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13.レオ、説教をくらう

 小さいながらも清潔な寝台に、わずかな洗面道具、本棚。

 磨きこまれた丸テーブルには、洗って伏せられたカップとワインの瓶。

 裁縫道具に文具、書きかけの手紙。


 何の変哲もない、いかにも老齢の女性の部屋にして――ハンナ孤児院の誰もが恐れる「説教部屋」。

 その中で、レオは今、床に座してありがたくハンナの説教、エランド語バージョンを拝聴しているところであった。


『まったく、一体あんたはアタシのことを何だと思ってるんだい! 仲介業者か!? 倉庫管理業者か!? いっつもいっつも、私物だけ送りつけて、手紙には頓珍漢な返事ばかり寄越して!』

『す、すんません……』

『ああん? 本気で思ってんのかい! こっちはあんたが変な事件に巻き込まれてるってんで、上手くやってるのかとか、いつこっちに戻ってくるんだって聞いてるってのに、やれ「鰊は絶対渡さないで」とか「金貨型のブレスレットは三日に一度磨いてくれ」とか、そんなことばかり。舐めてんのかい!』


 ヤのつく御方も震えあがると評判の、ドスの利いた声で一喝されて、レオはびくっと肩を竦めた。 自分も孤児院の中ではだいぶ兄貴分になってきたとはいえ、彼女に擦り込まれた「絶対服従」の精神は、なかなか消えるものではない。


『いえあの……、最初に「俺レオだけど、今学院にいるから物送るよ」って書いたから、それで事足りてるかな、と思って……』


 なぜハンナがずっとエランド語で話しているかもよくわかっていないが、ひとまずぼそぼそと反論する。


 レオとしては、院長だって、特に手紙で詳細を質問してこなかったし、宛て名もいつも「レオノーラ・フォン・ハーケンベルグ様」となっていたから、てっきりこちらの事情などどうでもよくて、とにかく物品を受け取る方が優先なのかな、きっとそうだよな、俺だってそう思うもんなと判断していたのである。


 『あんたが書く分はともかく、孤児院からの手紙なんて検閲されるに違いないんだ、そんな中で、他人に正体をばらすようなことを堂々と聞けるかってんだ! あんたには行間を読む技術は無いのかい!』

『や、それはオプションでして……』


 つい脊髄反射でそんな言い訳をしながら、レオは『ていうか、別に、正体なんてばれていいのに』と頬を膨らませた。


 契約を交わした際、レオたちはそれぞれ、親とハンナには事情を説明すること、それ以外の人物には、一応は黙っておく方向で、ばれたら都度説明することを決めていたのだ。

 それに照らせば、別にレオとしては周囲に自分の正体がばれてもさして問題は無い。

 厄介になったらとんずらすればいいのだから。


(あ、でもカイには黙っとかねえと……)


 できれば、孫娘を溺愛しすぎている侯爵夫妻にも。

 あとはそうだ、皇子にもばれてはいけない。

 二度にわたる金貨強奪の犯人だとばれるのは、さすがに気まずいから。


(おお? 思いの外ばれちゃいけない相手が多いな)


 今更なことにはたと思い当たり、一人頷いていると、ハンナが天を仰いだ。


『なん……って呑気なんだい……!』


 その、さも呆れたと言わんばかりの様子に、レオはむっとした。


『んなこと言っても。レーナもそれでいいって言ってたし』

『あの子も大概だよ。いいかい? 二人分の人生が掛かってて、しかも内一人は、あのハーケンベルグ家が血眼になって探してた愛娘の子なんだよ。そんな、「ばれちゃったらばれちゃったでいいですー」なんて甘い考えで済むわけないだろ!』


 ばっさりと斬られて、レオは目を瞬かせた。


 どうやら事態はレオが考えるより遥かに重く、その露見の可能性を一粒でも避けるために、ハンナは先程からエランド語を使ってくれているらしかった。

 たしかに、孤児院の壁は大変薄い。


『ええと……ハーケンベルグ家って、そんなすげえ家なの?』

『当たり前だろ、始祖の時代には騎士爵だったのを、実力だけで侯爵家までのし上がってきた、歴史も能力もある家だよ。現侯爵閣下は、戦場では生ける修羅がごとく、夫人は社交界の重鎮って噂だ。二人が小指を動かすだけで、アタシらの首は簡単に飛ぶんだからね!』

『えええ!』


 孫煩悩な二人の意外なスペックに、レオは飛び跳ねた。


『そんな二人が、もし孫娘の正体が孤児の、それも男だったと知ったら一体どれほどの事態になるか……。引き起こされる禍も恐ろしいが、アタシからすりゃ、じいさん、ばあさん気分からどん底に突き落とされる二人がお可哀想でならないよ』

『…………』


 レオは黙り込んだ。確かに、軽々しく「ばれてもいいや」「さくっと戻ればいいや」と考えて済ませられるような問題ではないらしい。


『でも……。だからといって、このままずっと俺が偽物を演じ続けられやしねえよ。俺は俺だし、レーナはレーナだ。いつかは、この状態は正されなきゃなんねえ。そうだろ?』


 やがて、そう言葉を掻き集めると、ハンナはふんと鼻を鳴らして、


『……何も、そのままでいろとは言っちゃないだろ。そこはそれ。アタシだって、あんたが巻き込まれたまんまでいい気持ちはしないよ。ただ、そう安易に考えなさんなってことだ』


 と不機嫌そうに答えた。

 彼女は「ほら」とレオの手首を引っ張って立たせると、がしがしとめちゃくちゃに髪をかき混ぜる。


『心配したよ、この馬鹿。何、変な事件に巻き込まれてんだい』


 それが、ハンナ孤児院における、お説教終了の合図だった。


 院長は、口を開けば呼吸するように罵詈雑言を飛ばすし、ちょっと悪戯をすればすぐ鉄拳制裁を展開する獰猛な人物だが、必ず視線をまっすぐ捉え、お説教の後にはいつもこうして頭を撫でてくる――毛根が死滅しそうなほど乱暴だが。


 女性の恐ろしさと凶暴さを、レオ達に嫌というほど擦り込んできたハンナだったが、しかし、最近では時折、彼女がふと小柄に感じることもあった。

 例えば、こういった瞬間だ。


 レオは眉を下げて、


「……すみませんでした」


 と謝った。


 それに再び鼻を鳴らすと、彼女は、てきぱきと備え付けのクローゼットから、清潔な着替えを取り出してレオに渡した。

 汚れても大丈夫なように着替えるという名目でカイを追い払っていたのである。


『さっさと着替えな。繰り返すが、簡単にばれてもいいなんて思わないことだ。ブルーノやエミーリオ達は既に勘付いているからいいけど、それ以外の前ではあんたはレオノーラ姫として振舞うんだよ』


 なんでも、エミーリオ達は早々にレーナの正体に気付いてしまったらしい。

 そして、彼らの前だけでは、レオとして振舞うことを許してくれるようだ。


 なんだかんだいって、ハンナは優しい。


 着替えている間、壁を向いてこちらを見ないようにしながら、彼女は更に告げた。


『レーナが貴族社会に戻るつもりはない以上――それってどうなんだろうねえ。ま、よそ様ん家の事情だから何とも言えないけど――、レオノーラ姫はやがて失踪するしかない。ならばなるべく、侯爵閣下達を悲しませないようにするってのが筋ってもんだ。特に、中身がこんなさもしい野郎だったなんてこと、絶対に知られるんじゃないよ』

『……院長は、俺の顔した奴に、レーナが入ってるって知った時、悲しかったのか?』


 久々に古着のズボンとシャツを身にまとい、ぽつりと聞いてみる。

 ハンナは振り返り、くいっと片方の眉を上げると、


 ――スパーン!


「たっ! …………っ!」


 盛大にレオの頭をはたいた。


『何すんだよ! 首がねじ飛ぶかと思ったわ!』

『はん、細っこい首しやがって。なんだいその恐ろしく綺麗な顔は! 馬鹿にしてんのかい? 拳のはずがなぜか平手になっちまったじゃないか』


 彼女はその皺の増えた顔を思い切り顰めて、ぷりぷりと怒っている。

 レオはしばらく『痛え、痛えよ』とエランド語で文句を言っていたが、やがてそれを収めた。


(心配、してくれたし、俺が消えたことも、きっと悲しがってくれたんだよな)


 普段はあまり言動の真意を考えるなどということをしないレオだが、珍しくそのオプション機能を無料で働かせてみる。


 どれだけ仲良くなったとしても、学院での付き合いは結局「レオノーラ」という架空の人物のものだ。

 こうして、レオ自身に対して感情を向けてくれたのは、ハンナが久しぶりだった。


 どうも締まらない顔になっていたらしく、すかさずハンナに、


『何にやにやしてるんだい!』


 と一喝される。

 それでもレオがへらへらしていると、ハンナは諦めたように息を吐き、現在の孤児院の状況を掻い摘んで説明してくれた。


 レーナと入れ替わってすぐに、その母親と話し合い、彼女をレオとして孤児院で預かることになったこと。

 当初はレーナに緘口令を敷いていたが、ブルーノとエミーリオがあっさり見破ってしまい、マルセルやアンネといったエミーリオの仲間にも漏れてしまった結果、今では四人が入れ替わりを知ってしまっていること。


 急に人格が変わった「レオ兄ちゃん」に、当初孤児院の子どもたちは困惑していたが、ブルーノ達の介在もあり、おおむね上手くやっていることなど。


『レーナもね、最初は人間の屑みたいなことほざいてたけど、あれはあれで、頭も回るし、なかなか根性もあるからねえ。今じゃあ、なかなかの兄貴っぷりだよ。まあちょっと、馴染みすぎのようなのも、これはこれで問題だが……』

『え』


 ハンナの愚痴めいた呟きに、レオは首を傾げた。

 レーナがずば抜けて頭がいいことや、なかなかの気骨の持ち主だということは認めるが、「兄貴」とはこれいかに。

 しかも、自分の予想とは裏腹に、院の環境に相当馴染んでいるらしい。


『ま、あんたも見たらわかるだろ。今はレーナ達五人で造花売りの仕事に出てるが、じき帰ってくる。あの子たち、あんたが来るって知ったらそわそわして使い物にならないからね。悪いけど、今日の今日まで知らせないでおいたよ』

『はあ……それはいいけど。てか、あいつ造花売りとかできたんか……』


 あの、歩く傲岸不遜のレーナが、まさかブルーノやエミーリオ達と共に、造花売り。

 しかも、「なかなかの兄貴っぷり」で「馴染みすぎ」とは。


(あのレーナが?)


 もちろん、レオの代わりにばっちり稼いでくれているのなら、それに越したことはないのだが。


 あの傲慢女がどうやって、と首を傾げたレオの疑問は、数時間後に氷解することとなった。

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