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30.レオ、陣を得る(中)

「ここで何をしているのです」


 同時に響いたのは、凛とした――アルベルト皇子の声だ。

 もはや条件反射で、レオはびくりと肩を揺らした。


(な、ななな、なんで皇子がここに……!)


 皇子はとかく、自分に金儲けをさせないつもりのようである。

 さては、こうして秘密裏に陣ビジネスで抜け駆けしようとしていることに勘づいて、追いかけてきたのだろうか。


(なんつー執念! てか、なんつー感知能力! こいつに死角はねえのかよ!)


 レオがびくびくしていると、その様子に表情を険しくした皇子が、つかつかと歩み寄って来た。

 なぜか後ろにビアンカやナターリアもいるが、彼女達も一様に眼光鋭くこちらを睨みつけているので、レオは一層慄く。

 自分は、彼女達からも恨みを買うようなことをしただろうか。


 もちろん三人は、野獣のような体格を持ったグスタフが、少女の片腕を捻り上げ、圧し掛かろうとしているようにしか見えなかったことで怒りを募らせているのだが、それに気付くレオではなかった。


「――これは一体どういうことです? 説明があるなら、聞かせてもらいましょうか」

「あ、あの、これは」


 てめえ何ひとりで金儲けしようと抜け駆けしてんだコラ、言い訳あるなら話してみろや、とその主張を聞きとったレオは、咄嗟にあわあわと口を開いたが、


「レオノーラ。君は少し黙っていてくれないか」


 皇子にぴしゃりと言われて、ひっと口を噤んだ。


(話せっつったり、話すなっつったり、どっちだよ!)


 もうやだ。この皇子怖い。

 すっかりその身に擦り込まれた恐怖心にびくびくしていると、腕を取っていたグスタフが、


「……は」


 と呟き、突き放すようにその手を放した。

 お陰でレオは一瞬その場にこけそうになり、慌てて踏ん張る。


 無様に転ばなくてよかったー、と冷や汗を拭っている間に、グスタフはちらりとこちらに視線を寄越し、皮肉気な笑みを浮かべていた。


「――なるほど? それが狙いだったか」

「え?」


 なんのことだかさっぱりわからないレオは、間抜けな声を漏らす。

 皇子は剣呑に目を細め、「狙い、とは?」と尋ねたが、


「おまえもすっかりこの茶番劇の役者だぜ? アルベルト皇子殿下。ああ、それから皇女殿下に、ナターリア嬢もな」


 グスタフはぴらりと、先程レオが握らせた魔術布を掲げてそれに答えた。

 彼は気色ばむ三人を、冷めた目で眺めていた。


 丹念に作ったことをアピールするかのような刺繍。弱者の立場を強調するかのような構図。

 そこにタイミング良く踏みこんできた、三人の権力ある学生たち。

 しかも、うち一人は、少女のことを大切に思っていると思しき帝国第一皇子だ。


 グスタフが少女を見直して力を貸すというならそれでいい。

 逆に突き放したとしても、その様子を皇子に見せつけることで、見事「憐れな聖女様」の出来上がりというわけだ。


「湖の貴婦人の居所を探ったり、水を召喚するための精霊紋を縫い取ったり……。周囲の評価なんか関係なく奔走しているのかと思いきや、なんてことはない、『努力して回っている健気な姿』を、こうして演出するためだったとはな? 大した役者だ」

「一体、何を――」


 アルベルト達が口を開くよりも早く、グスタフは少女に向き直った。

 そうして、戸惑いながらこちらを見上げる彼女に――そう、その表情だって見事なものだ――、きっぱりと告げる。


「よかったなあ、無欲の聖女さんよ? お望み通り、白馬の皇子が駆けつけてきてくれたぜ? だが――おまえが湖の貴婦人に出会うことはないだろう」

「え……?」


 呆然と呟く少女に、グスタフは口の端を引き上げて答えた。


「貴婦人の湖は、コルヴィッツの森の中。恐らく、そのことまで知っているから、このタイミングで俺に聞きに来たんだろう? だが、俺とて三つある湖の内どれかまでは知らないし、何より、精霊は、傲慢な魂の持主の前には、けして姿を現さない」

「…………!」


 少女が大きく目を見開いた。


「なんということを仰るの!」


 前後の経緯はわからぬものの、それでも可愛がっている少女を貶められていると悟ったビアンカが、きっとその目を吊り上げる。

 そのあまりの気勢の強さに、ナターリアがそっと彼女の腕を押さえた。


「少し落ち着かれて」

「だって、ナターリアお姉様!」


 一方で、渦中にいるはずのレオはといえば、まん丸に目を見開いて、


(えええええ!? 水のカー様、コルヴィッツにいんの!?)


 なんともまあ運よく、校外学習の目的地に湖の貴婦人がいるらしいことを知り、痺れていた。


(まじ!? まじで!? じゃあ、明日ちゃんと校外学習行けば、水のカー様に会える!?)


 タイミングが素晴らしすぎる。もし明日の内に、湖の貴婦人と水源契約を取り付けられたなら、精霊祭までに陣ビジネスを軌道に乗せ、その上で体を戻すというレオの計画が、一気に現実味を帯びてくるではないか。


 これはもはや運命だ。

 カー様が水のカー様を引きあわせてくれているに違いない。

 レオは興奮に目を潤ませた。


 だがそこではっと顔を上げる。


(やべえ、それじゃさっきあげた魔術布、返してもらわねえと……!)


 湖の所在地を聞き出したら、次の安息日にでも向かおうと――それまでにもう一つ魔術布を仕上げようと考えていたのだが、明日行くというのなら話は別だ。

 あれだけ手の込んだ刺繍を新たに仕上げるのは、いかなレオでも二日は掛かる。

 試作品とは言ったものの、実用に耐えるレベルには仕上げてあるので、ぜひとも返していただきたかった。


(うー、どうしよ、でもさっき、俺の方から「あげます!」って言っちゃったし……!)


 自分の計画性の無さを呪いたくなるのはこういう瞬間だ。

 せめてあげる約束だけにとどめておけばよかった。


 急に気が変わって、やっぱいらない! と言い出してくれないだろうか。

 あるいは、難癖付けて突き返してくれたりしないだろうか。

 そうすれば、レオは大手を振って魔術布を持って帰れるのだが。


(いやー、でもさすがにそんな展開は……)


 ねえだろ、と自身にツッコミを入れかけた時、予想外の出来事が起こった。

 グスタフが、酷薄な笑みを浮かべ、おもむろに手にしていた魔術布を掲げると、


「こんなもので、俺に取り入るつもりだったか。――だが、残念だったな」


 と、ゴミくずのようにそれを床に投げ捨てたのである。


「な……っ、…………っ!」


(ナァァァァァァァイス!)


 レオは思わず快哉を叫びかけて、うっかり喉を焼いた。


 なんだこの導師。すさまじいくらい空気を読みやがる。

 レオは痺れた。

 そして痺れながら、慌てて魔術布を拾い上げた。


「先生……っ、これ、要らないと、いうことですか!?」

「ああ、熨斗つけて返してやるよ、んなもん」


 念押しにも即答が返る。


(ナイス!)


 レオは沸き上がる笑みを堪え、咄嗟に口をぐっと引き結んだ。


「なら……私、持ち帰ります……!」


 そのまま、拾い上げた布をぎゅっと胸に押し当て、そのまま走り去ろうとする。

 しかしグスタフは眉を顰めて「待てよ」とレオの腕を取った。


「クリスのことについてまだ聞いてねえ」

「え」


 ここにきてクリスの話を蒸し返そうとは。


(なんだ、やっぱ出会いを求めてたんじゃねえか、この人)


 それもそんな切実に。


 そういえば、レオとしても、クリスとグスタフなら相性がよいのではないかと思っていたのだった。

 紹介するのもやぶさかではないが、しかし今は時間が惜しい。

 明日の出発までに、コルヴィッツの森について調べておきたいし、精霊紋の周囲を縫い加えて、せめて召喚の陣までは刺繍を完成させておきたいのだ。


 そこでレオは申し訳なさそうに眉を下げながら、断りを入れた。


「クリスさん、私も、早く、会わせてあげたいです。彼女はきっと、先生が、求めてきた人だと、思うから。でも、今、時間がありません。私、しなくてはいけないこと、あるのです」

「なんだと――?」

「必ず。絶対、会わせて、あげます。約束します」


 レオはしっかりと目を合わせて、力強く頷いた。


「そうしたら、きっと、先生がずっと隠してきた願い、叶います」


 だから、今はごめんなさい――!

 レオはばっと腕を払い、勢いよくその場を走り去った。


 後ろでグスタフの叫ぶ声がする。ついでに皇子達も何か叫んでいる。

 が、レオの耳にはもはやそれらは届かなかった。


 彼の頭の中は、欲にまみれたウォータービジネスの展望でいっぱいになっていたのだ。




***




 体格の大きい男に腕を掴まれ、不当に詰られ、あまつ、丁寧に作った精霊紋の刺繍をゴミのように投げ捨てられ。

 目を潤ませながらも、それでも涙をこぼすことなく、何事かを約束さえして去っていった少女を見て、アルベルト達三人は気色ばんだ。


 中でも一番に声を上げたのはビアンカだ。


「グスタフ・スハイデン! この、最低男……! なんという……なんということをするの!?」


 彼女はもはや、その細い手を振り上げて、相手を殴りに掛かりそうな勢いだ。

 しかしどのような事情があれ、さすがに皇帝陛下の勅命を受けた聖騎士を殴るというのはまずい。

 アルベルトとナターリアは咄嗟に彼女を抑えにかかると、素早く言葉を交わし合った。


「アルベルト様。ここはわたくしが。あなた様は、レオノーラを追って、慰めてあげてくださいませ」

「……わかった。恩に着る」


 皇子の返答には僅かな間があったが、彼はその一瞬のうちに、諸々の覚悟を決めたらしい。

 腹を据えた者だけが持つ気迫を漂わせた、凛とした横顔を見送りながら、ナターリアはどうか何事もないようにと祈った。


「ナターリアお姉様! 放してくださいませ! なぜ止めるの!? この男はレオノーラを最低の形で侮辱し、傷付けたわ!」

「ビアンカ様、どうぞ落ち着いて――」

「どうしてそんな冷静でいられるの!? レオノーラは、わたくしたちの妹のようなものではないの! ナターリアお姉様に、情は無いの!? 冷血な方!」


 苛立ちに任せて叫んでしまい、ビアンカははっと口を閉ざす。

 彼女を抑えつけていたナターリアの、その理知的な瞳に、悲しげな色が浮かんでいたからだった。


「あ……ご、ごめんなさい……」


 常に冷静沈着な従姉に、いくら反感を持っているからといって、言うべき言葉ではなかった。

 かっとなると手や口が先に出るのは、ビアンカの悪い癖だ。

 我ながらなんてひどいことを、と一瞬で猛省した彼女は、消え入りそうな声で詫びた。


「ほ、本気ではないの。ごめんなさい、ナターリアお姉様……」


 しかしナターリアは、いつもの大人びた苦笑を浮かべただけだった。


「淑女が大声を上げるものではありません。手を振りかざすものでも、ね。少し外の空気を吸って、頭を冷やしていらっしゃいませ」

「で、でも……!」


 それでは、グスタフの糾弾はナターリア任せになってしまう。

 咄嗟に反論しかけたビアンカだったが、


「今のビアンカ様に、導師と物の道理について話し合う余裕があるとは、到底思えません」


 きっぱりと断じられて、口を噤んだ。


 確かにナターリアは、すぐかっとなる自分よりもずっと大人びているが、それでも年齢差はたった二つだ。

 それに、男慣れという点で言えば、むしろ自分より劣っている。

 見るからに雄々しい雰囲気を醸し出すグスタフと二人きりにして、はたしてまともに会話になるのかと、少々不安でもあった。


「さあ」


 しかし、有無を言わせぬ優美な仕草で聖堂の外を示され、ビアンカは唇を噛み締めた。


 結局、自分はこの有能な従姉にはまだ敵わない。

 少なくとも、すぐに暴力に訴えるような自分では。


「……申し訳ありませんでした。よろしく、お願いいたしますわ」


 ビアンカはぎっとグスタフを睨みつけてから、しぶしぶ、聖堂を後にした。



「さて」


 二人きりになるや、ナターリアは冷静に切り出した。


「先程は我が従妹が、無礼な発言を寄越して失礼いたしました、スハイデン導師」


 ビアンカ皇女でも、下級学年長でもなく、従妹と彼女を呼んだのは、あくまでナターリアが一介の生徒としてこの場に立っていることを示すためだ。

 その意図が伝わったのかどうか、グスタフは、興ざめしたような目で、気だるげな相槌を寄越しただけだった。


「――別に? ガキが騒ぐのはよくあることだ。目くじら立てる程でもねえだろ」


 一国の皇女をガキ呼ばわりする辺り、無謀な程の大胆さ、そして無礼さだ。

 しかしナターリアは、穏やかな笑みを絶やすことなく、優雅にグスタフに近付いていった。


「さすがは聖騎士様にして、賢者に最も近いと讃えられる大導師様。寛容な心をお持ちでいらっしゃいますね」


 ですが、と彼女は首を傾げた。


「レオノーラ・フォン・ハーケンベルグに限っては、その寛容の精神を置き忘れてしまうのは、なぜなのです?」


 グスタフはその挑発には乗らず、くっと片頬を持ち上げただけだった。


「――ここ数日、俺を付けまわしていた奴がいた。おおかたあんたも、事情は把握してるってとこじゃねえのか?」


 ロルフの情報収集は、残念ながら気付かれていたということだ。


 ここでとぼけるのは得策ではない。

 相手の野生めいた勘のよさを認め、ナターリアは静かに告げた。


「お姉様のことは、わたくしも大変遺憾に思います。一刻も早く見つかりますよう、祈っておりますわ。――ですが」


 ナターリアの、知的な鳶色の瞳がきらりと光る。

 彼女は真っ直ぐにグスタフを見据えた。


「だからといって、レオノーラを責めるのはお門違いかと」

「はっ!」


 グスタフは獰猛に笑った。

 獲物を前にした獅子のような迫力であった。


「あんたも随分あいつに入れ込んでいるようだ」


 彼はその長身を屈めると、まるで睦言を囁くように顔を近付けた。


「教会の人間による、帝国への謀反だぞ? 露見した時の影響は底知れない。事実、民は教会を遠ざけ、結果、精霊は力を弱め、世の空気は荒廃している。本来、ハーラルトの禍は、学生なんかが解き明かしていいものではなかった。好きな男に認められたい、聖女だと褒めそやされたい、そんな自己顕示欲にまみれた学生なんかが、な」

「…………」


 ナターリアは、男らしく整った顔が近付いてい来るのに、ほんの僅かに身を強張らせた。

 親族を除き、これほどまでに異性に近付かれるのは初めてだ。


「……あ、あなたは、なぜ、レオノーラのことをそのような人間だと断じるのです?」


 慎重に言葉を紡げば、相手は静かに笑みを浮かべた。


「真実を見通すと評判の魔眼ほどではないがな。導師なんてものをやってると、多少は相手の人となりがどんなもんかを、掴みやすくなる。レオノーラ・フォン・ハーケンベルグは、見かけこそ儚げな少女だが、あれでなかなか、ふてぶてしく計算高い人間のようだぜ?」


 グスタフが言う観察眼というのは、事実だ。


 精霊の力を借りて、つまり自然や大地と感覚を一体としながら過ごしている内に、導師の中には、観察の魔力と似たような性質の力を帯びる者もいる。

 グスタフはそれを、戦場という命をやり取りする場で研ぎ澄ませてきた。


 例えば、初めて会った時。

 聖騎士だと目を輝かせるビアンカや、そわそわとするナターリアとは一線を画し、少女は面白そうに――まるで値踏みするようにこちらを見ていた。

 聖堂で説教をした時には、うさんくさい言葉を並べ、まるであこぎな商人のような様子ですらあった。


 だいたい少女は、学年も違うというのに何かと皇族や見目の良い生徒を引き連れ、しょっちゅうその賛美の眼差しを身に集めているように思われる。

 そんな人間が、真に無欲な人間であるはずはない。

 悩みはしたものの、最終的にグスタフは、少女のことをそう判断したのだ。


 聖騎士という立場上、強きを挫き、弱きを助けるという精神は、これでグスタフの中心に刻み込まれている。

 しかしその分、強かで傲慢な人間には、例え女であっても容赦するつもりはなかった。


「人を見る目がありませんのね。実際には――」

「そうか? 例えば俺の見立てでは、あんたはこうされるのに弱い人間に思えるが」


 きっと眦を釣り上げて反論しかけたナターリアを封じ、グスタフは彼女の顎を取った。

 これも外れか? と、甘く低い声で囁いて。

 瞬間、りんごのように真っ赤になったナターリアに、グスタフは片眉を引き上げた。


「他愛無いと言うべきか、ませていると言うべきか。近頃のガキは随分色気づいている。レオノーラ・フォン・ハーケンベルグといい、あんたといい、こうして男に言い寄られるのが随分と好きなもんだ」


 その言葉を聞いた途端、どぎまぎと顔を赤らめていたナターリアは、さっと血の気を引かせた。


「――こうして(・・・・)……? まさか、レオノーラにも……?」

「ああ。あいつは、乱暴にされるのはお好みじゃなかったようだがな」


 揶揄めいた言葉に、ナターリアは大きく目を見開いた。


 ――スハイデン導師が彼女の腕を取ったと知った時、僕は腹を立てた。


 アルベルトの、悔恨に満ちた言葉。腕を取ったというのは、そういうことだったのだ。


 ――彼女は、幼い時分から男の暴力に晒され、監禁されてきたんだ。そんな相手に向かって、閉じ込めるなど口が裂けても言ってはいけないだろう。


 あの幼い少女は、誰よりそういったことを、恐れているはずなのに。


「…………」


 ひやりと、心の底が冷えるのを感じた。

 顎を取っている男らしい手が、単なる無機物のように思えてくる。


(……許せない)


 ナターリアは、すう、と己が冷静になるのを感じた。

 激情を堪えるためではなく、ある目的のために、強く唇をかみしめる。

 唇の薄い皮膚は容易に破け、じわりと血が滲むのがわかった。


 す、と右腕を伸ばす。

 害意など感じさせない優美な腕は、顎を取るグスタフに警戒されることなく、その頬へと行き着いた。


「……あなた様は、随分と、軽々しく女性に触れられるのですね」


 男らしくがっしりとした頬骨を、するりと撫でる。

 蟲惑的な仕草だ。

 相手が僅かに眉を寄せたのが見えた。


「きっとそれに、胸を高鳴らせる女性も多かったことでしょう」


 そしてナターリアはすっと背伸びをすると、


 ――相手の頬を包み込み、その唇を塞いだ。


「…………!」


 瞬間グスタフがばっと腕を払う。

 まるで唇を奪われた初心な少年のような仕草に、ナターリアは艶然と微笑んだ。


「おまえ、何をした……!」

「あら、キスですわ? 他愛無い、ね」


 詰問するグスタフは、自身に何かが起こっていることを一瞬で察したのだろう。

 低い声で恫喝されたが、ナターリアはもはや動じない。

 笑みの形に持ち上げられた、血の滲んだ唇は、まるで鮮やかな紅を差したかのようだった。


 効果(・・)は、予想以上にすぐ現れていた。

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