次へ
1/77

猫になった女の子

 ――もしも、人生でいちどだけ猫になれるなら、どうする? と、お茶目な神さまは言いました。



 その子は、猫がだいすきな子でした。うまれるまえに、そう約束した神さまは、その子の送った「前の人生」をつぶさに眺めていたのです。

 がんばり屋さんで、やさしい子でした。

 勇者になってみたい、とか。

 魔法を使えるようになりたい、とか。

 無双スキルを二つほしい、とか。

 いろんなお願いごとをする他の子たちとは違い、その子は何も望まなかったのです。


 それなら、と軽い気持ちで冗談まじりに持ちかけられた「人生でただいちどだけ、猫になれる能力」でした。


 その子は、女の子でした。


「ありがとう神さま! わたし、きっとその力をたいせつにする。ここぞっていうときに使うわ!」


 にっこりと笑った女の子は、元気よく新たな世界で生まれました。




 生まれてからも、女の子はまわりのひとや生きものにやさしい子でした。

 通りすがりに猫をみつけては、しゃがみこんでじっと見つめたり。近所の男の子が乱暴に猫を抱きあげようとしたときなどは、「だめ!」と、きぜんと注意しました。


「なにかんがえてるの。知らないヒトに急になでられたり、持ちあげられて猫さんはよろこぶと思う? え? うちで飼おうと思った? なによ、それ! うらやま……こほん。

 じゃあもっと、だいじにしてよね? 相手のことをかんがえずに、ただ可愛がるのって『猫可愛がり』っていうのよ?」


「へ、へぇ……」


 男の子は、ちょっとたじろぎながらも、すなおにおどろきました。

 ちなみに『猫可愛がり』は、女の子が前世で学んだことばです。女の子は、きちんと前世のことも、神さまとの約束も覚えていました。


 だから、いつも「使いどき」を考えていました。いちどだけ、なのです。それは使ったらそれきり、ということ。人間に戻ることはできません。周りのひとたちも、女の子のことは忘れてしまいます。

 女の子は、とても慎重な少女に育ちました。




 あるとき、恋をしました。

 不覚にもあいては猫ではありません。人間の青年です。かれは、その地方をおさめる領主さまのあととり息子でした。


 ふわふわの金の髪。すばらしい青いひとみ。男のひとなのに、とてもきれいです。馬にのり、おつきの方といっしょに村を見て回るすがたは、王子さまのようでした。


 もちろん、村の他の少女たちもだまってはいません。口々にほめそやし、うっとりと青年を眺めては恋心をつのらせるものが、たくさんいました。「見初めてもらえないかしら」と思いつめたあげく、正面から玉砕する勇者もいたほどです。


 冒険をこころみるひとは、だれでも勇者になれるのだと少女は学びました。

 心をわしづかみにする恋は、そのひとの言葉に魔法を宿すのだと学びました。

 天はたくさんの美点を青年に与えています。スキルなんて、いらないように見えました。



 そんな青年にも、思いどおりにならないことはあるのだと、うわさに聞きました。

 青年には、すきなひとがいるらしいのです。

 あいてはお姫さまでした。

 夏になればすごしやすいと評判の、涼しい風のわたるこの村がお気に入りということで、二年前からたびたびおとずれる、きれいな人でした。


(とてもお似合いなのに)


 少女は、じぶんのことのように悲しみました。そうしてふと、思い出しました。じぶんが行える、ただ一つの奇跡を。


 少女は迷いませんでした。





 ある夜、領主の息子はお姫さまのとつぜんの婚約を知りました。おあいてはとなりの国の、すぐれた王子です。

 落ちこむすがたを、だれにも見とがめられたくなくて、こっそり村はずれの泉までくると、猫がいました。

 月明かりのきれいな夜でした。泉の水面も、ゆらゆらとかがやいています。


 銀色がかったつややかな白の毛なみは、まるでお姫さまの長い、長い髪のようです。

 つぶらなヒスイ色のひとみも同じでした。

 猫は、にゃーあ、と可愛らしい声で一鳴きすると、すりすりと青年の足にすり寄りました。

 まるで、抱っこして? と言うように小首をかしげています。


「おまえは、来てくれるんだね。かわいい子」


 ひょい、と大きな手が猫をだいじそうに抱きかかえました。

 腕のなかに、丸まるように柔らかい体をおさめると、猫はごろごろごろ……と満足そうにのどを鳴らしています。とても人なつこい猫でした。


 猫は、ご領主の館につれ帰られました。

 いらい、青年のそばにはうつくしい白猫がいるようになりました。


 かれが、たのしいときも。落ちこんだときも。眠るときも。やんちゃをせずに、そっと寄りそうすがたはしんぴてきで、都から来た絵師が思わず筆をとるほどでした。



 ――人生で、ただいちどだけ。


 少女は、猫としてえらびとった時間をそれはそれはだいじに。だいすきな青年をなぐさめるために過ごしたそうです。




 〈つづく〉


次へ目次