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14.レオ、再会する

 ハンナ孤児院は、リヒエルトの中でもずば抜けて規律正しく、躾が行き届いていると評判の施設だ。


 しかしながら、そうは言っても所詮は下町の外れに位置し、学校に通うことすら叶わない子どもたちの集う場所。

 初めて見る姫君中の姫君、レオノーラを前にして、無礼を働きやしないかと気を揉んでいたカイだったが、その懸念は良い方向に裏切られた。


「レオノーラ様! とってもおきれいですね!」

「レオノーラ様! これ、まえに送っていただいた、ナッツの瓶です。ぼく、食べ終わっても瓶を捨てずに取っておいたの!」

「レオノーラ様! きれいなドレスをありがとうございました! この繊細なレースが、本当にお姫様っぽくて、お気に入りなんです!」


 初めこそ、光の精霊もかくやという美貌に度肝を抜かれ、呼吸すら忘れたように少女を見入っていた子どもたちだったが、彼女がそっと親しげな笑みを浮かべると、一斉に顔を紅潮させ、我先にと駆け寄ってきた。

 抱きついたり髪に触れたりと、貴族的マナーからすれば不敬にもあたる行動だったが、その目は一様に感謝と尊敬の念で輝いている。


 少女はその聡明さを発揮し、その場には十人以上がいたというのに、一度名前を聞いただけですぐに覚えてしまった。


「ベンノ、瓶、取っておく、嬉しいですね。大きな瓶、使い回し、利きます。このまま取っておいてください。ラベル、きれい、剥がしましょうね。マヌエラ、ドレス、似合っています。くるみボタン、裾のレース、なるべくきれい、保ちましょうね。一番見られます」


 方々から話しかけられる声にも、一つ一つに言葉を返す。

 屈みこんで視線を合わせたり、子どもによっては抱っこしたり頭を撫でたりする丁寧さだ。


 不思議と、彼ら一人ひとりがどんなボディタッチを好むかがわかるらしく、少女に触れられた子どもたちは、一様にうっとりと眼を閉じていた。

 さすがは真実を見通す紫瞳である。


(それにしても、先程の礼はなんと美しかったことだろう)


 カイもまた、うっとりと眼を閉じて、主人が子どもたちに向かって自己紹介した時の姿を思い起こした。


 まるで、淑女の鑑たる、優雅で凛とした、女性らしい礼。

 微笑みはどこまでもたおやかで、声は鈴が鳴るようだった。


(いつもレオノーラ様はおきれいだけど、今日はなんだか、特別姫君らしさが際立っていらっしゃる。みすぼらしいシャツでは到底隠しおおせない淑女のオーラ……孤児院の子どもたちは「お姫様」に憧れているようだったから、きっと一層それに近い姿を、と思われたんだろうな)


 普段は抑えているようだが――そしてそれでも充分貴族令嬢としての模範的振舞いとして通用するのだが――、少女が本気を出すと、それこそ皇族にも引けを取らない気品が溢れるようである。

 カイは、主人の底知れない気高さに改めて感じ入った。


(……うええ、ブルーノたち、まだ戻ってこないんかな)


 一方でレオはといえば、先程から笑みを顔に張り付けつつ、ストレスのゲージを徐々に上げはじめていた。


 先程のハンナの説教を受けて自分なりに反省し、ひとまず姫っぽく振舞ってみっか、と無謀な挑戦を始めたのが一時間前。

 素直な子どもたちは、このにわか仕込みの擬態に全く気付いていないようだったが、どちらかといえばレオの心が限界だった。


(おいベンノ、「ぼく」ってなんだよ「ぼく」って。おまえ一人称は「オレ」で口癖は「この下痢クソ野郎」だろ? マヌエラ、おまえも、着る服着る服、全部ソースまみれにして瞬殺するくせに、なに「食べこぼし? したことありませんが何か」な感じで言っちゃってんだよ!)


 取り澄ました子どもたちの態度に、鼻がむずむずする。

 しかし、何に一番むずむずするかって、やはりしとやかに微笑んじゃったりしちゃってる自分にである。


(うおお、キモいよ! キモいって! 絶対、中身賢者なのに肉食ぶってるみたいなお寒い感じに仕上がってるって!)


 自分は今グスタフと同じなのかと思うと、涙がちょちょ切れそうである。


 しかしまあ、目をきらきらさせて近寄ってくる子どもたちは可愛い。

 正体を明かせないのを残念に思いつつ、レオはひとまず、資源ごみの有用性についてや、ドレスを高く転売するための心構えについての教示にこれ努めた。


 そうして、もう三十分ほど苦行に耐えた、その時。


「――……どうしておまえ、ここにいるわけ!?」


 ぎょっとした様子で叫び声を上げるレーナにブルーノ、そしてエミーリオ達が、帰ってきた。




***




「おまえ、一体なんで――」


 せせら笑う顔がトレードマークと言っていいようなレーナが、珍しくまん丸に目を見開いている。

 が、その言葉が最後まで紡がれることはなかった。


「『ネオ兄ちゃん』おかえりー!」

「今日は全部売れたのかよー!」


 レオに触れあう輪にあぶれた子どもたちが、新たなる遊び相手の登場に、ぱっと目を輝かせて次々とレーナに抱きつきにかかったからである。


「ええい、触るなっつってんだろ! そして売れた! 当然だろ!?」


 レーナはと言えば、いらっとした様子を隠しもせずに、近寄ってくる子ども達をちぎっては投げ、ちぎっては投げしていた。


 が、運動神経はあまりよろしくないのか、投げ方に甘さがあるため、子ども達は軽やかに受け身を取ってすぐさま再びレーナに突進していく。

 まるで投げ稽古のようだった。


「やーい、弱い弱いー! イメチェン後のネオ兄ちゃんは、激弱だぞー!」

「るっせ! 俺の尊い肉体には、こんな蛮行のために使われる筋肉なんて一かけらもねえんだよ!」


(あー……)


 そのひと幕だけで、レオはなんとなく悟った。


 レーナは確かに性格が悪いし、自分勝手だ。

 だが、多少の性格の悪さなんて孤児院育ちの子ども達には無問題だし、むしろそうやって、子どもに対してまでガチで負けず嫌いを発揮するから、格好の遊び相手と見なされているのだ。


 今だって、多少放置していれば子ども達は自然と離れていくのに、何度も何度も何度も何度も放り投げるから、彼らは永遠に近寄ってくる。


(なんだ、うまくやってんじゃん)


 なんだか不思議な渾名だが、入れ替わり後のレーナは「ネオ兄ちゃん」と呼ばれてそれなりに慕われているらしい。

 顔を盛大に顰めて、息を荒げながら子どもの相手をしているレーナに、レオはほんのりと笑みを浮かべた。


「レオ……ノーラ様。と仰いましたか。なぜ、本日は、ここに?」


 とそこに、戸惑いを露わにしたブルーノが尋ねてくる。

 彼がレオノーラなどと呼んだのは、ハンナがすかさず睨みを利かせてきたからだろう。

 どうやら、皆の前ではレオノーラ扱いすべし、という彼女の指令を、彼は一瞬で読み取ったようだ。


 ええと、と少し考えたレオは、ちらりとカイのことを窺う。

 真面目な従者は、先程初対面のはずの侯爵令嬢のことを「おまえ」呼ばわりした平凡な少年(レーナ)に対し、怪訝かつ不機嫌そうに眉を寄せているところだった。


 こんな時はエランド語を使うに限る。

 ブルーノは見るからにエランド人っぽい顔立ちをしているので、レオがいきなりエランド語で話しかけても、さほどカイに怪しまれはしないだろう。


『ハンナ院長が黙ってたんだよ。ところで院長に正体ばらすなって言われててさ。適当に話合わせて、きわどい話はエランド語にしてくれると助かるんだけど』

『――……ああ』


 さすがは付き合いの長い幼馴染。レオが挨拶もそこそこに依頼すると、意図を汲んで一芝居打ってくれた。


「オーウ、エランド語、上手ですネ。私、ブルーノです。ブルーノ、ヴァイツ語、全然話せませんから、エランド語で話す、かたじけないですネ?」


(――って、やりすぎだって!)


 さっきまでは割合まともに話していたくせに、それではまんま、怪しい外国人ではないか。

 というより、もっと、その表情筋が死滅した顔に合ったキャラを選択してほしかった。


 レオは冷や汗を掻きながら、なんとか話を合わせる。


「いえ、慣れない言葉、時に、考えていることと違うふうに、伝わってしまいます、からね。私も、ヴァイツ語、不慣れです。エランド語、話しましょう」


 本人としては全く無意識に、正鵠を射たことを告げると、遣り取りを見守っていたレーナもそれに乗じた。


『なになに、密談しろってことになってるわけ? なら私もエランド語で話した方がいい? ていうかあんたの従者がさっきからすんごい睨んでくるんだけど、あれどうにかなんない?』


 だが、振り返って見たカイは、戸惑ったように目を見開いているだけだった。

 恐らくは、「学校にも行けず教養もない」はずの孤児が、次々と流暢にエランド語を話しだしたことに驚いているのだろう。


 ブルーノはエランド人で、レオは幼馴染の彼にエランド語を叩き込まれた準ネイティブ、そしてレーナは幼少時から貴族的なエランド語教育を施されたある種のエリートだ。


 単にそういった例外的存在がこの場に三人集まっているだけなのだが、これではまるで、ハンナ孤児院ではエランド語が話せて当然のようにも見えるだろう。

 真面目なカイは、聞き取りができない自分を恥じてか、驚きをやり過ごした後は、唇を噛み締めて俯いている。


(ご、ごめんなカイ! 感じ悪ぃよな! おまえはエランド語なんて全然できないでいいんだからな!)


 むしろ、できていただいてしまっては何かと困る。

 どうかこのままの君でいてください、と健気な弟分にレオが祈りを飛ばしていると、


 ――きゅっ


 と、シャツの裾を引っ張られた。


「ん?」


 視線を向ければ、そこには、呆然と目を見開いたもう一人の弟分――エミーリオが立っていた。


 くすんだ金髪に、緑がかった茶色の瞳。

 孤児院の中でも一二を争う愛らしい容貌をした彼は、今やその大きな瞳をこぼれそうなほどに開いて、じっとこちらを見ている。


「エミーリオ?」


 レオは思わずそう呼び掛け、慌てて「あ、いえ、もしかして、エミーリオくん、ですか?」と言い訳がましく付け加えた。

 途端に、大きな目にじわっと涙が滲みだす。


「レオ、兄ちゃ――」

「おおっと違うぞ、エミーリオ」


 レオ兄ちゃんと言いかけたエミーリオの口を、ばっとレーナが覆った。

 彼女は「ははは」と無駄に爽やかな笑顔を浮かべながら、


「レオニーチェ様じゃなくて、レオノーラ様だ。俺たちに沢山寄付してくれてる人の名前を間違えるなんて、ほんとおまえは、馬鹿で阿呆でドジで間抜けなやつだなあ」


 さりげなくかつ盛大にエミーリオのことをこき下ろした。

 瞬間エミーリオが、


「今日の朝食づくりも間に合わなかったのろま野郎に言われたくねえし!」


 ぎりっと鋭くレーナのことを睨みつけたところを見ると、二人の仲はいつもそういう感じなのだろう。


(あれ、でもエミーリオ、なんか口悪くなってねえ?)


 さては自分の居ない間にグレたか、と目を瞬かせていると、ぱっと笑顔で振り返ったエミーリオがぎゅっと抱きついてきた。


「レオノーラさま! お会いしたかった! ぼく、ずっとずっと、会いたかったです!」

「私も! レオノーラ様あ!」

「ぼくも!」


 信じられないものを見たかのように立ち尽くしていたアンネやマルセルも、次々とレオに抱きついてくる。

 彼らは耳元に口を近づけて、


「正体、ばらしちゃいけないんだね、わかった」


 と囁いてきた。本当に聡く、機転のきく、自慢の弟分達である。

 口調も元に戻っているようなので、さては先程のは勘違いかとレオは胸を撫で下ろした。

 いつかは大人になっていくのだとはわかっていても、やはり弟分たちにはいつまでもこのまま、素直で無邪気な子ども達であってほしい。


「ほらほら、あなた達、いつまでもそんなに抱きついていては、レオノーラ様がお困りですよ。離れなさい」


 取り澄ました口調のハンナ院長に諌められ、彼らは渋々と身を起こしたが、離れがたいというようにぎゅうぎゅうとレオの手を握り締めてくる。


「レオノーラ様、今日は、僕たちと一緒にご飯を食べましょう?」

「泊まっていかれるんでしょう?」

「ずっと、ここにいてくれるんですよね?」


 次々とハードルが上がっていく要求には、レオも苦笑するばかりだ。


(そっか、こいつらにも随分寂しい思いさせちまったんだな)


 今更ながらにそう思い至り、レオは三人を一人ずつ高く抱き上げた。

 背の低い彼らは、こうして「高い高い」をされたままぐるぐる回されるのが大のお気に入りだ。


「もちろん。今日は、一緒に、いましょう」


 子ども達がきゃあっと一斉に歓声を上げる。


 ね? とカイを見やってみれば、彼は難しい顔をしつつも、とても否と言いだせない周囲の雰囲気を感じ取り、諦めたように肩を落とした。

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