくて、こっそり村はずれの泉までくると、猫がいました。
月明かりのきれいな夜でした。泉の水面も、ゆらゆらとかがやいています。
銀色がかったつややかな白の毛なみは、まるでお姫さまの長い、長い髪のようです。
つぶらなヒスイ色のひとみも同じでした。
猫は、にゃーあ、と可愛らしい声で一鳴きすると、すりすりと青年の足にすり寄りました。
まるで、抱っこして? と言うように小首をかしげています。
「おまえは、来てくれるんだね。かわいい子」
ひょい、と大きな手が猫をだいじそうに抱きかかえました。
腕のなかに、丸まるように柔らかい体をおさめると、猫はごろごろごろ……と満足そうにのどを鳴らしています。とても人なつこい猫でした。
猫は、ご領主の館につれ帰られました。
いらい、青年のそばにはうつくしい白猫がいるようになりました。
かれが、たのしいときも。落ちこんだときも。眠るときも。やんちゃをせずに、そっと寄りそうすがたはしんぴてきで、都から来た絵師が思わず筆をとるほどでした。
――人生で、ただいちどだけ。
少女は、猫としてえらびとった時間をそれはそれはだいじに。だいすきな青年をなぐさめるために過ごしたそうです。
〈つづく〉