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9.レオ、水商売に手を出す(前)

 光の精霊顕現事件から、三日。

 レオは、この日ばかりは内職を放棄し、放課後になると同時に聖堂に来ていた。


 がらんとした聖堂には、早めに授業が終わっていたらしいアルベルトやオスカー、そして彼の親友のロルフが集まり、談笑している。

 彼らはレオの姿を認めると、一様に手を上げ、にこやかに迎え入れてくれた。ロルフに至っては小躍りしている。


 左右に分かれた長椅子の間、本来なら祭壇へと向かう通路には、小ぶりな机が配置され、その上に大量の書類と魔術布が置かれていた。


 そう、彼らは、人気の無い聖堂に籠って、陣ビジネスの構想を打ち合わせているところだったのだ。


 オスカーの兄たるフランツが発案者となり進めている、陣の簡素化及び携行化計画は、レオの知らぬ間にベルンシュタイン家一丸となって取り組む命題にステップアップを果たしていたようで、オスカーは学院での人脈を生かし、時折こうしてカジュアルな意見交換の場を用意しているのである。


 たかが学生の議論と侮るなかれ、鋭い商売感覚を持つオスカーと、細かな事象に目配りの利くロルフ、何より膨大な魔力とそれについての知見を持ち合わせる皇子のタッグは、下手な専門家の衆愚会議よりもよほど現実的なアイディアを提示してきた、らしい。


 レオはこのたびその「陣ビジネス分科会」が聖堂で開かれると聞きつけ――なんでも、新たな聖堂の管理者・グスタフはしょっちゅう町に出向いているとかで、入りたい放題なのだ――、三人にごりごりおねだりをして、打合せ参加権を勝ち取ったというわけだった。


「やれやれ、本当に来るとはな」


 苦笑に呆れを滲ませているのはオスカーだ。

 彼は、基本的には大らかな兄貴分なのだが、女子供に対して必要以上に過保護に接する傾向がある。


 陣ビジネスは、従来の序列を激変させる可能性を持つ、ある種の危険な事業。どうやらそういった理由で彼はレオの参加を渋っていたようだが、レオとしては、ハイリスクであろうと、こんなハイリターンな事業を見逃せるはずもなかった。


(俺、絶対役に立ってみせるかんな、オスカー兄ちゃん(・・・・)!)


 孤児院のノリで内心嘯くと、レオはいそいそと持ってきていた包みを開いた。

 自分の有用性を見せつけてプロジェクトのレギュラー入りを果たし、利潤分与率を引き上げるのだ。


「あの、これ、見てみる、ください」

「なんだい、レオノーラ?」

「えっ、レオノーラちゃん、まさかこれ縫ってきたの!?」


 包みを覗き込んできた三人が、驚きに目を瞠る。

 そこには、紺と水色の糸で幾何学模様の刺繍を施した、美しい布があった。


「ええと、水の召喚の陣、わからなかったのですが、ひとまず、水の精霊、讃える紋章、縫ってみました」


 魔法陣ではなく、水の精霊を象徴する紋章なら、精霊布にも縫い込まれているので簡単に真似できる。

 本当はこれに、魔力を込めて「水の精霊から水を奪って来る陣」を描かねばならないのだが、ひとまず説明用に持ってきたサンプルなので、今はこれでよいのだ。


「見事なもんだねえ……」

「……? しかしレオノーラ、ここの一部が、線が二重になっているようだね」


 ふと何かに気付いたらしい皇子が、布の一部を指し示す。

 それに対して、我が意を得たりとばかりに頷いたレオは、得意げに続けた。


「はい。この紋章、線を一本、余計、縫っています。これでは紋章、台無しですね?」


 その口調は、どことなく実演販売のそれだ。

 ――そうなんですよお客さん、枝が一本余分にはみ出しています。これでは、せっかくの美しい庭木が台無しですね?


「でも、大丈夫。この糸、この魔法のハサミ、ちょいと切りますれば、この通り!」


 あたかも枝切り鋏の切れ味を紹介するかのように、レオがにこやかに紋章を象る糸の一本を切り取った途端、


「ああ、なるほど」


 そこには、完全な形の、水の精霊を寿ぐ紋章が出現した。

 真っ先に頷き、理解を示したのはアルベルトだった。


「糸で縫い取れば、水に濡れても陣は崩れない。かつ、流通時は陣を未完の状態に保っておけば、水が不用意に召喚されてしまうこともないね」

「縫わずにおくのではなく、過剰に縫っておくことで陣を破綻させるのか」

「確かに、水を出すために、針を持ち出して陣を完成させるのは手間だけど、余分な糸を切り取るくらいなら簡単だもんねえ」


 三人は感心しきりといった面持ちである。

 レオは得意満面になって頷いた。


(へっへ、よく偽ブランド品を流通させる時、ヤのつくおっちゃんがこういうことしてたもんな!)


 例えば、アルファベットのCを左右に組み合わせたようなロゴの場合、販売時までは○を左右に組み合わせたロゴの状態で仕立て上げて、あくまでブランド物ではないということで警邏隊の目こぼしをもらう。

 ところが、○の一部分には、実は切り込みが入っており、客が購入後にそこを剥がすと、たちどころにCを組み合わせたブランドロゴが出現するというわけだった。


 黒か白かと言えば限りなく黒に近いグレーな商法なので、レオ自身は手を出したことがなかったが、まあそこら辺からヒントを得た発想であった。


 よもやそんな後ろ暗いバックボーンを持ったアイディアとはつゆ知らず、三人はひたすら少女の柔軟さと聡明さに感じ入っている。

 特にオスカーはしきりと布を矯めつ眇めつしていた。


「なるほど……。水を召喚し終えた後は更に糸を切れば、陣が再び破綻して水が止まるというわけか」

「はい。たぶん、切る糸、指定する必要、ありますですが」

「ああ。それは問題ないだろうが――一度水を召喚するために、これだけの刺繍を施した布を使い捨てにするのは惜しいな。井戸を掘って一度使っては封鎖するようなものだろう」


 それでは陣を普及させる意義が無い、と冷静な指摘を寄越すオスカーに、レオはきょとんと首を傾げた。


「なぜ、ですか? 水、大量に召喚する、貯める、各家庭に転送するための陣、作って、こちらは流しっぱなし、します。または、誰か監視して、時々糸、戻して水を止めます。人々が買うのは、届いた水、受け取るだけの陣です。蛇口、開くようなもの。きっと、とても簡単な陣で、できます」


 そこは共同井戸の発想だ。

 水源から、または水の精霊から水を引き寄せて貯水し、各家庭に転送する――つまり、井戸の役割までは大掛かりな陣で対応する。処理が複雑だから、きっと複雑で巨大なものになるだろう。

 これは一つだけ作って、町に一つくらいの間隔で配置する。


 それでもって、各家庭では、蛇口の開閉だけを担うような、単純な陣を売りつける。

 それであれば、陣形もシンプルなので、単価も抑えられるだろう。

 安い魔術布をじゃんじゃん使っていただいて、変動費で設備投資分を賄うのがビジネスとしては健全だ。


「なるほど……」


 豪商として各家庭に井戸を持ち、あるいは王宮の各部屋に水道管の完備されている三人には無かった発想であった。


「しかし、レオノーラ」


 そこで皇子が、言いにくそうにふと眉を寄せた。


「いくら簡単な陣とはいえ、針子に頼めばやはりそれなりの額はするだろう。それでは市民の納得のいく額に収まるかどうか」


(ナイスアシスト、皇子!)


 反論ではない、それは相の手だ。

 絶妙なタイミングで(エモノ)が掛かってきた気配を察知し、レオは大きく竿を振りかぶった。


「はい。なので――孤児院に、頼みます」

「孤児院? ……そうか」


 はっとしたように顔を上げた皇子に、レオはにこやかに頷いてみせた。

 素晴らしい。まるで打合せしたかのような反応である。


「孤児院、内職、いろいろしています。刺繍、もちろん得意です。人手も多いです。お安いです。恐らく、皇子が考える価格、二十分の一くらいです」


 孤児院相場と学院相場が大きく掛け離れているのは、レオがサシェを販売した時に実証済みである。


 さて、ここからが正念場だ。

 レオは一層笑みを深め、何気ない感じを装ってするりと本題を切り出した。


「――例えば、ハンナ孤児院。私、交流あります。とてもとても、信頼できます」


 狙うは安定した儲けだ。

 レオはもちろん、脱走を果たした未来の自分に、働き口を確保してやるつもりだった。

 刺繍ならば、雨の日も雪の日も関係なく臨めるし、なんといっても屋内でできる。実は寒いのが嫌いなレオにとっては、これは大変重要なポイントであった。


「レオノーラ……」


 次々と思いもよらぬ切り口を提示してくる少女に、三人は揃って息を呑んだ。


 自らは不遇の環境にあったにもかかわらず、少女が孤児院に惜しみなく寄付をしているのは周知の事実だ。

 金銭や物資だけでなく、働き口を手配することで、その援助を確固たるものにしようというのだろう。

 魚を届けるよりも魚の釣り方を教える――支援のあるべき姿だ。


 事実、孤児院に格安で刺繍を引き受けてもらえるのなら、これに越したことは無い。

 事業が軌道に乗るまでは、信頼のおける一ケ所に下請けを任せるというのも理に適っているし、それがどこの商家の息も掛かっていない孤児院であるのは尚更好都合だ。


 それに、孤児の就業支援という側面をもって貴族連中に寄付を募れば、単価は更に抑えられる。

 そこまでざっと思考を巡らせたオスカー達は、歓喜の色を隠しもしなかった。


「素晴らしい」

「すごい……すごいよレオノーラちゃん! なんか、一気に道筋が見えてきたね!」


 手放しの褒め言葉には、少女は少し照れたように会釈しただけで、フランツの許可を取り次第孤児院に打診していいという許可を取り付けた時こそ、彼女は満面の笑みを浮かべた。


(レオノーラちゃんにとっては、自分自身の評価なんかより、市民や孤児院に救いの手が伸ばせるかどうかの方が、よほど重要なんだろうな……)


 とても年下とは信じられない少女の考え方に、思わずロルフは溜息を漏らす。


 レオが自身の評価にこだわらないところまでは合っているが、それはけして崇高な使命感を優先しているからではなく、あくまで儲けられるかどうかを重視しているからであるということに、残念ながらロルフは気付いていなかった。


「この構想でもって次の本会で提案するとして……残るは水源の確保と陣の成型だな」


 話しながら手早くビジネスモデルを図案化し、簡易な資料を作成していたオスカーが、ふと呟く。


 なにしろ未知の領域である陣の携行化。

 考えねばならない課題は山積しているが、中でも、どこから水を召喚するかと、いかにその複雑な陣形を構成するかは、検討に時間を要する難問であった。


「水源。カルド川、だめですか?」


 カルド川とはリヒエルトを貫く一級河川であったが、レオの提案はオスカーに「だめだ」とすげなく却下された。

 あれだけ大きな川だ、量的には問題ないはずなのになぜ、と首を傾げていると、皇子が丁寧に説明してくれる。


「二級河川までは帝国または各貴族領の管理下にあるから、商家が勝手にそれを汲むことはできないんだ」

「ええ? 皇子、びしっと、命令すれば……」


 そこはひとつ、掟破りの皇族命令で、と安易にレオが発案したら、アルベルトは苦笑して首を振った。


「だめだよ、レオノーラ。治水は各領土の義務であると同時に、権利であり収益でもある。それを侵すよう命令しては、貴族の反発と構想そのものの瓦解を免れないし、そもそも僕の権限を大いに逸脱しているからね」


 既得権益を侵すなということか。

 皇子はあたかも万能人間のような感じで学院に君臨しているくせに、意外に実社会での裁量が小さいではないか。

 レオは唇を尖らせた。


「……なら、地下水を」

「地下水を掘って、下手に既存の井戸の水脈を侵しては、今度は市民の生活に支障が出る」


 そこを何とか交渉するのが商売ではないかと思うレオだったが、ある程度の水量が見込める水脈を確保するには、かなり大規模な人数を相手とした調整と交渉を覚悟しなくてはならないらしい。


 結局、現時点で可能性が残るのは、領土の外れにあるような、水の精霊が守護している湖や沼を水源に充てるということであったが――人との交渉を持たないそれら自然の奥深くに棲まう精霊というのは、えてして気難しいのだ。

 そこから水を得るためには、また異なる種類の長期戦が見込まれるとのことだった。


「むむむ……」


 物理的構造ではきらめく才覚を披露してみせたレオも、政治的局面となるとお手上げだった。

 これまでレオが下町で手掛けてきた商いには、そんなもの必要なかったからだ。


(いいや。ひとまずここはオトナの力を借りよう)


 自分達はあくまで学生。

 恐らくその辺りはフランツやベルンシュタイン商会の領分だ――たぶん。


 壁にぶち当たった時は、できることからコツコツと、というのがモットーなレオは、そこで、他の課題に目を向けることにした。


「なら、陣の成形は? 小さいほうの陣なら、たぶん、学生でも描けます」


 仮に、井戸の役割を果たす陣を大陣、蛇口の開閉役を担う陣を小陣と呼ぶとしたら、小陣程度なら学生でも描ける。

 レオはその辺り、魔力学をサボりまくっていたのでよくわからないが、たぶん先日の発表会で陣を披露していた学生に頼めば、一発ではないだろうか。


 立ってるものは親でも使え。

 その人たちに頼んできます、と、レオが腕まくりせんばかりの勢いで告げると、オスカー達がふっと口許を綻ばせた。


「ふ……陣より魔力を讃えられてきた学院にあって、陣の研究が脚光を浴びる日が来ようとはな」

「きっと彼らも、喜んで力を貸してくれるよ」


 陣を研究していたのは、魔力に乏しい下級貴族や、市民出の生徒達だ。

 そんな彼らが、麗しの侯爵令嬢に懇願されたならば、一体どれだけ喜ぶことだろう。


 貴族と市民の垣根すら取り払い、学生たちの道にまで光を投げかける少女の姿に、二人は目を細めた。


「なら、小陣、それで、ばっちりなのですね。あとは、大きい陣……」


 ちゃきちゃきと仕切りを入れていたレオの声が、やや小さくなった。


 ただでさえ、魔術の才能には乏しいレオ。

 大量の水、それも飲用に耐えるものを()び出し、プールし、必要量を各家庭に配分するには、一体どんな複雑な陣が必要になることやら想像も付かなかった。


(こんな時、レーナだったら、うまいこと考えつくんかな)


 よくわからないが、人体を入れ替える陣だって相当複雑なはずだ。

 それを難なく引いていた彼女なら、あるいはちょちょいのちょいで陣を考案できるのかもしれなかった。


(やっぱ早く孤児院に行って、体を戻してもらうついでに、水を召喚する陣も教えてもらって――)


 ついでにあの陣も、いや、こういう陣も、いやいや、そういう陣もいいかもしれない、とレオがうっかり皮算用を始めてしまった時、


「――陣の形自体なら、アイディアは……あります」


 皇子の、躊躇いがちな声が響いた。


 レオ達がぱっと顔を上げる。

 三人分の視線を受け止めて、皇子はゆっくりと頷いた。


「先日の発表会で興味を持ち、僕も自分なりに研究を進めてみたのです。つまるところ、陣とは魔力の図案化。行使すべき魔力を、対応する図形や記号に置き換えて行くだけなので、作業としてはさほど難しいものではありません」

「なんだって……?」


 オスカー達は呆然とした。レオも盛大に度肝を抜かれた。


(ええええ!? だって、何十っていう研究者が何十年掛けて、ようやく今のレベルにまでなったわけだろ!? そ、そんな簡単に言っちゃっていいのかよ!)


 アルベルトは簡単に、「魔力を記号に置き替えるだけ」などと言っているが、そもそも魔力に乏しい一般人には、行使すべき魔力の全貌を掴むのにすら、一生を懸ける必要があるのだ。


 だが、そこまで考えてレオははっとした。


 ――例えば、魔力が硬貨だったとして。


(人々はときめきを得るために硬貨を撫でるが、持ち合わせが無い人は、やむなくそれを紙に写し取った硬貨の絵を撫でる。つまり、それが陣だ)


 そんな奇特な人物はそうそう居ないが、レオはこの例えが大変絶妙かつ腑に落ちるものだと信じて疑わなかった。

 へそくりが乏しかった時代は、よく絵に描いた銅貨に向かって手を合わせていたものである。


(でもって、銅貨百枚分のときめきを得たい場合、銅貨しか知らない人は、ただ悪戯に銅貨の絵を増やしていくしか方法が無えが、金持ちなら違う。金貨を一枚描いてみせることによって、あっさりと同じだけのときめきを得てみせるわけだ)


 金貨とはつまり、膨大な魔力だ。実物の金貨(魔力)を持つ者にとっては、()などナンセンスでしかないが、しかしいざ描けと言われれば、持たざる者よりもよほど豪華な硬貨の絵が描ける。


 だからこそ、膨大な魔力を持つアルベルトは、容易に高度な陣が引けると、そういうわけだ。


(腑に落ちた! でも腑に落ちねえ!)


 レオは、よくわからない例えで理論に納得しつつ、恵まれた者がどこまでも恵まれる世間に釈然としない思いを噛み締める、という大変器用なことをした。


「は……。なんだか面白くねえが、まあいい。おまえのその能力は今の俺たちには宝だ」


 例えは違うだろうが、同様に納得したらしいオスカーが唇の端を引き上げる。

 ロルフも、わずかな研究であっさりと下級貴族何十年分の知見を凌駕していったチートぶりに顔を引き攣らせつつ、「さ、さすがだね、皇子」と頷いた。


「で? 具体的にはどんな陣形になるんだ」


 オスカーが促すと、皇子が言い淀む。

 彼はなぜだか、陣形を共有することに躊躇いがあるようだった。


(なんだ? さては功績を独り占めか?)


 大陣の成形は、この陣・ウォータービジネスの最大の難所にして要の一つだ。

 もしや彼は陣形の開示をもったいぶることによって、利潤分与率を引き上げようとでもしているのかもしれない。


(そうはさせるかってんだ!)


 貢献した分は確かに報いられるべきとは思うが、それによってあまりにこちらの取り分が減ってしまうのは頂けない。

 レオはぐっと身を乗り出し、皇子を強く見据えた。


「教えてください、皇子。どのような、陣、なのですか」

「……まだ研究段階のものだよ、レオノーラ。みだりに描いて、魔術を暴発させてはいけない」

「失敗、恐れる、なりません! その先には、輝かしい、未来、待つのです! 魔力持たない人、孤児院の人、とても、とても、待っています!」


 より具体的には、魔力を持たぬ孤児のレオが、まだ見ぬ儲けを手ぐすね引いて待っている。

 その商魂に圧されたのか、皇子は「レオノーラ……」と呟き、躊躇いがちにだがオスカー達に向かって、陣の形を説明しだした。


「……陣は大きく三つの部分から構成されます。魔力を行使する時には、対象の定義と手法の定義、結果のイメージが必要ですが、それをそのまま陣に置き換えるからです」


(ふんふん)


 そういえばレーナも、手法がわからないと魔力はなんちゃら、とか、想像力がどうちゃら、とか言っていた気がするので、そういうことなのだろう。

 ――こと金に関することでないかぎり、レオの物事に対する理解度はこの程度であった。


(いやいや。だが今回はダイレクトに商売に関わるかんな。真剣に聞かねえと)


 皇子によれば、この場合、水を召喚する、貯水する、決められた場所に転送する、という三つの結果を実現しなくてはならないため、陣は更に三通りずつの部分を要することになるらしい。


(ええと、三×三で、九つの象限を用意して……)


 確かにだいぶ複雑だ。

 テキストよりは画像で整理した方がよさそうだと判断したレオは、こっそりと手持ちのメモを引っ張り出し、そこに陣(仮)を描きはじめた。


「水源の指定には、水の精霊を示す紋章を陣で取り囲む方法が手っ取り早いかと思います。いわば、精霊を魔術で絡め取り、搾取するような形ですね――この辺り、言い方を調整しなくては教会との戦争すらありえますが」

「いや、わかりやすい。どうせ俺たちだけだ、続けてくれ」

「貯水には、時空を操る陣を応用します。恐らくはこれが一番複雑だ。まず、時の流れを示す三本の直線と――」


(わ、タンマ! ちょ、展開早すぎて追い付かねえよ!)


 丁寧に水の精霊の紋章を描いていたら、皇子がどんどん先に進んでしまった。

 慌てて精霊の紋章を取り囲む円環と、そこから水を奪う幾何学模様まで描き込み――


(……あれ?)


 そこでレオは、はたと気付いた。


 そういえば、レオ自身で陣を引くのはこれが初めてだが、――そして、紋章以外は極めてラフに描いていたので成功するとも思えないが、もしも。


(もしも、今、うっかり水を召喚しちまったら、どうなんだ?)


 嫌な予感がする。

 さあっとレオが青褪めた、その瞬間。


 ――ドォォッ……!


 虚空から、大量の水が現れた!

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