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17.レオ、自らも衝撃を受ける

「ん?」


 カイ登場の合図を機に、しばらくは差し障りのない世間話に興じていたエミーリオたちは、ふと顔を上げた。


「なんか今、となりから、叫び声がきこえなかった?」

「うん。あれ、じゅうしゃの人の声だよね。母親になりたいってきこえた」

「男の人なのにね?」


 びくっと肩を揺らしたのはレオである。彼は、子どもたちが心底不思議そうに、


「何いってるんだろうねー?」


 と首を傾げたのに対し、目を逸らして答えた。


『……大人の世界は、いろいろと業が深えんだよ……』

「『業』、って何ー? まだ習ってない!」


 さすがにその辺りのエランド語までは、彼らには理解するのが難しいらしい。

 レオは手を振って、『気にすんな』と誤魔化した。


『ていうか俺たち、いい加減寝ないとやばくねえか? 明日は雪花祭だろ?』


 すっかり、レオがエランド語で話し、エミーリオ達がヴァイツ語で返す、という会話方式を自然に取りながら、そう尋ねる。レオは話題を変えるついでに、自分も一緒にバザーに参加したい旨を、子どもたちに頼み込むつもりだった。


「そうだよー!」

〇七三〇(マルナナサンマル)に作戦開始なの!」


 子どもたちが笑顔で頷く。

 しかし、その中に耳慣れない単語を聞きとり、レオは首を傾げた。


『「マルナナサンマル」? 何だそれ?』


 三人はえっへんと胸を張る。


「作戦ようごなのー! 僕たち、今年はめんみつに作戦ねってるかんね!」

「かくじつに結果にコミットするために、ナレッジをちくせきして、ドラスティックかつクリエーテブな方法をとることにしたんだ!」

「ぐたい的には、最新にアップデートしたビッグデータをアソートしてね、そこから主にF2、M2のニーズを――」

『待て待て待て待て!』


 レオは額を抑えて遮った。


『なんなんだよ、その怪しげなビジネスセミナーに片足突っ込んだみたいな話ぶりは!』

「え? 作戦だよ?」

「レーナがかんがえたの」


 なんとレーナは、エランド語の他に販売戦略まで教授しているらしい。


「ぼくたち皆ね、知力、体力、視力をベースに、てきせいをジャッジされて、それぞれベストなコミュニティにアサインされてるの」

「だから、明日はシミュレーション通りに刈り取れば、確実にリゾルトを残せるってわけ!」


 レーナの作戦、結構イケてるよ! と揃って親指を立てる子どもたちに、レオは深く眉を寄せた。


『なんだよおまえら……。毎年、俺と一緒に、その場その場で戦略考えながら、雪花祭でぼろ儲けしてきたじゃねえか……』

「今はむかしなのー」

「時の流れは不可逆なのよね」

「それに、エイヤでかんがえるのって、せんりゃくって言わないよね」


 子どもたちはけんもほろろだ。

 彼らの言わんとしているところを察し、レオは顔を引き攣らせた。


『まさかとは思うが……おまえら、もうレーナの作戦があるから、俺は参加するなとか、言わねえよな……?』


 子ども達は一瞬きょとんとして、「何いってるのー!」ときゃらきゃら笑いだす。

 レオがほっと胸を撫で下ろした瞬間、彼らはビッグな爆弾(ボム)をシュートした。


「参加するつもりだったの? レオノーラ様(・・・・・・)は、ここでお留守番に決まってるでしょ!」


 しばし、沈黙。


「…………え?」


 エランド語で話すことも忘れ、呆然とするレオをよそに、子どもたちはあくまでも無邪気に――そして無慈悲に告げた。


「作戦はね、こむぎ一つぶのズレも許されないくらい、めんみつに組まれてるんだ」

「私たち、この一ヶ月ずっと訓練してきたのよ」

「レオノーラ様には、がっつり儲けてきた僕たちを、ほめる役をしてほしいな」


 それはつまり、とりもなおさず、もはや雪花祭の作戦上に、レオの居場所は無いということだ。


「そ……、だって、え……」


 なんだろう、視界が滲んできた。汗だろうか。


「レオノーラ様なら、わかってくれるよね」

「ここにきて戦略をみだすなんてしないで、孤児院みんなの儲け――もとい勝利を、いのってくれるよね」

「ワンフォーオール!」


 レオは、生きていて五本の指に入るのではないかというくらいショックを受けた。


「お、……っ」


 俺、と言いかけて、喉を焼く。

 レオはばっとその場に立ち上がった。


「風、当たって、きます……!」


 人生って、世知辛い。




***




「――……行っちゃったね」

「うん。行ったね」

「行ったわね」


 エミーリオたちは、表情を笑顔に固定したまま、扉が閉まり、レオが去って行く音に耳を澄ませた。

 移動し、ふと足音が止まり、そして、小さな物音。

 恐らく、廊下の突き当たりの扉の前で蹲ったのだろう。


 そこまで聞き届けた三人は、次の瞬間、


「――うわあああああああああ!」

「なんっだあれはああああああ!」

「どんな美少女なのよおおおお!」


 詰めていた息を吐き出し、一斉に床に転がりはじめた。

 ただし、隣で人が聞いているかもしれないので、叫び自体は小声だ。


「なにあの涙目! 心臓止まるかと思ったんだけど!」

「いいにおいしたよね!? ねえ、いいにおいしたよねえ!?」

「顔ちっさ! 手足ほっそ! 何あの、私でも触れたら折れちゃいそうな華奢な首!」


 エミーリオが胸を押さえて蹲れば、マルセルは頭を両手で抱え込み、アンネはぷるぷると全身を震わせる。


 三人は、これまでなんとか抑え込んでいた興奮を――だってさすがに、レオ兄ちゃんの前でそんな態度を取るわけにはいかない――、今まさに爆発させていた。


 もんどり打ち、頭を床に擦りつけ、頬をぺしぺしと平手で張る。それでもなお冷めやらぬ興奮を、彼らは恍惚の表情で言語化しつづけた。


「やっばい……。瞬きしても、残像が消えてくれないんだけど。魂の奥深くまであの美貌が刻みこまれた気がするんだけど。もう夢に見るしかないんだけど」

「あんな美しい人間がいていいの!? 私一瞬、死んだおばあちゃんが迎えに来てる気がしたんだけど! 彼女の背後に光が見えたんだけど! 精霊レベル!」

「うわああああああ!」


 もはやときめきすぎて、頭が過呼吸(?)を起こしそうである。

 彼らは、大好きなレオ兄ちゃんが女になって帰ってきたことに多少戸惑ったが、そんなものをぶっ飛ばすくらいの、ぶっちぎりの美貌に、何より盛大に心臓を打ち抜かれた。


 レーナはふとした折に、「俺の元の姿見たら、おまえらきっと驚くぜ」とは言っていたものの、まさかこんなにだとは思わなかった。

 あの美貌はもはや毒だ。罪だ。人の生命活動の維持を危機に追いやる魔性の何かだ。


「お人形さんみたいにきれいなのに、じっと視線を合わせて、にこって笑うとか、もう……」


 陶然とした表情でエミーリオが呟く。


 レオノーラ・フォン・ハーケンベルグは、確かに精霊と見紛うような美貌の持ち主だ。

 しかし、もしそれだけだったら、彼らは「きれいだな」と感じるだけで済ませてしまっていたかもしれない。


 だが実際にはそうではなく、彼女は朗らかに笑い、時に照れたように首を傾げ、感情を昂ぶらせると目を潤ませるのだ。その感情の発露の様子は、中身を知っている三人でも釘づけになってしまうほど、鮮やかで麗しかった。


「中身、レオ兄ちゃんなのに……」

「守銭奴なのに……」


 アンネもマルセルも、わかっているのに、うっとりとした溜息が止まらない。


 この胸の動悸はなんだ。非常に危険な気がする。

 追究したら、きっと自分たちは新たな扉を開けてしまう予感があった。


「……もういっそ、レオ兄ちゃん、このままでいいんじゃ……」


 最年少のマルセルが、幼さという無謀を振りかざし、その扉に手を掛けようとする。

 エミーリオは口を引き結び、アンネはごくりと喉を鳴らしてから、辛うじてマルセルのはやる右手を押さえこんだ。


「…………だ、だめだよ。レオ兄ちゃんは、やっぱ兄ちゃんだから、レオ兄ちゃんなんだし」

「…………そうよ。私だって、自分より美人なレオ兄ちゃんなんて、……遠慮こうむるわ」


 それぞれ、珍しく主張に論理性を欠いたり、いつもは勝気な視線を床に逸らしている辺りに、彼らの葛藤が表れている。

 そんな二人の動揺を突くように、マルセルが、


「ええー! でもさ、外見があれで、中身がレオ兄ちゃんだったら、最高じゃない?」


 と唇を尖らせたので、二人はついつい、その桃源郷的状況に思考を一瞬浸してしまった。


 それは例えるなら、彼らのヒーロー・柘榴のハンスと、永遠のプリンセス・灰かぶり姫が手を取り合ったような夢のコラボだ。


 あの美しい顔で、「どう、儲かってる?」と親しげに微笑んでくれたら。

 あのたおやかな腕で、「今の値切り方、最高!」と言ってぎゅうっと抱きしめてくれたら。


「――……いい」

「――……アリだわ」


 再び、喉が鳴る。


 しかし、次の瞬間にははっと我に返り、これまでに蓄積してきたレオ兄ちゃんとの沢山の思い出をフル稼働させ、二人はぷるぷると邪念を振り払った。


「だめだ! だめだ、だめだ、だめだ!」


 エミーリオはきっと顔を上げると、早々に話題を切り替える。

 彼は、自分に言い聞かせるかのように宣言した。


「とにかく! あんな姿のレオ兄ちゃんを、むくつけき野郎どもの前に晒すわけにはいかない!」

「そうよそうよ!」

「レオ兄ちゃんは、僕たちが守る!」

「そうよそうよ!」


 要は、この胸のもやもやを、何か崇高な使命に置き換えて発散させようという試みである。


 彼らが先程、なぜ素っ気ない言い方でレオのバザー参加を断ったのか。

 それはひとえに、あの見るからに繊細で華奢で高貴な少女を、自分たちが守らねばならないという使命感に燃えていたからであった。


 彼らが出店するのは、最も治安の悪い地域。客層も悪く、ハンナ孤児院でも見目の良い少女は売り子ではなく裏方に回るのが常だった。


 ごろつき程度なら、ブルーノがなんとかしてくれる。しかし雪花祭ともなると、ヤのつく組織のお偉いさんなども視察がてら出歩いていたりして、それに目を付けられては厄介だ。


 彼らのレオ兄ちゃんは、金儲けのことなら輝くような閃きを見せるが、アレで結構抜けている。

 ちょっと目を離した隙に、男どもに体をまさぐられたり、最悪の場合、拐され、裏道に連れ込まれたり、屋敷に連れ去られる可能性もあった。


「危ないところだった……」


 エミーリオは先程の遣り取りを振り返って呟く。


 あのような言い方をするのは断腸の思いだったが、儲けという正義を全面に出せば、レオはけして逆らえない。

 それに、心を鬼にしなければ、うっかりあの美しい涙に「や、やっぱ一緒に出よっか!」とこちらから切り出してしまう可能性すらあった。


 レオは祭への参加を楽しみにしていたようだが、そして自分たちも楽しみにしていたが、あんな守ってあげたくなるような美貌を見せつけられては、安全確保が最優先だ。


 レオ本人が参加できない分、必ずや売上という名の勝利をもぎ取って、捧げよう。

 エミーリオたちはそうやって、己の理論武装を完了したのだった。


 が、幼いマルセルは、やはり罪悪感に勝ちきれないようだ。


「でもやっぱ、あんな風に言ったら、レオ兄ちゃん、可哀想だったかなあ……」


 ちょっと俯いて、呟く。

 それを聞いたアンネは、軽く肩を竦めた。


「……ま、大丈夫よ。レオ兄ちゃんだって、さすがにあれだけの美貌を持って、お祭り騒ぎの下町を歩くのは危険ってことくらいは、わかってるでしょ」

「……そっか。きっと、それくらいは、自覚してるよね」

「そうよ。あんなずば抜けた美貌、自覚してなきゃ女として終わってるわよ」


 そっかあ! と安堵したマルセルが、ようやく笑みを浮かべた。


 レオは、女として終わっているどころか、女として始まってすらいないのだったが、美しすぎる少女の外見にすっかり魅了されてしまった子どもたちは、残念ながらそのことに気付いていないのであった。

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