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19.レオ、レーナと話す(後)

『――……は?』


 レーナが目を見開く。

 かつてレオの物だった鳶色の瞳には、「何言ってんのこいつ」という感情がでかでかと書かれているかのようだった。


『あなた、一体何を……』

『相手を探すだけじゃねえ、交渉そのものだって、充分手間だろ? 買収の為の費用確保もだ』

『…………』


 平凡な自分の顔が、戸惑いを浮かべるのが見える。

 しかし、こちらの意図は伝わったことを、レオもまた悟った。


 金貨二枚は大金だ。

 それで買収額の全てを賄えるわけではけしてないが、しかし、手付金として機能するくらいの額ではある。

 それを、こうしてレオに渡してしまうことで、計画に遅延が発生しないはずがなかった。


『……何それ、報酬はいらないとでも言う気? 施しのつもりなら結構よ。私、一度だって約束は破ったことないんだから』

『だから、預ける(・・・)っつってんだろ。報酬はたった今俺が手に入れて、その、俺のものであるところの金貨を、こうしておまえのパンビジネスに投資しようとしてんじゃねえか』

『は…………』


 珍しくレーナは、呆気にとられたようだった。

 吐息のような呟きのような、小さな声がその喉から漏れる。


 レオはにかっと笑ってみせた。


『で、じゃんじゃん儲けてさ、その甘い汁を俺にも吸わせてくれよ。今後一生に渡ってだ、金貨二枚どころじゃねえぜ。胸が高鳴るな!』

『…………』


 レーナは返事をしなかった。

 ただ呆れたように眉を下げ、


『……何それ』


 と小さく呟いた。


 だがレオは気にしない。

 自分が格好つけだと思われようが、やっぱりただの守銭奴かと思われようが、そんなこと彼にとっては些事でしかなかった。


 要は、お金がどんどん増えて、金貨に対しては一切のわだかまりも持たないようにして、そして自分の縄張りであるところの、孤児院やグループの皆が満ち足りて過ごせるのなら、レオとしてはそれで言うことなしだった。

 金貨二枚をレーナに預ければ、その全てが叶う。


『ま、体も元に戻ってないのに、金だけもらうってのも、なんか尻の据わりが悪いしな。あ、だから精霊祭までには成果出してさ、体戻した暁には早速金貨二枚分の儲けを還元するってどうよ? って、回収サイクルさすがに短すぎるか』


 我ながら鬼だな、と笑うレオは、どこまでも朗らかだ。

 それを見て、レーナはふと、胸の奥にじわりと何かが兆すのを感じた。


 この目の前の少年は――レオは、本当に能天気だと思う。

 さもしいし、鈍いし、そこそこ要領がいいのかと思えばとんだ間抜けで、お人よし。

 入れ替わりなんかが起こらなければ、一生触れあう機会もなかった人種だ。


 けれど。


 その馬鹿みたいな朗らかさで、飾らない言葉で、見え隠れする思いやりで、一体どれだけの人の心を解してきたのだろう。

 ハンナ孤児院の子どもたちが一心に彼を慕う理由が、レーナにもほんの少し、わかった気がした。


『……その、精霊祭まで、っていうのは、どうしてもなの?』


 気が付けば、レーナはそう尋ねていた。


 胸の中で勢いよく膨らんでいる感情が、なんというものなのか、わからない。

 ただ、その名を知ってしまうと、自分というものの骨格が大きく崩れそうな予感はあった。


 朗らかなレオ。慕われているレオ。

 ――褒められることすら少ない、自分。


『は?』

『精霊祭に、私がレオとして出た後じゃ駄目なの?』


 彼は一体どうして、そんな人間に育ったのだろう。

 それは、環境が良かったからなのではないか。


 凶暴だけどきちんと叱ってくれるハンナがいて、無邪気で感情豊かな子どもたちがいて、入れ替わってもすぐに見抜いてくるくらい付き合いの深い幼馴染がいて、だから。


 きっと、ハンナ孤児院(ここ)にいるから。


『私が、皆と一緒に、精霊祭に出た後じゃ、駄目なの?』


 この三カ月で、自分はきっと大きく変わった。

 心のどこかで足りないと思っていたものを、過剰なくらいに浴びてきた。

 それが何かは言語化できないし、ふわふわと輪郭も定まらないが、あと二週間、精霊祭まで出たら、きっとそれは固まって、新たなレーナの核になると思うのだ。


 だから。


『どうせ、精霊祭で自分も儲けたいとか、それくらいのことなんでしょう? それなら、私に譲ってよ。金儲けなら、その姿だってできるじゃないの』


 その言い草が、どれだけ傲慢かは知っている。――いや、そういった発想が傲慢にあたるのだということを、彼女はまさにこの三カ月で「知った」。


 それでも、レーナはそう言わずにはいられなかった。


『んー……』


 レオは困惑したように頬を掻いている。


『そりゃたしかに、俺も精霊祭で稼ぎたいからってのは事実なんだけどさ……』

『そうでしょう? だったら――』

『でもおまえ、親がいるじゃねえか』


 それは、レーナにとっては予想外の言葉だった。


『え……?』

『精霊祭ってさ、基本的には、家族とか恋人とかと過ごすもんじゃん。ま、俺には残念ながらどっちも縁がないけど、レーナ、おまえには家族がいるんだからさ。さすがに、元の姿に戻って、精霊祭くらいは一緒に過ごした方がいいんじゃねえかと、そう思って』

『…………』


 レーナは、何も言わなかった。

 いや、言えなかった。


 自分の考えがどれだけ甘ったれていたかを、今一度、突き付けられたように思ったからだった。


 レオには、厳しいが親身な指導者がいる。生意気だが可愛い弟分もいる。親しい幼馴染もいる。

 けれど――親はいない。

 そして、どんなに足掻いても、それだけは、彼は一生持てない。


(…………どうしてよ)


 レーナには、自分の今の、胸の奥で波が震えるような感覚が説明できなかった。


 彼はなんでも持っている。いや違う、決定的に欠けている。彼に成り代わりたい、いや、そうではない。なれない。そんなことはできない。それが悔しい。


 ――そう、本当はわかっていた。


 レーナは今、この、さもしく鈍く馬鹿でお人よしな孤児の少年に、嫉妬しているのだ。


『ま、おまえがもう少しそのままでいたい、ってのもわからなくはないけど、やっぱな――』

「もういい」


 レーナは素早く遮った。


「わかったから、もういい」


 ぶっきらぼうなヴァイツ語で、ただそれだけを喉から押し出す。


「精霊祭までには戻すから。また連絡する。明日、早いから」


 そう言って横をすり抜けようとすると、困惑の表情を浮かべたレオが


「待っ……!」


 恐らくは「待てよ」と叫びかけて、喉を焼いていた。

 相変わらず、油断するとすぐに庶民言葉が出るらしい。


『ちょ、それならいいんだけど、せめてこの暴言封印の魔術だけ今なんとかなんねえ? おまえと話す分にはスムーズだから、つい忘れちまうけど、これ、かなり俺にとってストレスなんだけど!』


 その当然の主張すら、今は聞き入れる余裕がない。


「……あと二週間くらい、変わんねえだろ」


 レーナは早口でそう返すと、腕を掴もうとするレオを振り払い、今度こそその場を去っていった。


 わけのわからない液体で目を潤ませている自分の姿を見られるなど、死んでもごめんだった。

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