《閑話》 レオ、パジャマパーティーに参加する(1)
時系列としては、第1部(ハーラルトの禍)の少し後くらいです。
「ビアンカお姉様、これは危機ですわ」
思えばすべては、その一言から始まったのだ。
放課後、美しい調度品で彩られたサロン。
暖炉で温められた空気とは裏腹に、ぴんと緊張感の張りつめたその場所で、とある少女が低い声で呟いた。
緩やかに波打つ金茶色の髪と、大きな翡翠色の瞳。
少々低めの鼻がご愛嬌だが、全体的にあどけない雰囲気を持つ彼女は、タウバート男爵家の令嬢・エルゼといい、ビアンカが主催するこの「紅薔薇会」の新入生中核メンバーであった。
「このままでは、わたくしたちのレオノーラが、どこの馬の骨とも知れぬ、ガッツ溢れる庶民学生に取られてしまいます……!」
そしてまた彼女は、クラスメイトであるレオノーラ・フォン・ハーケンベルグに強く傾倒する、「聖女教」信者の一人でもあった。
彼女はこの日、ちょうど話題を途切れさせたビアンカたちの隙をついて、「クラスの癒し・レオノーラと、彼女を取り巻く恐るべき現状について」という話題を持ち出してみせたのである。
十分ほどかけて語られた、エルゼの話を要約すると、こうだった。
いわく、レオノーラは実にすばらしい少女であるが、惜しむらくは女性らしさというか、色気、色恋に対する関心がなさすぎる。
ドレスはいつも薄墨色。恋バナには無関心。下心満載の笑みで男子生徒が接近してきても、なんら警戒なくついていこうとするので、いつ少女が不埒な目に遭ってしまわないかと、クラスメイトどころか、教師でさえ気が気ではない。
そんな時、クラスの女子生徒が言い出した。
これは少女の特性もさることながら、もしかしたら従者が男性だからいけないのではないか、と。
たしかに、そういった感情の機微は、同輩や先輩の女性から教育されてゆくものだ。
しかしながら、少女には母もいないし、身近な侍女もいない。
そこで彼女たちは考えた。
ならば、自分が少女にそれを教えてあげるというのはどうだろう。
授業中だけでなく、侍女として一日をともにすることで、少女に恋の駆け引きや、女心というものを教えてゆけたなら――。
学院では、市民出の学生であれば、「社会勉強」の名目で上級貴族の侍女となることが許されている。
もとは、市民生徒を雑用係として扱うために、傲慢な貴族生徒が作った悪法と名高い条例なのだが、彼女たちはむしろそれを利用して、大好きな少女・レオノーラに接近しようと目論んでいる、と、そういうわけだった。
エルゼはその大きな瞳をぐりんと周囲に光らせ、テーブルを囲む紅薔薇会のメンバーたちに力強く訴えかけた。
「たしかにレオノーラに、少しばかり女性らしさが欠けているのは事実ですわ。ですが、それを以って庶民学生の侍女付を許すなど、あってよいことでしょうか!? レオノーラは繊細な心の持ち主。それを、オラオラ系庶民オーラをまき散らした、強引な女性陣にまとわりつかれては、きっとストレスで倒れてしまいます。そんな事態を許してはなりませんわ!」
紅薔薇会はもともと、高貴なるビアンカのもと、お茶を片手に他愛もない世間話に興じる、といった趣旨の集いであったが、今のこの場は、まるで革命前の集会場のようですらあった。
そして、最高権力者であるビアンカを差し置いて、新入生の少女についての話題で持ちきりであるという異常事態に、エルゼはもちろん、並み居る令嬢たちもまた気付いていなかった。
「庶民生徒たちが虐げられていたのは、もはや遠い昔……。今や、彼女たちは、その『庶民出』という気安さを武器にレオノーラにべたべたと抱きついたり、フットワークの軽さを武器に、流行のお菓子を買い集めては懐柔に走る始末ですわ」
「まあ……」
「抱きつくですって?」
令嬢たちが、ざわつきながら顔をしかめる。
マナーに言動を、身分に行動範囲を制限されている彼女たちにとって、自由気ままに少女を愛でる市民生徒たちの行動は、目に余る――というか、実に羨ましいものであった。
そう。庇護欲をくすぐる容貌と、いたいけで無欲な心を併せ持つレオノーラ・フォン・ハーケンベルグは、もちろん令嬢たちにとっても、「かまってあげたい妹分ナンバーワン」に燦然と輝く存在だったのである。
世論がこちらに向かってきた気配を悟って、エルゼは一層弁舌に熱を込めた。
「このまま、彼女たちの横暴を許してはなりません。レオノーラは、わたくしたちが導き、守るのです! ですから、庶民生徒を侍女にできるなどという悪法はただちに改正して、例えば、男爵令嬢くらいまでは侍女になれる、というように――」
「エルゼ」
後半いよいよ欲にまみれた本音をにじませてきたエルゼを、凛とした声が遮った。
「落ち着きなさい」
ビアンカである。
彼女は、口をつけていたティーカップを静かに下すと、この日はゆったりと肩に流していた豪奢な金髪を軽くかきやり、おもむろに告げた。
「あなたの主張はよくわかったわ。けれど、あなたの意見には、下級学年長として反論しなくてはならない点が三つある」
最近のビアンカ――特にレオノーラと出会ってからの彼女は、上に立つ者としての自覚がそうさせるのか、落ち着いた口調で話すことが多くなった。
彼女はその白魚のような指を一つ立てると、「第一に」と、充分に周囲の視線を引きつけながら口を開いた。
「悪法を真の意味で改正するならば、侍女になれる対象を広げるのではなく、その傲慢で時代錯誤な条例そのものを廃止すべきだわ。この学院内では、皇女であろうと農夫の娘であろうと、等しく学問を究めんとする徒の一人にすぎないのだから」
等しく学問を究めんとする徒。
それは、以前からビアンカが口にしていたことではあったが、実際に下町出身の少女を友に得たためか、今の彼女の言葉には、昔とは比べ物にならない重みがあった。
「第二に」
ビアンカがもう一本指を立てて、まっすぐにエルゼを見つめる。
「『庶民出の生徒』などと彼女たちを呼ぶのはおやめなさい。そういった無意識下の差別意識が、ハーラルトの禍のような悲劇を招いてよ」
実際問題、制度や設備面で、市民生徒と貴族生徒が区別される場面はまだまだ多い。
それでも、彼らを「庶民」と呼んで撥ね退けるのと、「市民」と呼んで区別するのでは、その意識は大いに異なる、とビアンカは続けた。
「きれいごとかもしれないし、表層的かもしれないけれど。すぐにできることから、改めるべきではなくて?」
「はい、ビアンカお姉様……」
静かに諭されて、エルゼがしゅんと肩を落とす。
皇女としての威厳を日々増しつつあるビアンカの発言は、彼女の胸に深く響いた。
とそこに、
「そして、三点目はなんですの、ビアンカ様?」
感銘を受けながら頷いていた取り巻きの一人が、目を輝かせて続きを促す。
すると高貴なる帝国第一皇女殿下は、「それはね」と、まるで託宣を告げるかのように厳かに口を開いた。
「レオノーラの女心を強化せねばならない、というのは、わたくしとて前々から思っていたことですわ」
「さすがビアンカお姉様」
「それには、適任の者があたるべきだということもね」
「そうですよね!」
反論、と言っていた割に、全面的に主張に同意してもらえて、エルゼがぱっと顔を輝かせる。
しかし次の瞬間、
「だから、それは、わたくしがやるわ」
こともなげにそう言ってのけたビアンカに、彼女は盛大に固まる羽目になった。
「――……え?」
「レオノーラの女心強化計画は、わたくしが責任を持って対処するから、エルゼ。あなた、この件から手を引いてもらって結構よ」
「ええええええっ!?」
市民生徒の横暴を仲裁してもらえるはずが、とんだ鳶に油揚げだ。
「うふふ、だってほら、わたくし下級学年長だし、そう遠くない未来には彼女の義理の姉妹にだってなるのかもしれないもの。これ以上の適任がいて?」
「そ、それはたしかに、レオノーラがアルベルト様の正妃候補と目されているのは事実ですが、でも、それとこれとは……!」
自分が大好きな少女の侍女に収まるべく根回ししたつもりで、すっかり余計な蛇をたたき起こしてしまったことをエルゼは悟った。
市民生徒くらいなら、いざとなれば買収して押しかけ侍女レースに勝利を収めることも可能だったかもしれないが、皇女相手ではどうやったって勝てそうにない。
「侍女の話は、なし。レオノーラの面倒は、わたくしが見る。このすっきり明快な結論に、異存はあって?」
「異存、と言いますか……」
「あって?」
秘技・皇女の
「――……あ、りません……」
「そう。よかったわ」
そう言って、ビアンカはにっこりと残りの紅茶を啜る。
しかしそのカップを戻すや、彼女はするりと席から立ち上がった。
「わたくし、少し用事を思い出してしまったの。申し訳ないけれど、本日はこれにて失礼するわね」
そうして、いそいそとその場を去っていく。
その美しいアイスブルーの瞳が、まるで悪戯を思いついた子どものようにキラキラと輝いているのを見て、その場にいた誰もが悟った。
――さては、その足でレオノーラ女心強化計画に向かう気だな、と。
「……ねえ、エルゼ」
やがて、一通りのやり取りを見守っていた取り巻きの一人が、ぽつりと問うた。
「あなた、『オラオラ系オーラをまき散らした強引な女性が、繊細なレオノーラに接近する』のを防ぐために、物申したわけよね?」
「――…………」
彼女が言わんとすることを察して、エルゼは言葉を詰まらせた。
なんてことだ、結果的に、学院で最もオラオラ系な女学生が、レオノーラにまとわりつく事態を作り上げてしまった。
「下心を混ぜるから、そうなるのよ。自省なさい」
「…………はぃ」
エルゼは涙目になりながら、小さく頷いた。
これからおそらく、前期比200パーセントくらいでビアンカにまとわりつかれるのだろうレオノーラに、「ごめんね」と心の中で謝りながら。
***
「パジャマパーティー?」
放課後になるたびに、抱き着かれビアンカの部屋に連行されること幾数日。
いったいなぜなのか、これまでの三倍くらいの勢いでまとわりついてきているビアンカが、おもむろに切り出してきたとき、レオはつい鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしてしまった。
「パジャマが、ドレスコードの、パーティーですか?」
「そうよ。もちろん、パーティーというのは大げさな表現で、実際にはお泊り会といったところだけれど。夜の女子会と言ってもよいかしら。お化粧も落として、ドレスも脱いで、門限もマナーも気にせず、好きなお菓子を好きに摘まみながら、同じベッドで一晩中おしゃべりするのよ。わくわくするでしょう?」
ビアンカは浮き浮きと提案してくるが、レオの率直な感想はといえば、
(うえええ……?)
この一言に尽きた。
正直、孤児院で年少組たちに行っている読み聞かせを、十二時間に引き伸ばせと言われた感覚と変わらなかったからである。
賭けてもよい、子どもたちがしょっちゅう「ねえ、レオ兄ちゃんもっとお話してー」と喉を枯らしたレオ相手に過酷な注文を付けてくるように、ビアンカもまた「ねえ、レオノーラ。あなたももっと話してちょうだい」とノンストップトークを求めてくるのだろう。それはいったいどんな耐久レースであろうか。
レオは今でこそ少女のなりをしているが、中身は少年である。そしてレオは少年である以前に、一人の守銭奴であった。
ビアンカのことは嫌いでないとはいえ、一晩中恋バナやら女子トークに付き合わされるくらいなら、内職か、金貨磨きか、へそくりの健康観察でもしたいところなのである。
「あの、私、夜はちょっと……」
そんなわけで、年頃の男子生徒だったらむしろ金を払ってでも取りに行こうとするであろう、金髪美少女との同衾の機会を、あっさりフイにしようとしたのだったが、
「いいえ、だめよ、レオノーラ」
最後まで言う前に、両肩をがっしり掴んできたビアンカによって止められてしまった。
「わたくしたち、こうして毎日のように話しているけれど、それでもせいぜい一日に数時間という程度でしょう? わたくしたちがもっともっと打ち解けるには、それなりの環境と時間が必要だと思うの」
「はあ……」
少女の表情は胡乱げだったが、ビアンカは必死だった。
エルゼからの指摘を受け、レオノーラ女心強化計画に乗り出して、はや数日。
年の近い女性である自分と濃密な時間を過ごせば、女らしさや心の機微のようなものも自然と
これまでは、とかく少女の無垢な外見や言動ばかりに目が行ってしまっていたが、改めて注意を払ってみると、どうも本当に、彼女には艶や色気、そして自覚のようなものが欠けている。
周囲が「溝に財布を落とした」と騒いでいるのに気づくと、ドレスの裾もパニエもまくり上げて、側溝にその白い足を突っ込んで物探しをしようとするし――その時の周囲の茹でダコのような顔といったら!――、明らかに下卑た笑みを浮かべた男子生徒からお菓子の差し入れをもらっても、にこにこ嬉しそうに、毒見もせず口にしようとする――慌てて取り上げて、変な成分が入っていないかを確認させたが――。
とにかく、あれだけの美貌を持ちながら、それが周囲にどう映っているかとか、どれだけ男たちに付け狙われているかとか、そういった自覚や警戒心がまるっと欠如しているのである。
悪虐の輩に監禁されていたという過去を持ちながら、いったいどうしてそんなにも警戒心が薄いのかと問い質したくもなるが――。
(いいえ、逆だわ。数十年前に絶滅してしまった翡翠鳥は、とにかく人懐っこく、狩人の前にひょこひょこ姿を現すものだから、その美しい羽を狙われてあっという間に乱獲されてしまったのだというもの。つまり、そういうことなのだわ)
ビアンカはそう確信していた。
レオノーラ・フォン・ハーケンベルグは、絶滅した美しい鳥と同じ。
誰をも引きつける美しい姿を持ちながら、世界の優しさを信じ込み、その結果無残にも蹂躙されてしまった、善良で哀れな生き物なのだ。監禁されていたのに警戒心が乏しいのではない、人を疑うことをしないから監禁されてしまったのである。
だがしかし、いくら少女が人の善性を強く信じているのだとはいえ、現実の人間はそうではないということを、誰かが教えてやらねばならないだろう。
彼女は華奢で美しい少女なのであり、幼いながらも時に充分男たちの欲望を掻き立ててしまう存在なのだということを、しっかり自覚させねばならないと、ビアンカはそう思ったのである。
(まったく……最初はレオノーラとの時間を増やす口実ができた、だなんて呑気に思っていたけれど、事態はずっと深刻だわ。ここでしっかり、レオノーラに女性としての自覚と警戒心を植え込まないと、この子の純潔と生命すら危ういのだから……!)
わがままなところもあるが、ビアンカはこれで責任感も強い。
すっかり当初の下心も忘れ、下級学年長として、また未来の義姉妹として、きっとこの妹分を守ってみせると、熱い使命感に燃えていた。
とはいえ、白昼堂々その手の話をするのは、さすがに難しい。
カイのような男性の従者が同じ空間にいては、なおさら話しづらいだろう。
だからこそビアンカは、親密な話ができる夜に、女性だけで部屋に籠る会を提案したというわけだった。
(我ながら、名案!)
内心で自分に拍手を送りつつ、戸惑っている少女に押しの一手を掛けていく。
「ねえ、どうかはいと言ってちょうだい。わたくし、どうしてもどうしても、レオノーラとパジャマパーティー、したいのよ」
「はあ……あの、でも、なにも夜まで……」
「どうして? 夜だからこそできることもたくさんあるわ?」
ホットワインにブランデーを垂らしたり、夕方にしか開店しない菓子店の商品を取り寄せたり。
ビアンカは思いつくままに言葉を並べ、少女を懐柔にかかった。
「それに、そうだわ、この前入手したばかりの下着だって、こっそり見せてあげるわ!」
「え、あの」
「ふふ、内緒よ。今流行のポルダ工房の高級下着セット。銀貨二枚もするし、学生には贅沢が過ぎると思ったけれど、こっそり買ってしまったの」
「え……?」
意外なことだが、最もヒキが弱いだろうと思っていた下着の話題にこそ、少女は興味をそそられたようだ。
なにごとかを小さくつぶやいて、呆然とこちらを見上げてくる。
(やっぱりカイは男の子だから、その手の手配に不備があったということかしら。いえ、そうに違いないわ。きっとレオノーラも、内心ではかわいい下着に興味があったのに、カイ相手には頼めなくて、もどかしい思いをしていたのよ)
手ごたえがあったことに気をよくして、ビアンカはさらに攻勢を掛けた。
「最新作でね、他のどの工房も真似できない技術がぎっしり詰め込まれているのよ。見てみるだけでも価値はあると思うわ。もしあなたが気に入ったのなら、お揃いのものを買ってあげてもよくてよ?」
「――行きます」
しばし逡巡していたようだったが、やがて少女はきっぱりと答えた。
「そう、よかった!」
ビアンカは満面の笑みを浮かべる。
ほら、やはりレオノーラとて女の子だ。
女同士、一緒に盛り上がれるポイントは絶対に見つかる。
ビアンカは脳内に「パーティーでは下着の話をメインにすること」と書き込みながら、にこやかにパジャマパーティーの段取りを付けていった。
リクエストいただいたお色気回。
…のつもりが惨敗し、色気のかけらも滲まないストーリーになりそうです。
骨を拾うつもりで、6話連日投稿にお付き合いいただけますと幸いです。